プチ小説 「太郎と志郎の夏休み 番外編」

太郎は小学2年生から中学2年生までの7年間、夏休みに父親の田舎で過ごした。川遊び、昆虫採集、スイカやトウモロコシのおやつ、素朴だが美味しい晩餐といったものが楽しみとなる穏やかな生活を送った。田舎にいる間には一度電車で遠くに出掛けたが、神庭の滝の他、井倉洞に2回、津山市内(津山城(鶴山公園)、衆楽園など)に2回行ったが、普段乗り慣れないアイボリーカラーにオレンジ色の線が入った電車に揺られて親戚のおじさんや弟と出掛けるのも悪くないなと思ったものだった。しかし進路を決めなければならない中学3年生になるとゆっくり田舎で夏休みを過ごすというわけには行かなくなった。また太郎が高校生になってからも家族旅行の費用がかかるために行けず、その後田舎でゆっくり過ごしたのは太郎が高校2年生の夏の1週間ほどだけだった。太郎はその後一人で大学生と社会人の時に一度ずつ一泊で父親の実家を訪れたが、松男、竹男、梅男いずれも仕事が忙しく、おばさんはにこにこ笑顔で迎えてくれたが、外をぶらぶら歩くだけで一日を過ごすのは退屈で津山まで足を延ばすためには片道2時間以上かかり一泊二日では断念せざるを得なかった。社会人になってから松男の息子2人を連れて津山市内を散策したことがあり、当時鶴山公園にあった動物園や衆楽園の餌に群がる鯉や津山科学教育博物館(現つやま自然のふしぎ館)でてんこ盛りの剥製を見たことは太郎の脳裏に深く刻まれたが、2人の小学生がどう反応すればいいのか戸惑っている様子を見て、友達との大切な時間を奪ってしまっただけだったのかという後悔だけが残った。
太郎が社会人5年目を過ぎると仕事が忙しくなって余暇は近場で過ごすことしかできなくなり、45才を過ぎると出世コースから外れた太郎はそれから10年ほどは夏休みの頃に4日連休を取ることができたが、そのころ熱中していた槍・穂高登山に出掛ける日に当てたため、父親の田舎に出掛けることはなかった。それでも太郎が57才の時に父親ががんで亡くなり、母親から長年老人ホームで勤労奉仕していた松男たちの母親が動けなくなったという話を聞いた時に、たまたま出雲の病院で研修会があったので、帰りに父親の実家に寄ることにした。
松男が駅まで自家用車で迎えに来てくれることになっていたし、JR津山駅前から出ている高速バスに乗るまでに時間が5時間ほどあったので、父親の実家に行く前に昔クワガタムシを採った謙ちゃんの実家に案内してもらうことにした。松男は言った。
「謙は30代で亡くなったので疎遠になってしまった。おじさんもおばさんも同じ頃に亡くなり、今は家があったところも畑になっている。あれからすぐに中国縦貫道路が通って何もなくなった。太郎が小学生の頃にあったものはこの踏切くらいかな」
「松男にいさん、写真を撮ってもいいですか」
太郎が降りて周りを見渡したが、あるのは姫新線の線路と田圃、畑、道路、民家だけだった。

父親の実家に着くと太郎は松男の母親が横たわっているベットに案内されたが、最後に見た時よりもやせ衰えて小さくなったおばさんは子供用ベビーベッドを一回り大きくしたような柵のあるベッドの中で眠っていた。
「半年前までは普通に自分の部屋で暮らしていたんじゃけど、急に意思疎通ができなくなり暴れるようになった。食事も全然取らないし心配じゃった。1ヶ月くらい前から暴れることがなくなり余り動かなくなったのでこのベッドに寝かせて食事を口に運んどる。それでもほとんど食べないので痩せて行くばかりじゃ」
太郎はいちいち松男からの説明に相槌を打っていたが、おばさんの虚ろな目を見て2、3年前には会話ができたろうにと後悔した。
「もう少し早く訪れていたら、おばさんの元気なところを見られただろうに。そう思うと何か申し訳なくて...」
松男は太郎に応えた。
「こうして時間をさいてここに来てくれたんは、わしら有難いことだとおもっちょる」
隣にいた松男の奥さんも微笑んだ。

それから2か月後、おばさんは天国へと旅立った。近くの老人ホームで30年近くボランティアで働いていて、友人も多かったので葬儀には沢山の人が列席した。太郎も志郎夫婦と一緒に列席した。30年以上会わなかった松男の2人の子供とも控室で再会した。松男の長男は太郎を見つけると声を掛けて来た。
「太郎おじさんですね。ぼくたち津山に連れて行ってもらった時のことを鮮明に覚えています。その時とても楽しかったので、いつ太郎おじさんが来てぼくたちを剥製の博物館や鶴山公園に連れて行ってくれるのかと楽しみにしていたんですよ」
太郎が控室を出ると、知らない間に涙が滲んで来た。
葬儀が終わって出棺する車を見送りながら、太郎は呟いた。
<いろいろお世話になったのに、これっぽっちもお返しができませんでした。おばさん、ごめんなさい>
見上げた空の雲にはおばさんの顔が浮かび上がって見えたが、世話ーねえけ、また遊びにおいでと言っているように見えた。