プチ小説「いちびりのおっさんのぷち話 東京はほんまええとこでっせ編」

わしが幼少の頃はほとんど大阪府内におったが、唯一他府県まで行ったのが父親の故郷の岡山やった。きれいな魚がようさん泳いどる川に浸かって、たまに水中眼鏡でハヤやウグイを見たりするだけで満足しとった。というのも手を伸ばすと魚は驚いて素早く離れて行ったからで、やっぱり魚を取るんは堤防のところで網をかざしたり、釣り竿を使わんとあかんのやなと思うたもんやった。そんな清流も今はもうなくなってしもうた。30年ほど前のことや。それまでは田舎の清流を見ることくらいしかわしには楽しみがなかったんやが、赤貧やったわしも宿泊せんかったら夜行バスを利用して遠くまで行けることに気付いて、夜行バスで遠方へと出掛けたんやった。今では大阪からやと東北や九州までいろんな路線があるんやが、当時は利用者が多い東京や関東の主要都市だけやった。それで赤貧のわしは行きも帰りも夜行バスで東京に出掛けたんやった。今から28年前のことや。夜の9時に大阪桜橋のバス乗り場から東京へと向かったんやが、東京新宿のバスターミナルに着いたのが午前6時頃で、店が始まる午前10時までどうやって時間をつぶそうかと思案橋いや思案をしたんやった。最初の🚌旅行(こう言うのがええんとちゃう)では日帰り2車中泊で5つの中古レコード店と渋谷の名曲喫茶ライオンに行ったんやった。道中は朦朧としていたけどほんま楽しい旅行やったわ。もう一遍やってみたらと言われたら、しり込みするけどな。それに味を占めてそれからは夜行バスをよう利用しとったんやけど、それから7、8年してトイレ休憩のためにサービスエリアで夜行バスを降りたら、お前の鼾が五月蠅くて寝られへん。どうするねんと強く言い寄ってるのを見たんやった。わしも大鼾をかくから言い寄られたら困るやろなと思うて、それ以降は夜行バスに乗るんは必要最小限に留めるようにしたんやった。それに仙台、山形、小倉なんかに往復夜行バスで行けたんは若かったからで、最近は持病のエコノミークラス症候群も酷なっとるし、遠出は新幹線とか旅客機でしかあかんのとちゃうんかな。船場は独身貴族で60過ぎのおっさんやから、最近は新幹線のぞみばっかりや。それでは旅の醍醐味が味わえへんぞちゅーても知らんぷりや。そやけど問題は旅行の質やから、あんまり東京に行ったことがないわしが偉そうに船場を指導する立場にはない。ここは謙虚に一日の長のある船場先生に教えをいただくことにしまっさ。ねえねえ、船場先生、良かったら教えてね💛マーク。はいはい、にいさん、東京の醍醐味をお教えしたらよろしいですか。そうよーん。ちょっと、そのくらいにしてください。いつものようにどすのきいた声で話してください。そうか、ほたら教えてたってんか。そう、東京のよさというのはわれわれのような余りお金持ちじゃない人には、私が5月18日に日帰りで東京に行った時のことをお話したらわかっていただけるかもしれません。残念ながら、最初に訪れた名曲喫茶ライオンは午後1時からの営業になっていたので、入店はできませんでした。持ち込みレコードを掛けてもらえませんでしたが、その後に訪ねた名曲喫茶ヴィオロンと私の本『こんにちは、ディケンズ先生』のイラストを描いて下さった小澤一雄先生の個展は楽しいものでした。ヴィオロンのマスターや小澤先生と話をすると勇気が湧いてきますし、やっぱり名曲喫茶ヴィオロンの装置でアナログレコードを聴くのはいいものです。コロナ禍でLPレコードコンサートができませんがこうしてひとりのお客としてリクエスト曲を掛けてもらうのは可能なんです。小澤先生にも親切に対応していただいて楽しい時間が過ごせました。そうか、そやけど、それだけやとわしにはすごく地味なことで船場が満足しとるとはとても思えんのやけどな。そうかもしれません、でも小澤先生とヴィオロンのマスターがにこやかに話し掛けてくださるというただそれだけで、私には充分に東京に行った甲斐があったということになるんです。まあ、おふたりとのおつき合いを続けていたら、これからもいろんなことをする可能性が深まって広がっていくちゅーのはなんとなくわかったわ。ほんでも船場の現状は厳しいのとちゃう。そうですね、でもわたしはめげないつもりです。おふたりの笑顔を励みにして頑張りますよ。