プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生40」

当初の予定では山形からバスで青森に行くつもりだった二人だが、小川がよく調べてみるとそのような
バスはないことがわかった。
「秋子さん、少し予定を変えなければならない。宿は押さえてはいるけれど、移動する電車とバスについては
 余裕を持って計画すれば大丈夫と思い切符を購入しなかったし、時刻表と照らし合わすのは乗車前に切符を
 購入する時でよいと考えていたんだ。バスで青森に行くと言っていたけれど、電車で行くことにしよう」
「それじゃあ、少し早く青森に着くのね。奥入瀬渓流や十和田湖にいくのは無理だから、市内を少し散歩
 しましょうか。こういうハプニングが旅を楽しくするのよね」
「そうだね。でも、最初からきちんと案内できなくで、ごめん」
「いいのよ、ほんとに気にしないで。それより電車の中で残り100ページになった。「マーティン・チャズル
 ウィット」を読み終えて、感想を聞かせて」

「どうしたの。さっきから、考え込んじゃって」
「......」
「何か、言ってほしいな。じゃないと...」
「それじゃあ、秋子さんに聞くけれど、君はディケンズ先生の本の何と何を読んだの」
「最近、小川さんに薦められて、「リトル・ドリット」と「荒涼館」は読んだけれど、他には、「デイヴィッド・コパ
 フィールド」くらいかしら。どの小説も、主人公の男女が幸福な未来を約束されながら終わるというものだったわ...」
「ところが、この小説は主人公のマーティン・チャズルウィット青年は女性と結婚してハッピーエンドで終わるかたちに
 なっているが、それでよかったとは言えないんだ。最初から、思っていたんだがこのマーティン青年の性格が悪すぎる
 んだ。なんで、こんな人物を主人公にしたのかなと思う。他にもいくつかの主役級の人物も登場するが、好きになれない」
「でも、ずっと以前に「骨董屋」を読んだ時に同じようなことを言っていたんじゃなかったかしら。小川さんの場合、小説の
 登場人物に好感が持てればよい小説、そうでなければ...。小説は自由に読んだらいいけれど、それが本当の生活でそう
 だったら大変かもしれない。アユミさんと仲良くすることが、第一関門になるかもね」

眠りにつくとディケンズ先生が現れたが、いつもと違って静かな口調で話した。
「いつものように秋子さんは鋭い。小川君も小説の評価を自分の尺度で計るのはやめた方がいいと思う」
「でも、先生の小説の魅力は登場人物の...」
「でも、必ずしもそれは、君の好きなアーサー・クレナムやジョン・ジャーンディスのような人のよいイギリス紳士ばかり
 じゃないさ。悪があって善が引き立つ。苦難があって平凡な生活がすばらしいと感じる。それは小説家と読者の暗黙の
 了解だから、小説好きの君に説明する必要はないと思っていたんだが。あえて言うなら、マーティン青年がすばらしい人物と
 思う人はひとりもいないだろうが、そのような人物を創造したことはひとつの功績としてもらってもいいんじゃないかな」
「......」