プチ小説「シャルル・ミュンシュとの対話」
福居は、2022年7月末で37年余り勤めた医療機関を退職した。彼がひとつの区切りである65才の誕生日まで待たないで,
前倒しで退職したのには理由があった。ひとつは医療機関に勤めていると三密の回避を守らねばならず、クラリネットのレッスンや彼が定期的に開催していたレコードコンサートが開催できないからであった。また彼は今までに小説を自費出版したことがあり、腰を落ち着けて懸賞小説に応募したいと考えていた。それで退職したのだったが、この8月は猛暑日が続き、また家族が体調不良でしばしば病院に付き添ったため、自宅で落ち着いてクラシック音楽を聞きながら小説を書く気になれず無為に1ヶ月を過ごした感じだった。
<一時、夢中で自費出版の小説を書いていた時は、それこそペン先から文字が迸るような(ノートパソコンのキーをモグラたたきしている)感じで、しかも楽しんで書いていたんだが、最近はそれができていない。自費出版の小説は主人公が愉快なおじさんでまわりの登場人物も生き生きと描かれていたのだが、4巻出版して一区切り付けてあるので、その人物たちを懸賞小説に登場させるわけにはいかない。一から考えないと>
福居は今から13年ほど前から気合を入れて小説を書き始めたが、昔からながら族の彼はクラシック音楽を聞きながら小説を書いていた。
<クラシック音楽を聞きながら小説の原稿を書くことはある時点までは快調だったが、収入が減ってオルトフォンのカートリッジが使用できなくなった頃からいろんなものが崩れて行った感じだった。ぼくのオーディオ装置についての知識は大したものではないけど、ラックスマンのプリメインアンプL-570、ヤマハのレコードプレーヤーGT2000にオルトフォンの高級MCカートリッジSPUクラシックG、大型スピーカーオンキョーMonitor2001の組み合わせは100万円以内なら最高の組み合わせだったと今でも確信している。弦楽器の音が美しく何時間聞いていても飽きることはなかった。しかし平日3時間、休日は10時間近く聴いていると半年に一度はカートリッジの針交換が必要でこれが10万円かかった。趣味命、クラシック音楽命なら1年に20万円の出費も仕方がないが年収が減った上に、クラリネットを習ったり、本を自費出版したりしたから節約のためカートリッジの性能を落とすしかなかった。しばらくは我慢していたが弦楽器の音は艶がなくぎすぎすした音に聞こえて耐えられなかった。それでジャズや他の音楽を聞くようになったが、とても小説を書く時のためのBGMにならなかった。それでCDプレーヤーをグレードアップしてみたが、デノンのCDプレーヤーはしばしば音飛びして使い物にならなかった。ラックスマンのアンプとの相性が悪いんだろうか。というのもマランツの中古のCDプレーヤーではそれが改善されたからだった。CDプレーヤーの高級品には手が出ないので、SACDやHQCDのディスクを購入して音質の向上を試みたが、アナログレコードをオルトフォンのカートリッジで聞く音からはほど遠かった。そのあとデノンのSACDプレーヤーが安価だったので思い切って購入したが、しばしば音が出なくなり今はお蔵入りとなっている。十数万円したのに、やはりアンプとの相性が悪いんだろうか。2年ほど前にフォノイコライザーの存在を知りアナログレコードの再生がかなり改善されたので、しばしば針飛びするのを我慢してレコードをよく聞くようになった。オルトフォンのMCカートリッジなら重いので針飛びは相当なことがなければ起こらなかったんだが。半年に1回針先を交換するだけであれこれ考えなくてよかったあの頃が懐かしい。ベストのオーディオ装置で聞いていたのは今から25年前から5年前くらいだったと思う。それが今のような状態になり、クラシック音楽を楽しみながらじっくりと小説を書くことが出来なくなった>
福居がふとレコード棚を見るとシャルル・ミュンシュ指揮パリ管弦楽団が演奏するブラームスの交響曲第1番の外国盤のレコードがあった。
<そもそもぼくがクラシック音楽に興味を持ったのは、豊津ファミリーのレコード屋さんでミュンシュ指揮ボストン交響楽団のブラームスの交響曲第1番のレコードを購入して帰って聞いてからだった。今このレコードを聞いたら、何か新たな展開が生まれるかしら>
そうして福居はそのレコードを聞きながら、安楽椅子に深く腰掛けた。福居は心地よくなって居眠りを始めたが、福居は強くミュンシュさんと話がしたいと願ったのでその名指揮者が夢の中に現れた。
「おう、あなたが私を呼んだのですか」
「こんにちは、はじめまして、福居と言います。今日、ミュンシュさんをお呼びだてしたのはクラシック音楽を聞くにはどのようにすればよいのかということなんですが」
「そやなー、それはあんたが好きな時に好きなだけ聞いたらええねんよ」
「そうですか、ちょっと安心しました」
「そやけどなー、心に留めといてほしいんはレコードを作るためには演奏家だけやなくて、技術者やレコード会社の人とかたくさんの人がいいものを作ろうと頑張っとるということや」
「そうですね、いろんな人の力の結集が一枚のレコードになるんですね」
「わしもレコードを作るために注力したんやが、あんさんそれを楽しんでくれとるか」
「ミュンシュさんのレコードは以前よく聞いたのですが、最近はあまり聞いていません」
「そら最近あんさんがカラヤンに傾倒してわしのレコードをあまり聞いとらんのは知っとる。そやけどなー、すっきりした様式美を追求するような演奏は飽きが来る。わしのような白熱化した燃える炎を彷彿とさせる音楽は飛び火して感情が熱くなるから次が聞きたくなるんよ。そやから聞くのがないなあと思うたら、わしのレコードを聞くのがええのんよん」
「どのレコードがいいですか」
「そらなんちゅーても幻想交響曲やな。他にも、フランク、サン=サーンス、シューベルト、メンデルスゾーン、なんかもええんとちゃうかな」
「ぼくはあなたがボストン交響楽団を指揮していらしたときの演奏が大好きなんですが」
「そうやな、あの時はボストン市民も一緒になって盛り上げてくれたしな。パリ管を振ったブラームスの交響曲第1番がええと言われるけれど、わしが好きなんは、ボストン交響楽団を指揮したベルリオーズの幻想交響曲とサン=サーンスの交響曲第3番とメンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」かな...そうや、あんたにええこと教えたる」
「ええことですか」
「そう、それはやな。ものには精霊が宿っとるから大切にせなあかんちゅーこっちゃ。大切にレコードを聞いていたら、いつかそれに応えてくれるちゅーことや。音が出ない、針飛びするちゅうてレコード聞くのを止めたらそれで終わりや。ずっと聞いてたら、いつかは感情を高ぶらせてくれたりして恩恵を与えてくれる。それがでけへんのやったら、その時はあんたのゆとりがなくなった時やねんから、レコード聞くのをやめたらええちゅーことになる」
「いえいえ、ぼくはいつまでもミュンシュさんのレコードを聞き続けますから、見捨てないでください」
「そうか、そうか、それはお互いさまや。これからもよろしゅーにな」
「ええ、よろしゅーに」