プチ小説「こんにちは、N先生 33」

私は8月になって13日母校にある平井嘉一郎記念図書館に通ったのですが、最近運動不足なので阪急西院駅から母校まで歩いていました。7月から9月でなければなんなくおちゃのこさいさいで歩けたのでしょうが、今年の夏は猛暑で歩き始める午前8時過ぎには暑い日差しが照りつけていました。最初はそれほどでもないのですが、太子道を過ぎて円町の交差点に差し掛かる頃には暑さが身体に沁みてハンカチが汗でべとべとになるのです。
私が首筋の汗を拭っていると、〇野屋からN先生が出て来られました。
「やあ、こういうところに24時間営業のファストフード店があるのは助かるね」
「N先生、ということは今そこで朝ご飯を食べられたのですか」
「いや、朝ご飯は朝6時半に食べたから、おやつになるのかな。まあ、この暑さの中、君とつき合って歩くにはエネルギーを貯留しとかないとね」
「お手間を取らせて申し訳ないです」
「いや、君と話すのは楽しみだから遠慮しなくてもいい。真夏に君が比叡山に登っていても、チャンス到来と思えば君の前に現れるさ。ところでさっき電車の中で、『Dの複合』を読み終えたようだがどうだった」
「本題に入る前に、実は、この小説を読んでいて驚いたことが2つあるのです」
「ほう、君の友人にも藤村進という友人がいるとかかな」
「いいえ、ぼくは高校生の頃に写真部に在籍していたのですが、1年生の夏の合宿で丹後半島に行きました。海水浴が目的のようでしたが、それなら一番賑わいのある間人(たいざ)あたりに行くと思うのですが、久僧海水浴場の近くの民宿に止まったのでした。この小説の最初のところで出て来る網野神社というのは浦島太郎を祀った神社なんですが、丹後半島の付け根にあるので縁を感じます。それから2年生の時は木曽福島に宿を取って妻籠を撮影したのですが、帰りに寝覚ノ床に寄りました。地名だけですが寝覚ノ床もこの小説に登場します。長野県の上松というところにありますが、ここも浦島太郎とゆかりのある観光地です」
「クラブの先輩に松本清張のファンがいたのかな」
「『Dの複合』を読んだのかもしれませんね。この小説によると浦島太郎は竜宮城に3年(300年?)滞在したと考えられ、浦島太郎はえん留(長い期間同じところに拘束されること)されていたとも考えられています。また羽衣伝説も羽衣を着ていた天女が羽衣を若い男に奪われ一定期間拘束されるというえん留の物語と解釈されることがあります。このえん留を取り扱うということがこの小説の根底にあります。もうひとつ取り扱うのが、東経135度北緯35度の径線上の観光地などがあります。これを伊瀬の紀行文の中で提示することで、ある人物が復讐の烽火をあげるのです」
「つまり、えん留と東経135度北緯35度を意識させることである人物に昔あった犯罪のことを思い出させるということだね」
「「僻地に伝説をさぐる旅」を編集部で考えたとなっていますが、実際のところはある人物が企画したものがほぼそのまま通ったという感じです」
「その人物を言うのは簡単だが、もっと他のことをまず話すとしよう。まずこの復讐劇が生まれることになった事件についてだが」
「昭和16年紀淡海峡の友ヶ島の沖合で殺人事件が起きます。この殺人事件は経緯を話すと長くなりますので、事件後大分経って道楽で出版社を始めた奈良林社長(当時宇美辰丸の船主)が船長を陥れたということだけ知っていればいいと思います」
「船長が禁制品を輸送していることを知り、奈良林が船長の口を封じるために船員を買収して機関長殺人と船の放火を偽装した(船長に罪を擦り付けた)ということだね」
「そうです、その殺人事件が起きたのが、東経135度の友ヶ島の沖合ということになります。この事件が起きた場所とえん留のことを奈良林に知らしめて心理的な圧迫を加えようと船長の息子が考えたのでした。最初のところで、数字に拘る坂口みま子が出て来て、135や35という数字が謎を解くために重要だと思わせますが、船長の息子が奈良林に当時のことを思い出させるために友ヶ島と同じ経度の観光地を紀行文に乗せただけで別に重要なこと(数字)ではありません。坂口は奈良林に殺されますが、部下の武田編集長を脅かすために奈良林が坂口を殺したというのは気の毒な気がします」
「坂口の殺人も、奈良林が二宮と照千代に頼んで実行された武田編集長の殺人も奈良林が過去の悪事がばれないようにと考えて無実の2人が犠牲になった気がするね」
「それに二宮と照千代が奈良林の脅迫で武田編集長を殺すことになったことで、ふたりは自責の念が深まり厭世的になって行ったのは気の毒なことでした」
「ぼくがこの小説で感じるのは、父親を陥れた奈良林に復讐するためにこの編集者はいろんな仲間と共謀して伊瀬を騙したり、墓場荒しをしたりするが、坂口が犠牲になったり上司の武田編集長が殺されたり友人である二宮と照千代を失ったりして、最後は奈良林を絞殺している。それなら最初から奈良林を...と思ってしまう。とにかくこの小説はとても後味の悪い終わり方になっている」
「それでも、ぼくはとても楽しんで読みました。今回も後半は1日ほどで読み終えましたから」
「次は何を読むのかな」
「『眼の壁』です。経済犯罪の話なので、興味津々です」
「じゃあ、読み終えたら、また現れるよ」
そう言って、N先生は、いまから〇つやで回鍋肉定食を食べて帰るからと言って西大路通を北上されたのでした。