プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生 手前味噌編」

小川は数年前にディケンズ先生とお別れの挨拶を交わして以来、夢の中でディケンズ先生とお会いしたことはなかった。しかし今日はディケンズ先生と是非とも話したいと思った。それで睡眠前に枕の代わりに北川悌二訳チャールズ・ディケンズ『ピクウィック・クラブ』を枕の位置に置いてその上に頭を乗せた。最初は寝心地が悪かったが、最近小川は仕事で疲れているので10分もしないうちにディケンズ先生が待つ夢の世界に導かれて行った。
「最初にディケンズ先生とお会いした時も今と同じように霧がかかっていた。ほとんど視界がきかなかったが、徐々に晴れてきたぞ。おお、あちらから犬ぞりでやって来られるのは、ディケンズ先生みたいだぞ」
ディケンズ先生が乗る犬ぞりは犬に2足歩行をさせたり、前足で立たせて歩かせたりして、トリッキーな動きを見せていたが、小川の前で止まるとディケンズ先生は笑顔を見せた。
「やあ、小川君、本当に久しぶりだね」
「ご無沙汰しています。先生の方はお変わりないですか」
「相変わらず、私の本を大切にしてくれる人を見つけるために世界中を犬ぞりで駆け待っているのだが、もう少し早いのに乗り換えようかと思うんだ」
「何に乗られるんですか」
「われわれの時代はまだ動力は動物に頼っていたから、やっぱり馬になる。ばんえい競馬の馬なら頑丈そうで寒さにも強そうだ」
「なるほど」
「それよりわれわれは小説に登場したくてうずうずしているのだが、作者の船場くんがわれわれを登場させたいと思わない限りは読者の皆さんの前に出現できない」
「そうですね、でも船場さんもいろいろ苦労されているようですよ」
「それはどういうことだね」
「船場さんは最初第4巻でまず一区切りと考えていたようです。これは今から5年ほど前のことです。でもその後も「こんにちは、ディケンズ先生」は書き続けられました。この小説は船場さんが気の向くままに続きを書いていたのですが、ある時その内容が暗くてつまらないものになっているのに船場さんは気が付きました。それで341話で中断しました。これは2018年5月頃のことです。そこで別の中編小説を書いてみようと「太郎と志郎の夏休み」を15話書かれました」
「私もそれを読んだが、岡山の山間部を舞台にして船場君の幼い日を描いたもので楽しい小説だった」
「船場さんはそれを楽しんで書いたようですが、どうしても続きを書くことが出来ませんでした。根本的な原因は仕事がしんどくなって来たというのがあるようです。それでもう一度、「こんにちは、ディケンズ先生」をやり直してみようと、『こんにちは、ディケンズ先生』の続編というページを新設しそこに第4巻の続きの小説を書き始めました」
「それは今でもコンスタントに掲載しているのかな」
「いいえ、3話だけで終わっています。余りにストレスが溜まりすぎて何をするのも億劫になったみたいです」
「でも無事第3巻と第4巻は出版できたんじゃなかったのかな」
「第3巻と第4巻は幻冬舎ルネッサンス新社のS氏のおかげでよいものが出版できたのですが、コロナ禍のためか、第1巻、第2巻の時のように大学図書館に受け入れられません。そのため公立図書館にも思うように受け入れられず、全国の図書館巡りもできません。その上船場さんは医療機関にお勤めなので、三密回避のため、東京阿佐ヶ谷の名曲喫茶ヴィオロンでのレコードコンサートの開催することももクラリネットのレッスンを受けることもできなかったのです」
「それは気の毒なことだな」
「でも、船場さんは決心されて医療機関を退職され、8月1日からはレコードコンサートやクラリネットのレッスンを再開しようと考えておられます」
「でも今の状況では2ヶ月くらいは自粛が必要だろう」
「そうですね、でもコロナが鎮火したらやりたいことができるでしょう」
「無理をしないことだ。私は58才で他界したが、いろいろやりたいことがあって、またやらなければならないことがあって、そのために寿命を縮めてしまった。船場君はまだ63才、といっても今の年齢は私よりも上だが、なのであと10年くらいはいろんなことができるだろう。健康管理をきちんとしてまた私の小説を書いてほしいものだね」
「どうも船場さんは懸賞小説に応募して小説家として世間に認められたいようです」
「そうなんだね、賞が取れれば、『こんにちは、ディケンズ先生』も脚光を浴びることが出来るかもしれない。人生は長いようで短い。夢を達成してからわれわれのことを考えてくれればいい」
「そうですね、われわれは船場さんの活動を温かく見守ることにしましょう」