プチ小説「耳に馴染んだ懐かしい音 16」

二郎が阪急烏丸駅から地上に出て四条通の北側の道を東に歩いていると、ビルから森下さんのおばちゃんが出て来た。おばちゃんがクラリネットのレッスンを受けているミュージックサロン四条があるビルで、レッスンの帰りかと二郎は思ったがおばちゃんはクラリネットを持っていなかった。
「お久しぶりです。お元気ですか」
「二郎君、お久しぶり。元気にしてたの」
「ええ、ぼくは元気ですよ。コロナ禍が一向に終息しないので、落ち着いている時に少し楽しいことをするとかしかできませんが...」
「そうよね、感染症が完全に終息しないと大きなことができないというか。最近もまた感染者が上向き傾向だし...」
「おばちゃんはしばらくレッスンはお休みだと言われていましたが、今日は何か用事で来られたのですか」
「そう、あれからしばらくしてレッスンは再開になったんだけど、私はレッスンを受けなかったの。一緒にレッスンを受けているお友達がしばらくレッスンを自粛すると言ったの、2年間おつき合いしたんだけど、もうそろそろレッスンを受けないと指使いを忘れてしまいそう。それに私ももう50だし」
「それで再開の手続きをして来られたんですか」
「そう、それにこのミュージックサロン四条も7月18日には移転するから」
「でも2年以上のブランクは大きいですね」
「そうね、まったく経験がなくて始めて、7年経ってようやく自分の音が出せるようになったところだったの。だからさかこれから頑張るわよという感じだった。たまにスタジオを借りてひとりで練習するけど、先生の指導がないと好きな曲を吹くくらいで終わってしまう。これではレベルの向上は望めないわ」
「でもグループレッスンだったら、ずっとレッスンを受けて来られた生徒さんとの間に開きが出来ているんではないですか」
「そう、それが心配で今日先生に相談したら、最初は個人レッスンを受けて、またみんなと一緒にやりたいと思ったら、グループレッスンに切り替えたらって言われたの」
「発表会の準備もグループだと楽しいですよね」
「そうなの、合奏をするのはほんとに楽しいわ、それに練習の結果として合奏会での演奏がうまく行ったら、この上ない喜びになるわ」
「はやくグループレッスンが始められるといいですね」
「そうね。ところで二郎君の最近の楽しみはなんなの」
「出身大学の図書館で調べ物をしたり、小説を書くことかな。今のうちにしかできないことということはなんだろうといろいろ考えたところ思い浮かんだのが小説を書くことだったんです」
「大学図書館にはいつ行くの」
「月に2回平日に休みを取ることが出来るんです。その1日を利用して行きます」
「一日図書館にいて小説を書くのかしら」
「いいえ、勿論お昼は学生たちに混じってお弁当を食べたり...それからお昼からは近くの名曲喫茶ムジークに行きます」
「そうなのね、楽しそうじゃない」
「仕事が忙しくて、休日も楽しみがないということで息が詰まりそうだったのですが、苦境を脱することができました。でもこのコロナ禍はいつ収まるんでしょうか」
「私にもわからない。でも仕事ばかりでしんどい時は羽根を休めることも必要でしょう」