プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生43」

秋子は小川が会社に行く時に見送ったが、そのあとすぐに支度してアユミの家まで行くことにした。
小川の家に一人でいる時に来客があったら困るし、引っ越しのために荷造りしたがらんとしたワンルームにいて
ひとりで時間をつぶすことは難しいと考えたからだった。アユミに電話をすると、朝一番でもいらっしゃいと
言ってくれたので、すぐにでも伺うと伝え電話を切った。秋子はラッシュアワーを避けるため、午前10時までは
小川が頻繁に利用している喫茶店で過ごしてから、東京の郊外にあるアユミの家へと向かった。

アユミは友人らしく満面の笑みで秋子を家へと迎え入れてくれ、有難いことだと思ったが、それよりも秋子は先客が
いることに驚いた。アユミは長年の付き合いから秋子の気持ちを察しすぐに応えた。
「大家さんに尋ねたら空きがあるということだったので、さっそく希望者がいることを伝えたの。こちらはその大家さん。
 大家さんは、明日からでも入居できると言われているので、荷物の運び入れの手配をすればいいと思うの。もちろん
 契約手続きをしないといけないけど、私の友人ということなら後になってもかまわないと言ってくれているわ」
「私どもといたしましては、信用できる入居者の友人というのが一番有難いのです。詳しくは説明しませんが...」
「それじゃー、今晩、小川さんにこちらに寄ってもらうように伝えようかしら」
「急がなくてもいいんじゃない。それに仕事を終えてからだときっと遅くなるわよ。さっき聞いたけど、昨晩は一睡も
 していないんでしょ。今日は家に泊めてあげるからゆっくりして。引っ越しが終わるまでは、秋子のことは私がめんどうを
 みるわ。きっと小川さんも、一緒に居たいけどここのところは我慢するべきと思っているわよ」
「そのあたりのことを確認してみるわ。小川さんがお昼休みの頃に電話してみるわ」

夜遅くに小川からアユミの家に電話が入った(注:この話は、1988年を想定しているので、まだ携帯電話は普及していません)
が、まだ会社で今日はアユミの家まで行けそうにない。週末まではそちらに行けそうにないと言っていた。秋子はアユミに
相談してみた。
「ねえ、どう思う。あなたの言う通りになったけど」
「私はちょうどよい具合に進行していると思うわ。今はあなたと小川さんが離ればなれでつらいかもしれないけど、週末には
 ここに一緒に住めるようになるわけだし、楽しみが少し先延ばしにされて待ち遠しい気持ちでいっぱいってところかしら。
 明日には、大家さんにあなたを部屋(新居)に案内してもらうから、必要な家具などを買ってゆけばいいと思うわ。そうして
 小川さんとあなたの荷物が揃えば、新生活が本格的に始動するということになるわね。そうしたら、私もしばしばお邪魔させて
 もらおうかな」
「ええ、是非」
「ところで、さっきから気になっているんだけど、その洋書は何」
「ああ、これは"GREAT EXPECTATIONS"(大いなる遺産)というディケンズの著書で、小川さんが大学生の時に購入したものなの。
 ディケンズの作品は小川さんと私の絆となるもので、これからもずっとおつき合いして行くものなのよ」
「そうなの。共通の趣味があるのはいいことだと思うわ」