プチ小説「谷さんとの会話」

福居は63才で会社をやめて小説の執筆に専念する一大決心をしたが、自分がいつまでにどんなことをすればいいのか、何をすればためになるのか、ある程度の遊びは許されるのかなどの整理がつかなかった。生憎、友人たちは夏休みで連絡が取られなかった。そこで思いついたのが、マッハ5のスピードでM29800星雲に飛び立った谷さんのことだった。
<あの人なら、宇宙人だし面白いアイデアをひねり出してくれるかもしれない。今は本が読まれない時代だし、読者を惹きつけるようなサムシングかなければ駄目だと思う。だけど、どうしたらあの人に会えるんだろう。取りあえず寿栄小学校の校庭に来てみたが...>
前と同じ日曜日の早朝に来たので、辺りに人はいなかった。それをいいことに福居は大声で、谷さ~~~ん、谷さ~~~ん、谷さ~~~んと3度大声で呼んでみた。しばらく待っても返事がないので、諦めて帰ろうとしたが、進行方向高度45度の角度の空を見るとジェット機のように銀色に光るものが現れた。しばらくすると、水泳帽に海パン姿の谷さんが福居の近くでジェットコースターの宙返りのように一回転すると着地した。しばらく谷さんは体操選手のようにポーズを取っていたが、福居が話し掛けるとちょっと怒ったような感じで話し出した。
「アンタガ呼ンダライツデモ出ラレルヨウニ待機シトルンヤガ、今チョウド市民プールデ涼ヲトットッタンヤ」
「Mにっきゅっぱ星雲にも市民プールがあるのですか」
「ソラモチロンアルワサ」
「それにしても、私が3度呼ぶだけで遠くM...」
「イヤ、実ハソロソロ、アンタカラオ声ガカカルトオモッテナ、ひらパーのプールでヒカエテタンヨ」
「そうなんですね、ありがとうございます。じゃあ、早速相談に乗ってほしいのですが、会社を辞めてからどんな感じで小説を書くのがいいでしょうか」
「ソウヤナー、アンタハ今63才ナンデ10ネンクライカタテマニ小説ヲカイタロトオモットルヤロケド、ソンナコトシタラ、イッショウケンメイニマジメニ小説ヲカイテイル若イヤボウニモエタ小説家志望ノワカテト敵対スルコトニナル。コレハ細心の注意ヲハラッテサケントアカンコトヤ」
「そうなんですね。ではそれを実践するにはどうすればいいですか」
「マア、目ガ出ルマデハ、禁欲的ナセイカツヲスルンガエエントチャウ」
「いろんな邪魔を遠ざけるために母校の図書館に通おうと思っています」
「ソレダケナンカ」
「月曜日から土曜日まで9時から17時まではしっかりとパソコンに向かっていようと」
「ソヤケドアンタハイロイロ趣味ガアルントチャウン」
「そうですね、3ヶ月に一度のレコードコンサート、月3回のクラリネットのレッスンは近く再開します。夜景の撮影で遠出したり、天の川銀河の撮影で夜空が暗い街に新月の頃に訪ねたりするつもりでいます。もちろんこれらが優先されるので、母校の図書館に行くのが皆勤賞と言うわけには行かないでしょう」
「ソンナアマイコトヲ言ウテタライツマデタッテモ賞をモラエヘントオモウンヤガ」
「でも私の場合、楽しいことをしてうきうきした気分の中で小説を書いてきたので、それがなくなるということは尽きない創作の泉を失うことです。究極の切り詰めた生活をして浮世の汚れと無縁の生活をすれば清らかなまじりけのない好感を持たれる文章が書けるのかもしれませんが、今となっては無理でしょう」
「ム、ムリナノカ。アンタソンナコトサイショカライッテナゲタラアカンヨ」
「大学を卒業して37年以上経過するとそれまでにいろいろ経験します。大学の頃と同じような清純な心はかけらも残っていないと思います。だから私は大学の頃のことを書こうと思っても、それは60過ぎのオッサンが見た過去の記録に過ぎないのかもしれません。だからこそ、谷さんが何かおもろいことを言ってくれないかと期待するんです」
「ソウナンヤネ、ワカッタ。ツギニ呼バレタトキニハチャントエエコトイウタルカラマットキ」
そう言うと谷さんは前と同じように校庭の中央の方に歩き始めたが、途中で福居の方を向いて、やっぱりひらパーにもどるから、タクシーを呼んでんかと言った。