プチ小説「いちびりのおっさんのぷち話 今年も頑張るぞ編」
わしが幼少の頃に、渥美清さん主演の「泣いてたまるか」というドラマがあって、毎回いろんな脚本家が趣向を凝らして、視聴者に涙を流させたもんやった。ちゅーても、悲しい涙というのはあんまりなくて、哀しい涙、うれし涙、感動の涙ちゅーのがほどんどやった。今から20年ほど前にそれが4話まとめてDVD販売してたんで、わしは購入したんやった。最初の頃は、それこそ渥美さんがいろんな職業の人(印象に残っているのは、プロ野球の審判かな)に扮して、熱演して、仰山の人の共感を得て、また涙を流させたんやった。ほやけどいつの頃からか。そんなペーソスは無くなり、苦笑いさせるだけになってしもうた。詳細は語らんけど、これは渥美さんが清貧の人を貧しくとも清らかに演じてはったんやけど、ちょっとお金周りが良くなったんで、いろんなことをやったろ、やってこましたろと思うたんが、うまいこといかんかったんやと思う。簡単に言うと、的屋の寅さんにサラリーマンや商売人をさせるようなミスマッチな配役をしていたからやないかと思う。渥美さんはどちらかというと泥臭くて、人情に熱い人を演じるのが得意で、決して普通のサラリーマンやお金に余裕のあるひまな人や女性にからかわれるおじさんはちょっと違うなと思たんやった。そんなんやったから、わしは途中から、熱心な「泣いてたまるか」のファンでは無くなって、ちょっと看板に偽りがあるんとちゃうかと思うようになったんやった。わしらみたいな貧乏人はちょびっとのお金を捻出するのも大変や。そやけど、幼少の頃の記憶で何かおもろい番組やったから全部揃えよかと思うた「泣いてたまるか」が、半ばごろから思ってたもんと全然違うドラマに変わってしまったのは、ホンマに悲しかった。そやからその後渥美さんは「寅さん」だけに出て、わしらのイメージを壊さんようにしてくれたのはありがたかったと思うてる。船場は相変わらず、○○○○の小さい男で、今までやって来たことばっかりしとる。有り金叩いてどんどん自費出版したら、いつかは当たるやろうにようせーへん。今となっては、あの腹では、槍・穂高どころか、比良山にもよう行かんかもしれんけど、それやったら2週間に一度くらいジョギングをしたらええのにやっと元日に13キロ走ったくらいや。そんなことではコロナが退散して自由に何でもできるようになっても、大したことができひんと思うんやが、あいつ、どない思っとるんやろ。おーい、船場ーっ、おるかー。はいはい、にいさん、いろいろ、気遣っていただいてありがとうございます。ですが、今のところ、コロナがあるので何にもできません。仕方がないので、正月は早朝に13キロほどジョギングをしました。いつもなら大晦日の夜に家を出て、京都の神社を5社巡るのですが、今年は感染したくないので自粛しました。それでも毎年1月2日はグランドフロント大阪の島村楽器のレンタルスタジオを2時間借りるので、昨日もクラリネットの練習に行きました。そやけど、クラリネットのレッスンの再開はまだまだ無理やろ。まあ、そうかもしれません。それでも12月には谷上先生にも会いましたし、3ヶ月に一度はJEUGIAミュージックサロン四条でスタジオをレンタルして3時間練習しています。仮にレッスンに参加できるようになれば、すぐに再開して最初は個人レッスンを受けようと考えています。それから一昨年の12月に開催して以来やっとらんLPレコードコンサートはどうするつもりや。こちらも私が医療関係者であるので、解除されない限りは開催できないと思います。昨年11月に名曲喫茶ヴィオロンのマスターに、解除になれば開催する意志は伝えています。マスターは、今年は開催できるんじゃないかと言われていました。『こんにちは、ディケンズ先生』はどうなんや。前にも言いました通り、大学図書館の受け入れが不十分な状況では、公立図書館に受け入れのお願いに行けません。LPレコードコンサートを宣伝の場にしたかったのですが、それもできません。それでも6月には久しぶりに対面でのディケンズ・フェロウシップが大阪公立大学で開催されます。その時に少し宣伝できればと考えています。船場が言うこともわかるけど、このまま10年が過ぎたら、あんたも今までのようには行かんやろ。まあ、その時はその時で、今はやれることを楽しむしかないでしょう。仮に破格の仕事ができて、大金が転がり込んだとしても、落ち着かないだけで、大きく生活が変わることはないと思います。人間は小さな存在です。背伸びをしても、頭を打たれるだけです。神さんを信じて機会が到来するのを待つだけです。まあ、あんたみたいな暢気なおっさんは見たことないわ。まあ、わしもお前に合わせるけど、いざ、鎌倉ちゅー時には、頼りにしてや。もちろん。よろしくお願いします。