プチ小説「淀川花火大会に行くぞ」
今年はいつも通りに淀川花火大会が行われると聞き、福居の胸は高鳴った。
「だって、ここのところ花火大会はあるにはあるが突然予告もなしに1時間ほど花火が打ち上げられるということが多かった。これでは準備ができないしロケーションもできない。雨が降って中止になるのは仕方がないけれど、コロナのせいで(観客が密集しないように)抜き打ちで1時間ほど開催されるというのでは、写真の撮りようがない」
福居は今年の開催情報を見て時間を確認した。
「19:30~20:30となっている。観覧席の情報も掲載されているがぼくには関係がない」
2019年に撮影した淀川花火大会の写真を見ながら福居は言った。
「大輪の花火を画面におさめて撮ったり。画面いっぱいに仕掛け花火を写すのが王道なんだろうけれど、ぼくの場合はどちらかというといろんなレンズを使って、いろんな形状の花火を撮るのが楽しい。淀川花火大会は今から30年ほど前にも撮影したけれど、その時に撮影した1枚は今までで最高のものだった。緑と赤の花火が彼方此方で飛び交い、あちこちでガーベラのような赤い花びら、黄色い蕊の花が開いている。中には青や緑の彗星のような花火も見られるといったものなんだ。花火は一瞬で姿を変えるから、どの瞬間でシャッターを押して切り取るかなんだけど、落ち着いて撮るためにはロケーションが重要なんだ。前方に人がいて走り回ったり光が明滅すると撮影どころではないから場所を変えることになる。それから淀川の土手で撮るから雨が前日に降ったりするとしゃがむわけにいかなくなるから過酷な撮影条件になる」
福居はふと自分が子供の頃の花火大会がどんなものだったか、思い出してみた。
「幼稚園から小学校低学年の頃までは官舎の真ん中を通る道路のところに子供用の竹で作った椅子に座って、浴衣を着て見ていた記憶がある。その道路は車が通ることがほとんどなく、たまに住民の自転車が通るくらいだった。午後8時を過ぎると打ち上げられる花火が多くなって終わりが近いと感じて寂しい気持ちになったものだった。当時は水都祭と呼ばれていて、会場までの距離が7~8キロだったと思うが丁度いい感じだった。遠くで籠ったような音がするだけで気にならなかった。でも高校1年生の時に見た河口湖の花火大会では頭の上で爆音が聞こえたので花火が嫌いになってしまった。耳を塞いでできるだけ打ち上げ花火から離れたところに行こうとして両親や弟妹とはぐれてしまった。ぼくがいなくなって大騒ぎになり花火見物どころではなかっただろう。今にして思えば、多大な迷惑をかけてしまったと思う。宿の名前を覚えていたから問題は起こらなかったが、下手をすると警察の世話になっていたかもしれない。一時嫌いになった花火がまた好きになったのは、20代半ばで見た茨木弁天の花火大会だった。規模の大きな花火大会でないけれど小さくても打ち上げ花火は心が躍る。それからしばらくして淀川花火大会の撮影に出掛けたのだった」
福居は近くにあったズミクロン35ミリが着いたライカM9を手に取ってみた。
「以前は銀板カメラのM6で撮影していたのですぐに撮影したものを見られなかったが、M9だとすぐに見られる。しかも400枚くらいはバッテリーを気にしないで撮影できる。ロケーションも決まったので毎年茨木弁天と淀川花火大会が楽しみだったのに、コロナで花火大会が開催されず意気消沈していた。でも花火大会が無事復活していつまでも続くといいな」
福居は、コロナがこれ以上酷い状況になりませんように、当日が雨になりませんようにと心から願った。