プチ小説「アナログレコードの妖精」

CD(コンパクトディスク)が商品化(1982年)される前からのクラシック音楽ファンの福居は、今でもアナログレコードのファンである。最も頻繁にクラシック音楽を聴き、ハード(再生装置)やソフト(外国製のアナログレコード)にお金をつぎ込んだのは30代の頃で、その頃はオルトフォンのMCカートリッジSPU Classic Gを半年に一度交換していたが、今では資金不足から3万円台の他社製のMMカートリッジを2年に1度交換する程度になった。CDの音質向上とアナログレコードであれば1万円以上するものがCDだと2~4千円で買える(もちろん音質は段違いだが)という現実と手軽さから、1年ほど前までは福居はCDばかりを聴いていた。もちろんCDの音は理想の音にはほど遠く、好きだったレコードも首をかしげながら聴いていたが、資金不足はいかんともしがたいものだった。ところが1年ほど前にたまたま家電量販店の高級オーディオのコーナーで、フォノイコライザーを通せば3万円程のMMカートリッジであってもかなり音質が改善されると店員から聞き、すぐに買って帰った。家に帰ってさっそく試してみると、音質は改善されたが、相変わらず、ぷちぷちという音とスクラッチノイズと針飛びは改善されなかった。しかしある日、福居が年末の大掃除でお年玉年賀はがきで当たったシーサーの置物を濡れタオルで拭いている時に、昔神戸や京都の中古レコード店の店主が話していたことを思い出した。
 アナログレコードはもともと塩化ビニールをプレスしただけのものだが、音質が良くなると信じて愛好家が静電気防止スプレーなどのスプレーをレコードにかけまくったので、レコードの表面がのりのようなもので汚れてしまった。物理的な衝撃などで傷が入ったものはナイフなどで直したりするが(直ることはあまりない)、ぷちぷち音や傷がないところの針飛びは濡れタオル(お湯につけて絞ったもの。洗剤を付ける必要はない)でごしごしこすれば、たいてい汚れを落とすことが出来て新品と変わらなくなるので、試してみればよい。レコードは意外と丈夫に出来ているので、タオルで拭いたくらいでは傷がつくことはまずない。
福居は、まさかそんなことだけで複雑にまじり合ったアナログレコードの表面の汚れが落ちると考えられなかったので、30年以上試すことはなかったが、50才を過ぎて、比較的時間が持てるようになったことと資金不足でアナログレコードを購入できなくなったことが重なり、かつて店主が親切にも教えてくれた方法を試してみることにした。使い古したタオルをお湯で濡らして絞ってから、レコードの表面を2回転ごしごし擦り、最後に一回転さっとレコードの表面を拭き取った。こうしていくつかのレコードをきれいに拭き取って掛けてみたが、それまでと違って、ぷちぷち音はなくなり、傷がないのに針飛びしていた現象もなくなった。
事態の好転に気をよくした福居は、日曜日の朝にはいつも5枚のクラシックのレコードの拭き取りを実行していたが、ある時ステレオが置かれた部屋の片隅を見ると60代くらいの男性が椅子に座って壁側を向いているのに気が付いた。最初は自分の家に不審な人物が侵入したと思い警戒したが、いつも厳重に鍵を掛けている部屋に泥棒が入ることは考えられなかったので、大きな声を出さずに成り行きを見守った。じっと福居が相手の出方を待っていると、その男はしびれを切らしたようだった。
「はやく、何とか言ってよ。次行かなあかんとこがあるんやから」
「そうなんですね。でもあなたは...」
「私は...ここはちょっともったいぶらんとあかんとこや。えへん、妖精さんや、どうや驚いたか」
「......」
「なんや、その反応は。珍しないんかいな」
「妖精さんとは初めてお会いしましたが」
「そうやったら、もっと驚いてくれんと」
「わーーーっ、びっくりした。どうしよ、どうしよ。誰か来てーっ」
「そんなに怯えんでもええよ。なんもせえへんから」
「安心しました。でも何で私のところに来られたんすか。何も取得のない、ただクラシック音楽好きの中年の男のところに」
「それはやな、もう初老になろうとしているのに、飽きもせず、いや、もとい、19才の時にクラシック音楽に出会って以来、30年以上にわたり、アナログレコードを愛してきたからや。最近はまるで我が子を愛でるように、レコードをごしごし擦ってきれいにしとる」
「でもこれはノイズを取るために必要と最近始めたことです。1年前まではCDばかり聴いていました。仮に毎日のようにアナログレコードを綺麗にしていて、それが1万枚になったと言うなら、切っ掛けができたから登場したねんと言われても、抵抗なく受け入れられるのですが、1年ほど前からたまに拭いているだけですから、妖精さんから、頑張っとるなぁと言われても、当惑するばかりです」
「そうか、そやけどこうして自分がやって来たことを人から褒め称えられたら、悪い気がしないのんとちゃう」
「それはそうですが、最近の状況を見るとアナログレコードが人々に再び愛されるようになることはないだろうと思うんです」
「そらまた、なんで」
「まず、今はコンパクトな再生装置ipodなどにBluetoothのスピーカーを繋いで聴くというのが主流です。プリメインアンプにレコードプレーヤーとスピーカーを繋げてアナログレコードを聴くためにはお金がかかるだけでなく、大きな空間が必要になります。ワンルームマンションに高級オーディオ装置を設置してレコード鑑賞をするというのはとても考えにくいです。私は今でもアナログレコーのファンで、できることならアナログレコードを聴きたいと思っていますが、そういう状況の中で、アナログレコードでクラシック音楽を聴く人がどれだけいるかです。最初からCDで音楽を聴くことに慣れ親しんだ人たちが、よりよい音への執着心があるかどうか。ステレオを買ってアナログレコードを聴こう。カートリッジを変えてみようとかアンプを真空管アンプに変えてみようとかのこだわりはないように思います。せいぜい今50代くらいまでのオーディオに興味がある人が細々と高級オーディオ装置で究極のよい音を追求するくらいで、それから先はほとんどのクラシック音楽の愛好家がこじんまりとしたそこそこの装置でクラシック音楽を楽しむようになると思います。SPレコードのように再生装置の手回し蓄音機、電蓄が市場から追いやられて衰えて行ったように、LPレコードも装置へのこだわりがなくなって、やがてはSPレコードと同じような運命になるのではと危惧しています」
「まあ、そんなことは気にせんとこれからもクラシック音楽を楽しんだらええのんとちゃうノン」
「よく考えてみてください。最近は毎日のように感染症のニュースがトップに来ます。人々の娯楽となる楽しいニュースは控えられ、文化活動は行えず、どこからも苦しい実情を訴える声が聞こえています。こういう時こそ、昔、そう1950年代から70年代の頃に多くの人の原動力となった西洋(ヨーロッパとアメリカ)の音楽と文学をはじめとする文芸作品に光を当ててみてはと思うんです。それを普及するためには、デジタルではうまく行かない。やっぱり文学は文庫本やハードカヴァー、音楽はステレオ装置で聴くアナログレコードがよいと考えるんです。世界が発展していた時の勢いを取り戻すためには、デジタル化を推進してのコンパクト化・合理化ではうまく行かないばかりか、先細っていくだけだと思うんです」
「そやなあ、あんたの言うことは古めかしいけど、帰ったら報告しておくわ」