プチ小説「こんにちは、N先生24」
私は年に一度日帰り旅行をすることを楽しみにしているのですが、ゴールデンウィークの初日に串本に行くことにしました。中学生の頃に朝日放送ラジオで串本節を聞き、観光案内などで潮岬灯台、串本海中公園に興味を持ち、ずっと行ってみたかったのですが、アクセスの悪さ(3時間くらいしか滞在できないと思っていたのです)からずっと見送っていたのです。しかし最近になって午前7時30分頃に新大阪駅からスーパーくろしお号に乗れば、11時過ぎに串本に着くことができ、午後6時30分過ぎのスーパーくろしお号に乗れば午後11時過ぎに帰宅することができると知り、勇んで出掛けたのでした。
串本駅で下車してすぐに南紀串本観光協会に行き、効率よく串本観光する方法を教えていただきました。担当者の方のお話を参考にして、まず串本海中公園に行き、水族館と海中展望塔を見た後に昼食を取り、潮岬灯台に行くことにしました。串本海中公園には送迎バスがあり、10分後に出ると聞きそのバスを利用することにしました。串本観光協会の建物から50メートルのところにバス停があり、私は担当者の方にお礼を言ってすぐにそこに向かったのでした。小型バスに入ると運転手とお客さんがいて話をしていました。乗客はひとりで入り口のところで話していたので、ふたりの会話を妨げないように奥のシートに腰掛けてふたりの会話を聞いていました。
「ぼくは東京からはじめてここに来たんだけど、海中公園の他に見所はあるのかな」
「お客さん、あとはやっぱり、潮岬灯台と橋杭岩でしょう」
「そうか、あとは観光タワーとか大島観光かな」
聞き覚えのある声で、千鳥格子のブレザーの後姿が見えたので、私はその乗客の隣のシートに移動しました。N先生だったので、私は挨拶しました。
「先生、まさか先生と串本で会えるとは思いませんでした。何か先生を虜にするものが串本にあるのですか」
「いや、ぼくは君が中学生の頃に朝日放送ラジオで串本節を聞いていたということを知っていたから、いつか串本に来ると思っていたんだ。それでぼくも行きたかったしここに来たんだよ」
私はなぜ私が串本節を聞いていたことがN先生にわかったのか不思議に思いましたが、相槌を打って話を続けました。
「「ここは串本 向かいは大島 仲をとりもつ巡航船」(串本節)というところが好きなんです、先生は串本はじめてなんですか」
「そうだよ。だからこの運転者さんにいろいろ教えてもらった。だから君とタクシー代割り勘で市内のあちこちに行ってみたいと思っている」
私は先生と一緒に観光できるのは楽しみでしたが、いつも貧乏旅行なのでタクシーであちこち回るほどのお金の余裕はありませんでした。先生はそのことに気付いたようで、君の財布の中に万札が3枚しかないのは知っているさ。だから無理はしないつもりだよと言いました。
「な、何で先生は私の財布の中味までわかるのですか」
「それは長年の経験からさ。初老の男性が一人旅をするなら、小遣いは3~5万円だろうけど、君の場合は金回りがよくないから、3万円プラス千円札数枚だろうということくらいわかるさ、お茶の子さいさいだよ」
「そういうものなんですか。で、どこに行きますか」
「それは昼食の時に決めたらいい。それより最近君はあまり西洋文学を読んでいないようだね」
「そうですね、一時、明治・大正時代の大衆作家佐々木邦さんに凝って全集を読もうと購入したのですが、15巻の4巻で中断しています。ディケンズは『ピクウィック・クラブ』『リトル・ドリット』などの新訳が出たらすぐに読みたいと思っているのですが、なかなか出ません。今、ヴィクトル・ユーゴーのフランス革命を扱った小説を読んでいるのですが、あまり楽しい小説ではありません」
「まあ、時代が時代だからね。読みたくなる小説が見つかることを祈っているよ」
しばらくすると、送迎バスは串本海中公園に着きました。水族館を見た後、海中展望塔に行ったのですが、先生は魚の餌やりに夢中になり10分ほど動かれませんでした。
「先生、そろそろ昼食にしませんか」
「ここに置いてあるえさを全部撒いてからじゃあ駄目かな」
「あとから来る人の楽しみを奪ってはいけないと思います」
「それもそうだな」
昼食後、切符売り場の人にタクシーを一台お願いすると、15分程してタクシーがやって来ました。先生と昼食を食べながらこれからのことを決め、まず大島観光をした後に潮岬灯台に行ってもらうことにしました。タクシーに乗るとすぐに私は運転手さんに尋ねました。
「目的地は潮岬灯台ですが、その前に大島観光をしたいと思います。名所とかありますか」
運転手さんはN先生と私の中間くらいの年齢でMさんと言われました。
「そうですね、大橋を渡ってすぐに展望台がありますが、それより海金剛まで行かれることをお薦めします」
とりあえず海金剛を目指していただくことにした後、N先生は運転手さんに尋ねました。
「ずっとこちらでタクシー運転手をされているのですか」
「いいえ、私は最初京都でタクシー運転手をしていました。24才の頃です。親の介護の必要があって10年前に故郷の串本に戻って来て、引き続きタクシー運転手をしています」
「そうか、それなら、運転手さんもハイヤング京都も聞いていたんですね」
「そうですね、先生も聞かれていたのかな。私は笑福亭鶴光のオールナイトニッポンが好きでよく聞いていたのですが、ハイヤング京都のつボイノリオさんはそれよりも楽しかったですね」
私はその放送のことがよくわからなかったので、運転手さんに尋ねました。
「どういうところがですか」
「それは、そのエッチというか下ネタ満載というか、そういうところが」
「君ィ、そんな当時京都で生活したり学生生活を送っていた人が当然知っていたことを君が知らないからと言って、運転手さんに聞くのはナンセンスだよ」
「そうですか、すみません」
「ポルノ映画やポルノグラフィはそのものだから創作活動には結びつかない。でもそれらと違ってエロスのある深夜放送はリスナーを刺激して...いや、これ以上は言わないが、こっちの方がずっと創作活動のためにいいということだよ」
「その通りだと思います。つボイノリオさんは今でも中部日本放送で朝9時から番組をやっていて、営業で三重県まで行くと放送が聞けるのでお客さんが三重に行けと言われるのを楽しみにしているんですよ。ああ、海金剛に着きましたよ」
その後N先生と私は潮岬灯台で下車する予定でしたが、N先生が運転手さんを気に入りもう少し大島の観光地を一緒に回りたいと言われたので、私だけ潮岬灯台の近くで下ろしてもらい、N先生はMさんが運転するタクシーで大島に戻りトルコ記念館、樫野埼灯台の方面に向かわれたのでした。