プチ小説「こんにちは、N先生 39」

大将軍小学校の校門から北へ200メートルほど行ったところに梅泉堂という和菓子店があり、栗赤飯が700円、栗餅が140円、栗羊羹が140円ととても安くて美味しいのです。今日は栗赤飯が売り切れていなくて陳列されていたので、私は購入しようと店頭へと歩み寄りました。すると私の横からN先生が現れ、栗赤飯くださいと言われたのでした。わたしは久しぶりに栗赤飯が食べられると喜んだのですが、栗餅と栗羊羹も美味しいので今日はそちらを買うことにしました。
「先生もこちらでよく和菓子を買われるんですか」
「いや、それは少し違うよ。厳密に言うと栗赤飯はごはんでお菓子ではない。私は和菓子店で赤飯やおこわと言われているものを買うのが好きなんだ」
私はいつもN先生が厳しいことを言われるので、決して、私は甘党なんだと言わないと思ったので和菓子の話はしませんでした。
「ところで君は今サマセット・モームの『人間の絆』を読んでいて、主人公フィリップ・ケアリがキングス・スクールを中途退学するところまで読んだんだったね」
「そうです、主人公フィリップは足に障害があって友人からいじめにあったりするからか友達付き合いが悪く、また変な思い込みであらぬ方向に事態が悪化します。成績が優秀なため牧師の伯父が希望するオックスフォードで聖職者になるための勉強をすることになっていたのに友人と喧嘩をして学校での勉強に嫌気がさし聖職者になることを拒みます」
「それでフィリップはドイツでドイツ語を勉強したいと言い出した」
「ここでモームは自分と同じ道を歩ませようとする牧師である伯父ウィリアム・ケアリのことを悪い人のように描いています。しかもさらにひどいのは、無理な神頼みをしてそれが叶えられないからとフィリップは無神論者になってしまいます。血縁関係はありますが、それまで親しい付き合いがなく母親の死によって突然身寄りがなくなった10才そこそこの少年を引き取って跡継ぎになってほしいと高額の教育費をつぎ込んだのに、聖職者は向かないとキングススクールでの勉強をやめてしまいドイツ語の勉強をしたいと言われるのでは、伯父が立腹するのはもっともだと思いますし、伯母さんと同様にぼくも悲しくなります」
「しかもハイデルベルヒでのドイツ語学習はこれといった成果は上がらなかったようだ」
「もともと伯父が友人の牧師の娘ミス・ウィルキンソンに相談して紹介してもらったんですが、ハイデルベルヒに住むエルリン先生のところに下宿して勉強するというだけでエルリン先生というのも町の中学校の先生だったのでキングス・スクールで受けていたようなちゃんとした教育ではなかったようです。成果としては、ヘイウォードと親しくなったくらいですか」
「確かに何度もふたりは手紙のやり取りをしていたようだが、ミス・ウィルキンソンのことでヘイウォードに手紙で相談した時に「なんて下らない世迷言だ!」と言っているくらいだから、フィリップは彼のことをあまり信用していないようにも思える」
「第1巻の終わりの方で、フィリップがドイツから帰って来ると、ミス・ウィルキンソンが伯父伯母と同居しており、ミス・ウィルキンソンとしばしば会話を交わすようになります。最初はこの女の人を嫌っていましたが、フィリップの持ち前の屈折した性格のためか急に熱せられてその後は急激に冷えていきます」
「ミス・ウィルキンソンもすべてを捧げて尽してあげたのになんなのと叫びたくなるようなことをされたが、フィリップはカエルの面になんとかという感じだ。ほんとに自分勝手で思いやりのない男だ...」
「20才そこそこでは周りのことに気が行かないのだと思います。ぼくも若い頃はフィリップと同じようだったと思います。今のように周りのことを考えて行動するようになったのは、N先生をはじめ多くの人から教えてもらったからだと思います。フィリップも第4巻の終わりの頃には、アセルニーの娘と幸せな家庭を築くのですから、今のところはフィリップの若気の至りをモームが矢鱈詳しく描いているだけだと思うんです。これから後はフィリップも成長していくでしょう」
「フィリップはこのあとパリに出て絵の勉強をしたり、医学生になって医者になる過程が描かれる。際立った登場人物が出て来るから、物語も面白くなるだろう」
「クロンショーやミルドレッドですね。ぼくも楽しみにしているんです」