プチ小説「クラシック愛好家のクイズ合戦 2」

ジークフリードソンによるピアノ独奏用編曲のシベリウス交響曲第2番が終わると、Nさんは私に声を掛けた。
「そうか、わし、こんなん初めて聴いたわ。だいたい、最初のところで重厚なシベリウスの交響曲をピアノ独奏で弾くことができるんかなとしり込みすると思うわ」
「ぼくはジークフリードソンのシベリウスに対する尊敬の念(最近はリスペクトとよく言われますが)が高まって、たくさんある障害を克服して出来上がったCDと考え一聴に値するものだと思っています。編曲物にはいろいろありますが、この尊敬の念がないと、ただのおもろい演奏というのになってしまう気がします」
「F君は他にもCD持って来てるんか」
「後は、カザルス・トリオのメンデルスゾーンピアノ三重奏曲第1番とブレンデルのシューベルトピアノ・ソナタD959ですね」
「わし、メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第1番大好きやねん。シューベルトのピアノ・ソナタちゅーたら、最後のD960のソナタがええんとちゃうのん」
「ぼくも長年そう思っていたのですが、ディケンズ・フェロウシップでお友達になった方から、このD959が素晴らしいと言われ、聴き始めたのです。幻想的で明るく、最後の楽章はシューベルトには珍しく元気が出てきます。さあ、ここで問題です。このシューベルトの楽曲の通し番号D(ドイッチュ)はどういう意味があるのでしょう」
「それは、モーツァルトのケッヘル、ハイドンのホーボーケンと同様に編集した学者さんの名前やろ」
「ピンポーン。でもぼくは、ドイッチュというのはドイツの、ドイツ語のとか誠実な、正直なという意味があるので、学者の名前と考えなかったんです」
「そうなんやね、F君がせっかく持って来てくれたから、メンデルスゾーンピアノ三重奏曲第1番のCDは全部、シューベルトのピアノ・ソナタD959の方は最後の楽章だけ聴かせてもらうわ。その前にわしからもう一つクイズを」
「お願いします」
「シベリウスは若くして、「フィンランディア」、交響曲第2番、カレリア組曲などの名曲を作曲して裕福になったため晩年というか生涯を通じて名曲を世に送り出したというイメージはありまへん。またロッシーニも歌劇「セビリアの理髪師」を若くして作曲してもてはやされたので、生涯を通じて一所懸命作曲したというイメージが湧きまへん。その一方ヴェルディはイタリア統一のため、お国のために作品を作ったと言われていて、多くの優れたオペラを生涯を通じて残しています。ドイツにもその時の権力者の寵愛を得て大規模で独創的な作品を残した作曲家がいますが誰でしょうか」
「もちろん、答えはワーグナーだと思うんですが、ぼくはワーグナーは苦手です」
「4畳半や6畳のリスニングルームで近所迷惑にならんように聴こうと思うたら、ワーグナーは聴かれへん。大規模な編成、大音量それから歌手の華やかなこと、ライトモチーフ、4幕で上演に15、6時間かかる楽劇とワーグナーは聴衆に度肝を抜くようなやり方(音楽手法)を提示し続けた作曲家と言える。わしも歌劇「タンホイザー」をたまに聴くくらいやけど、もしバイロイト音楽祭の「ニーベルングの指輪」全4夜のチケットが手に入りそうやったら、その音の洪水に魅了されるために最善の手を尽くすやろな」
「チケットはきっと高額で、ウラニアのエロイカが10枚ほど買えるくらいの値段でしょう。それにバイロイト音楽祭はNHKで放送されるくらいですが、ウラニアのエロイカは何度も繰り返して聴くことができます」
「ということは、F君はレコードコレクターであんまりコンサートには行かへんのかな」
「そうですね。ぼくは生はあまり興味がありません。鑑賞会というのも苦手です」
「そうやわな。自宅のくつろげる環境で、ボートを漕ぎながら鑑賞するのがええという気持ちはわかる」
「昔からぼくはレコードでクラシック音楽を聴くことが好きでした。アナログレコードやCDは機械を使って編集されたもので実際の音と異なりまた臨場感にも欠けると言われればその通りだと思うのですが、くつろいで繰り返し聴くことが出来るのなら、そこは我慢してもいいかと思うのです」
「わしは、興味があるコンサートにはチケットを購入して出掛ける、新譜で面白そうなCDが発売されたら高いけど買ってみるというのがええと思うねんけど、F君は外でクラシックを聴くのは名曲喫茶だけ、レコードやCDを購入するのは中古レコード店かアマゾンだけという切り詰めたやり方や。それもええねんけど...これやったら、若い演奏家には気の毒な気がするわ」
「そうかもしれませんね......」