プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生42」
小川は秋子に近くのホテルに泊まることを勧めたが、秋子はどうしても小川と一緒に行きたいと言った。
「秋子さんがそういうなら、それでもいいけど...。いやだめだ。部屋を片付けたので、二人が横になる
スペースはあるけれど、煎餅敷蒲団とお日様と縁がなかった(部屋向きがそうなんだ)掛布団が1セット
あるだけなんだ。今、夜の10時だし、新しい布団を買おうと思っても...」
「そうね。じゃー、二人で使いましょうか」
「うーん。それも、いいかもしれない」
二人が夜食を食べ終えると午前0時を過ぎていた。
「ここに長くいることはできない。でも、1週間くらいは仕方がないかな。大家さんは、引っ越しはいつでもいいと
言われているけれど、いつまでも古い生活のままじゃぁだめだと思うから...」
「そうね。明日、アユミさんに相談してみるわ。うまくいけば、2、3日中にアユミさんと同じアパートに
引っ越せるかもしれない」
「ぼくは明日から仕事で、もし別の新居探しをするなら、今度の日曜日以降ということになるから、ずっと
先になる。一緒に行けなくてすまないけど...」
「まあ、心配することはないと思うけど...。それより、小川さん、明日からは心を入れかえて仕事に励むと
言ったのだから、会社で結婚式の時のように居眠りしないように早く寝た方がいいわよ」
「それもそうだね」
「小川さんが安心して眠れるように私は起きているけど、夜中の間、小川さんの好きなディケンズ先生の本を見たいな」
「ああ、それならその箱に入っているから。見終わったら、またガムテープで閉じておいて。それじゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい」
秋子が「有田みかん」と書かれたその段ボール箱を開くとその中は、ディケンズの著作ばかりだった。
「私になじみ深いのは、やっぱり「リトル・ドリット」と「荒涼館」かしら。エイミー・ドリットやエスタ・サマソンは
小川さんの好みのタイプみたい。この前小川さんと1970年制作のイギリス映画を見たけど「クリスマス・キャロル」は
永遠の名作だと思うから、原作を読んでおかないと。でも、評価の高い、「骨董屋」は悲しすぎるので読まないと思う。
「ピクウック・クラブ」や「オリヴァー・トゥイスト」は作家として活動し始めたディケンズの意気込みが強く感じられるわ。
「バーナビー・ラッジ」について小川さんは、善と悪の対決を描いていると言っていたので読んでみたいけど、もう少し
コンパクトにならないものかしら。「マーティン・チャズルウィット」はお勧めできないと小川さんは言っていたけれど、
「二都物語」と「デイヴィッド・コパフィールド」は代表作だから読んでおかないと。どちらも文庫本で手軽だし...。
「大いなる遺産」は小川さんは、大学生の頃に一度読んだけど、一通り読み終えたら、もう一度読みたいと言っていた。
あら、ここに洋書がある。"GREAT EXPECTATIONS"と書いてある。まあ、小川さんったら...。でも、人間業とは思えないわ」
秋子が最初のページを開くとディケンズの肖像画があったが、お札に折り目を付けて夏目漱石や福沢諭吉を笑顔にするように、
それには折り目がつけられていた。