プチ小説「雨の日のクラシック」

福居は久しぶりの休日に京都府立植物園で花を撮影する計画を立てていたが、前日からの豪雨で行くことを断念した。
<だって隣の市町村で昨晩1時間に100ミリの豪雨が降ったというし、実際その頃この近くも雷鳴が轟いて物凄い雨音がした。ショパンの「雨だれ」で喚起されるような雨だったら厭わずに出掛けるんだが、最近の雨は集中豪雨になることもしばしばなんだ>
実際、福居は一昨日の夜に京都へ五山の送り火を見に行った時に豪雨に遭ったのだった。
<傘を差していても全身がずぶ濡れになる。そうなると飲食店には入れないし、電車でも立っていなけりゃならない。実際、一昨日は雨が止んで1時間半して電車に乗ったがズボンがまだかなり濡れていたのでシートに腰掛けるのを諦めたのだった。今日は午前10時頃からは天気がいいみたいだけど、朝一番に出掛けようと決めていたし突然天気が急変することも考えられるから、順延ということでいいんじゃないかな>
福居は、テーブルに置かれていたブラームスのハンガリー舞曲集のCDに眼をやった。
<昨日、このCDを久しぶりに聴いたけどどこか懐かしい感じがするこの曲の素晴らしさを再認識した。短い曲が寄り合わさったものだし盗作騒ぎがあったのでブラームスの4つの交響曲のように誰からも賞賛を受けるというわけには行かないが、ピアノの連弾もいいし、オーケストラ編曲も素晴らしい、いくつかの曲はヴァイオリン独奏用編曲もある。曲では第5番だけでなく、第1番、第4番、第6番、第17番が素晴らしい。第17番はリッチの名盤クレモナの栄光でも取り上げられている。昨日聞いたのは、N響をしばしば指揮していたオトマール・スイトナーがシュターツカペレ・ベルリンを指揮した1989年に録音されたものだが、オーソドックスで聴きやすい。ハンガリー舞曲のレコードで最初に購入したのはクーベリックのセラフィム・シリーズ盤だったが、これは全曲盤ではなく、1、3、5、6と17~21番が取り上げられている。その後に購入したのがカラヤンのグラモフォン盤だったが、こちらも1、3、5、6、17~20番だけを取り上げている。ぼくの好きな第4番が録音されていないのは残念だけどこれらの曲だけでもこの曲集の素晴らしさがよくわかる。全曲を取り上げているピアノ連弾のコンタルスキー兄弟やラベック姉妹のCDを聴いたけど一つ一つの曲の魅力を引き出していないと感じた。そう言う意味ではアバドのオーケストラ盤も賑やかなだけで同様なんだ。スイトナー盤は一曲一曲吟味して丁寧な演奏をしているから、好感が持てる。これからはこういうあまり知られていないしっとりとした心に沁みる演奏を探すのがいいのかもしれない。白熱の感動させる演奏を聴くためにはもう少し周りが落ち着くことが必要なのかもしれない。人々の心を癒すのは心を揺り動かすダイナミックな演奏ではなくて、美しい旋律を引き立たせる落ち着いた演奏がいいのかもしれない。今のようなご時世だから、地味だけど味わい深いスイトナーがいいのだろう>
福居は何気なくネットを見てみた。
<最近はアマゾンを見てしまうんだが、ブラームスのハンガリー舞曲集を見るとヴァルター・ヴェラー指揮ロイヤル・フィルの演奏やハープとピアノ用に編曲したCDが出ている。小遣いが出来たら購入してみようかな>
福居が窓越しに外を伺うと、朝から降り続いていた雨も上がって斜めに夏の強い日差しがいつからか降り注いでいた。