プチ小説「いちびりのおっさんのぷち話 一人より二人の方が編」

小学校2年から4年生までの担任の先生が音楽好きやったもんで、わしは4年生になるまでに教科書には載っていない曲を歌ったり、輪唱をいろいろやったもんやった。輪唱は、もみじ、夜汽車なんかをしたのを覚えとるが、みんな一緒に大きな声で歌ったのは、フォークソングの「バラが咲いた」やった。小学校2年生か、3年生の頃やったんで日本語のボキャブラリーもあんまりない頃やったけど、バラが散った後のもの悲しさやその後に咲いた心のバラがどんなふうになるんか、小学生やちゅーのにいろいろ突っ込んで考えたもんやった。この先生から教えてもらったのはいろんな種類の歌を歌うことの楽しさで、みんなで大きな声を出して教科書にない歌を歌ったり、輪唱や合唱を一所懸命に先生の嬉しそうな顔が見られるように頑張ったもんやった。そうしてその先生は、わしが5年生になった時にトランペットと小太鼓で編成された鼓笛隊を結成していろいろ活動されたんやった。また音楽の授業ではオルガン演奏というのがあって、少し和音の勉強をしたんやったが、どちらもわしが理解できる範囲をはるかに超えとったんで、ようついて行かんかった。鼓笛隊の見学に行って、トランペットを吹かしてもろうて、たまたま音が出てあんた才能あるでと言われたら、その気になってトランペットが吹けるようになったかもしれんし、音楽室に行ったら親切に和音について説明してくれる同級生がおって、和音のことが理解できるようになっとったら、鍵盤楽器を演奏する左手は最初から頭にないという偏屈は生まれんかったかもしらん。中学2年生になると音楽の授業で縦笛をするようになったけど、練習曲は知らん曲ばっかりやったんで、熱心やなかった。誰かが、演奏が上手になるためにはいろんな曲を吹かなあかんねんよと教えてくれとったら、真面目に取り組んどったんかもしれんけど、いろいろ楽しいことがあったから、誘惑に負けて縦笛の練習はほとんどせんかった。高校時代は音楽が選択科目やったんで、美術を選択したわしはほとんど自分で音楽を演奏する機会を失った。ただ好きなフォークソングを大きな声でがなるだけやった。そんなことしかやらんかったから、今でもわしは楽器の一つもよう演奏でけんし、歌もちいこい声でしかよう歌わん。いろんな曲を聴くから、この曲を自分で演奏出来たり、歌えたらええのにと思うんやけど、何もようせんから欲求不満が募るばかりや。最近は音楽を聴くとそんなストレスが溜まるから、もう聴かんとこかと思うくらいなんや。船場はわしと同じで縦笛アレルギーみたいやけど、50才になってからクラリネットのレッスンを受けるようになって、一応楽譜が読めるようになったみたいや。翻訳家の先生と「ロンドンデリーの歌」を演奏して、ホームページに掲載したりしとるが、コロナ禍の今、一緒にスタジオ録音がでけんけど、どうやってこまそと思うとるんやろか。おーい、船場ーっ、お前、どうするつもりなんやーっ!!はいはい、兄さん、そら、私もいろんな人と共演したいと思うとりますが、自分の実力も弁えています。そうか、あんたも堅物で偏固なんやな。そうですか、正直に言うと私は、和音は今でもわかりませんし、楽典の知識も米粒ほどです。クラリネットを10年習いましたが、速いテンポでの演奏は出来ません。一人でゆっくりとメロディがわかる曲を人の迷惑にならないようにスタジオを借りて練習するくらいです。ほやけどあんたは発表会で合奏したり、翻訳家の先生の伴奏で「ロンドンデリーの歌」を演奏しとるやんか。発表会は3~4ヶ月間先生が指導されたから少しは演奏できるようになりましたが、年によってはほとんど本番で吹けないということもありました。発表会の理想は完成したものを聴いてもらうというのがいいのでしょうが、なかなかそうは行きませんでした。先生も一つの課題を与えて生徒が限られた期間で一所懸命頑張るというのが発表会の目的なので、少しレベルが上の曲を演奏するのがよいと言われていました。私は先生から与えられる曲が難しくてわからないので、自分の好きな吹きやすそうな曲の楽譜をやってほしいと頼むようになったくらいですから。そんな自分勝手がよう通ったもんやな。そう、そんなふうに私のわがままを聞いてもらえたので、6年目あたりから発表会前の練習がとても楽しくなったのです。自分の好きな曲を3~4ヶ月かけて仕上げる作業はほんとにやりがいのある楽しいものでした。翻訳家の先生は、たまたまその先生から、クラリネットの伴奏をしてもよいとの申し出をいただいて、長野市の島村楽器で実現しました。ディケンズ・フェロウシップの春季大会の前にスタジオを1時間借りました。1つだけ掲載してもよいとの許可を得て、掲載しました。その秋に大阪でディケンズ・フェロウシップの秋季総会があった時も、グランドフロントの島村楽器でもスタジオを借りたのですが、その時は私の手違いが多数発生し掲載できる演奏はできませんでした。その後もその先生とスタジオ録音をする約束はしているのですが、東京と大阪ですから、ディケンズ・フェロウシップの集まりがある時しか一緒に演奏できません。コロナ禍がほんとうに恨めしいです。そうか、しばらくはお預けになりそうやな。コロナ禍が収まったら、別の人と一緒にスタジオ演奏することになったのは最近の明るい話題です。その人はベースがメインですが、ピアノを含めてキーボード全般が演奏でき、何より音楽理論に詳しいところがすばらしいです。伴奏もコードを見てしてあげると言われていますのでとても楽しみですが、足踏み状態です。そうか、わしと違ごうて、地道に音楽をやって来たから、音楽仲間が増えて言っとるんやな。ほんま、はやくコロナあっち行ってという感じやな。そうですね、それがみんなの心からの願いです。