プチ小説「いちびりのおっさんのぷち話 ディケンズの小説の魅力編」

わしが幼少の頃は両親が少しは勉強のためになると思ってか、習字とそろばんを習わせたんやった。そろばんは4年生の時に3級に合格したんやが、習字はいつまでたっても上達せんかった。ほんで習字は4年生になる前にやめて4年生の夏休みから英語を習いに行ったんやった。特に学校で教えたわけでもない趣味で小学生に英語を教えている60位の女性が、ティンカー、テイラー、セイラーとか言っていたのを覚えているけど、その先生のところには数か月通っただけやった。母親は何とか息子を大学に行かせようといろいろ考えてくれて、6年生からは近くにある予備校の小学6年生のコースの授業を受けることになり、中学1年生の終わりまではそこで授業を受けたんやった。そやけどわしには才能がなかったんか成績は伸びんかった。だいたい秀才と言われてぐんぐん学力を蓄えていく小中学生というのは数学や理科で頭角を表してそれに引きずられるように英語力や国語力を伸ばしていくと思うんやが、その予備校の売りが校長の英語力やったんで、あんまり理数系の教科には力を入れてへんかったし実際わしもその予備校では英語に少し興味を持っただけで数学や理科に興味を持つということはなかった。中学3年生になってからちょびっとだけ勉強頑張ったんで府立高校に何とか入ったんやったが、相変わらず勉強に精を出さんで写真撮ったり映画を見に行ったり漫画を読んだりしとった。これで苦労せんと大学に入られたらわしはろくな人間にならんかったと思うんやが、神さんはそういう怠惰な人間には厳しいということでわしは高校の最後の年とそれからの3年間は闇の中を手探りで歩いた感じやった。暗黒時代の3年目に西洋文学、特にディケンズが行く先を照らして進むべき道を教えてくれるように思えたんで、それをよりどころにして一時は人生の羅針盤に使ったことがある。ちょっとしたほのめかしを察知して行動の参考にしたんやった。わしは口下手やからそのあたりのことをうまいことよう言われへんけど、船場はディケンズ・フェロウシップの会員を11年近くやっとるから、うまいこと説明しよると思う。そうやな、船場。はいはい、兄さん、ディケンズの小説が人生の指針になるという話ですね。そうや、わしは、『デイヴィッド・コパフィールド』に登場するペゴティの兄(ダニエル・ペゴティ)が失踪したエミリを探して海外にも足を運んで休む間もなく捜索する。そうして何とかエミリを探し出して命を救うんやが、わしはここを読んで諦めずに目標を持って行動していたらいつかは救われる日が来るんとちゃうかと思うようになったんやった。そうですよね、例えば、同小説の中で主人公が決心して大叔母のところに救いを求めに行くところも同じような感じです。大きな困難がありますが、それを乗り越え、結局大叔母に温かく迎えられ、主人公が成長するまでは大叔母が大きな力になってくれるのです。そうなんや、ディケンズの小説にはそんな安心感を齎してくれるところがあるんや。『オリヴァー・ツイスト』も救貧院での厳しい生活で辛い目に遭ったり窃盗団の中に心ならずも入れられて苦闘しますが自分を助けてくれる人が現れて、オリヴァーは救われる。ほやけど、ナンシーは気の毒やった。デイヴィッド・コパフィールドのお母さんクレアラも同じや。彼女らには救世主は現れん。そうですね、でも作品を楽しむためには主人公の成長を見守るという形になるので、気の毒な人たちのことを考えると収拾がつかなくなるので仕方がないですね。船場は、『荒涼館』と『リトル・ドリット』が好きやちゅーとったけどこのふたつの小説にもそんなところがあるんかいな。そうですね、『荒涼館』では、ヒロインのエスタ・サマソンが医師のアラン・ウッドコートが好きになる訳ですが、紆余曲折(ジョン・ジャーンディスへの憧憬など)があった末に結婚するというところは読者が安心感を持つところではないでしょうか。ほんなら、お前は『リトル・ドリット』もおんなじようにヒロインエイミーとアーサー・クレナムの結婚で目出度いなぁ、良かったなぁということになるちゅーんやな。確かに兄さんが言われる通りですが、ぼくは『リトル・ドリット』の終わりのところでノーバディとなったアーサーがエイミーに救われるというのもありますが、もうひとつダニエル・ドイスにより危うく破産して行き場がなくなるところを救われるというのもその後のアーサーの人生を明るくする要素になると思うのです。一生愛する伴侶が出来てしかも一緒に会社を経営する友人が出来たところで物語が終わるというのはこの上ないハッピーエンドで終わる小説と言えると思います。そうやな、『骨董屋』のヒロインネルと『二都物語』の主人公シドニー・カートンの最期が余りに気の毒で、『大いなる遺産』の主人公ピップが幸福を摑みかけて挫折するというほろ苦い小説になっとるから、ディケンズの小説は暗いと思われがちやけど、他の小説をよーく読んでみたら、しばしば明るい未来を提示してくれとるやんなー。そうです、兄さんが仰る通りですから、今のように暗い時代にはぼくは名作と言われる、『二都物語』『大いなる遺産』よりも『デイヴィッド・コパフィールド』『荒涼館』『リトル・ドリット』を是非読んでいただきたいと思うのです。