プチ小説「脳裏を横切る風景」
横川は定年を過ぎて現在は再雇用で働いている身だが、50才を過ぎて妻と別れる際に少しばかりの本とクラシック音楽のCDを持ち出して家を出たので、残された楽しみとして本を再読したりCDをささやかなオーディオ装置で再生することはできた。もちろん横川が住む文化住宅では大きな音での再生はできず、CDラジカセをヘッドフォンで聴くか携帯型の再生装置で聴くかしかできなかった。住居にはもう一つ問題点があって、建付けが悪く隙間が至るところにあるので空調の効きが悪くなって夏は外気が35度近くになると許容範囲を上回り冷房が利かなくなるというのもあった。そんな時はいつも横川は外出して、携帯型音楽プレーヤーを聴きながら散歩することにしていた。
必要最小限だけを持ち出そうと彼が考えて移転先の文化住宅に持ち込んだCDは、フルトヴェングラーの第九を除いては、室内楽のCDばかりだった。
<だって壁がベニヤ板一枚なんだからオーケストラ曲を大音量で流すことはできないだろう。それに交響曲なんかは音が小さいと細部が聴き取れないから欲求不満になる。でも本当のところはここにアナログレコードを持って来たかった。けれどラックスマンのL‐570とヤマハGT2000と1本40キロのスピーカーを2本持ち込んだら総重量が130キロだから、床が抜けるんじゃないかな>
横川はバリリ四重奏団、ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団のウェストミンスター盤やイタリア弦楽四重奏団のフィリップス盤の演奏も好きだったが、弦楽器や管楽器のソロ演奏はそれ以上だった。ヴァイオリンではオイストラフとハイフェッツとグリュミオーとシェリングが、チェロではカザルスとフルニエが、クラリネットではウラッハとド=ペイエとライスターが、フルートではランパルとラリューが好きだった。ピアノは主にベートーヴェンのピアノ・ソナタとショパンのプレリュード、バラード等を聴いたが、ベートーヴェンはケンプでショパンはコルトーだった。また横川はオーケストラ曲をピアノ用に編曲したものもよく聴いた。
それよりもっと好きなのは、弦楽合奏に管楽器が絡むベートーヴェンの七重奏曲、シューベルトの八重奏曲、ピアノに管楽器が絡むモーツァルトとベートーヴェンのピアノ五重奏曲、モーツァルトの管楽器によるディヴェルティメントであったが、アナログレコードを大型スピーカーで聴くことに慣れていた横川には携帯用音楽プレーヤーから流れ出る分離の悪い音には馴染めなかった。
それでもバリリ弦楽アンサンブルとウィーン・フィルハーモニー木管グループの共演によるベートーヴェンの七重奏曲を携帯用音楽プレーヤーで聴いていると昔30年ほど前に神田にあった中古レコード店パパゲーノで同じメンバーのレコードをウェストミンスターの廉価盤であるニクサ盤で購入したことを思い出した。
<あれはレコードマップというムック(mook)を購入してしばらくしてからのことだった。凝り性のぼくはそこにあったクラシック音楽のアナログレコードを取り扱っている関西の中古レコード店のほとんどを訪ね歩いて、次は東京だと勇んで出掛けたのだった。将来のことを考えずただひたすら趣味のことで突っ走っていたあの頃が懐かしいなぁ>
カンカン照りで気温が35度以上あったので横川は登山をする時に愛用していたバケットハットを被っていたが、20年近く愛用していて何度も洗濯したのでグレーの色が落ちて白くなっているところがあった。外に出て5分も経たないうちに帽子の半分が汗で濡れて黒くなっていた。
<あの時は東京のいくつかの中古レコード店でアナログレコードを漁った後に名曲喫茶ライオンと名曲喫茶ヴィオロンに行ったのだった。ライオンでは大きなスピーカーから流れて来る妙なる調べに魅了されたが、ヴィオロンでは音にも魅了されたが、店内に置かれてあったチラシに心が動いたのだった。ヴィオロンでは自分で企画してライヴができる。そのことを10年ほど前にあいつに話したら、もしあなたがそんなことが出来るとして企画して開催をしたら、お客さんが来ないだろうから私が行ってあげると言っていたなあ。ほんとかな>
横川は大阪に住んでいる前妻がわざわざ東京に来てくれるとは思わなかった。それに何の特技もない横川がヴィオロンのライヴで出来るものがあるとしたらアナログレコードのコンサートくらいだが、LPレコードは前妻の元にある。また仮にレコードが手に入ってプログラムを作ったとしても、ヴィオロンのマスターがやりましょうと言ってくれるかだった。
<でもまったく脈がないわけじゃあないし、届はまだ出していない。ここは白黒はっきりさせるためにも、前妻に連絡を取ってみるかな。もう3年も経ったんだ。3年も経ったらコロナも終息に向かうだろうし>