プチ小説「いちびりのおっさんのぷち話 春は桜を愛でましょう編」
わしが小さい頃の桜(ソメイヨシノ)の想い出ちゅーたら、小学校の入学式の時に小学校の入り口のところの桜が満開できれかったことくらいや。小学校の入学式の頃に桜が満開やったんで、桜は4月1日に満開になるんやとずーっと思っとった。そやけど最近は気候変動の影響でだんだんと開花日、満開日が前倒しになって来て、昔やったら満開の時や桜の散るのを見ながら古くからの友人や新しくできた学友と親交を温めたもんやったが、今は4月1日には桜が散ってしもて茶色になった花絨毯が残るだけということもあるから、ほんま旅行業の人はコロナのこともあるから大変やと思う。この調子で温暖化が進んだら、2月に桜が開花して、5月には朝顔の花が咲くということになるんやないかと心配になってしまう。入学式の背景にもぴったりやし、やっぱり桜は3月の終わりから4月の初めに楽しめるものであってほしいなと思うけど、これは大阪という温暖な地域に住むもんの自分勝手な願いなんかもしらん。おっちゃん、ええこと言うやろ。そやからわしが桜を愛でるようになったのは大学に入ってからやった。大学の入学式の後、円山公園で花見をしようと学友4人と出掛けたんやった。当時は円山公園の枝垂れ桜は害虫でダメージを受けることもなく、のびのびと四方八方に美しい花がいっぱいついたしなやかな枝を伸ばしとった。数年前にその枝が切り取られて可哀そうやったが、最近は枝が少しずつ長くなってだいぶん見栄えがええようになって来た。京都の春のシンボルとまた呼ばれるようになるのも近いんやないかと思う。わしはそのものごっついきれいな時の円山公園の枝垂れ桜を見てから桜に興味を持つようになったんやが、円山公園の桜は他にも仰山あってソメイヨシノも山桜も最高やわ。それを凌ぐ勢いなのはやっぱり造幣局の桜なんやが、自由に撮影できないという制約があったりして若い頃はよう行かなんだ。40才を過ぎて初めて見て、もっと早う見てたら良かったなぁと思うたもんやった。他には、大覚寺、嵐山、京都植物園の桜も良かったけど、やっぱり京都の桜は円山公園が一番や。船場も大学生の頃から桜を見るのが好きになって、吉野や造幣局に行ったようやが、短期間で最盛期が過ぎてしまうのでええ写真が撮れんと嘆いとった。特に吉野は今まで3回行って3回とも散った後やったんで、にいさん、ほんま吉野の桜はきれいみたいやけど、わたしには縁がないみたいですちゅーとった。あいつは今北摂に住んどるから、吉野まで行くのは一日仕事になる。よし、今年は吉野の桜を撮るぞと勇んで出掛けても、どこもかしこ桜が散ってしもうていて駅前の和菓子店で、しゃーないから桜餅でも買うて帰ろかちゅーのはほんまに悲しいことやと思う。おっちゃん、ええこと言うやろ。そんな春は桜のことばっかり考えとる船場は、今年どうするんやろ。訊いてみたろ。おーい、船場ーっ、おるかーっ。はいはい、にいさん、実は、もう京都の桜は見たんです。兄さんが言うてはった、円山公園の枝垂れ桜を。そうか、ほんでどうやった。やっぱり、枝がしなやかに伸びていないので少し物足りませんが、色合いがやさしくてきれいなので目の保養にはなりました。そうか、ほんであんたは他の桜は見いひんの。そうですね、やっぱり、吉野の桜を思う存分撮りたいのですが、現地に着くまでの道のりが遠いです。吉野に着いたら、徒歩で山を歩き回ると記憶しているのですが、どこを撮ればいいのかわかりません。いつの間にか西行庵に着いてしまうという感じです。そら、あんたが花の盛りに行かへんからや。花は咲き始めがええんとちゃう。わたしもにいさんがおっしゃる通りだと思うのですが、どうも盛りを過ぎた頃に行ってしまうようです。わたしの場合、少し朽ちていた方がええんやとは絶対言わない、しゃきっとした初々しい桜が好きな桜ファンなので、枯れかかった桜が一輪でもあると写真を撮るのをやめてしまいます。まあ、あんたはそういうもののあわれとかに鈍感な人間やから、改心せいと言うても無駄かもしれんけど、今日で63才になったことやからもっといろんなものごとにやさしい気持ちで接して人生の成果をあげて行かなあかんと思うよ。ええーっ、わたしの人生で成果なんか上がるんですか。それだったら、今日から頑張ります。そらあんたがガンバローちゅう気持ちさえあれば世界は包容力があるからいろいろ受けてくれるけど、そのためにはもうちょっとやさしい人間になって、ほんで頑張って世のために貢献せんといかんわ。よくわかりませんが、にいさんの言葉を噛み締めてこれからも頑張ります。そやでー、頼むでー。