プチ小説「こんにちは、N先生 40」

私は最近45分程で阪急西院駅から大学図書館まで歩くのですが、10月後半に入り最低気温が10度程となったため利尿剤を服用している私はトイレに行きたくなって困ることがあります。コンビニには大抵客の利用できるトイレがあり私もしばしば、あー助かったということがあるのですが、大学までの往復の道で利用するトイレのことを考えなかった私は突然の尿意にどうしようかと思いました。幸い等持院道のバス停近くに〇ブンイレブンがあり、利用できるトイレもありました。先に入った人がいて、もしその人が長くかかる方だったら大変だなと思いましたが、2,3度身をよじらせてこらえているとザーっと水を流す音がしてN先生が出てきました。私は焦っていたので挨拶を済ますとすぐにトイレに入りましたが、先生は君が出て来るまで待っているからと言われました。私が爽やかで晴れやかな気分になってトイレから出て来るとN先生は、私も大学まで行くから、『人間の絆』の話をしないかと言われました。
「先生とお話してからまだ10日も経っていません、それで話すことは余りないのですが、フィリップがパリに出て画家になるための勉強をするというところから、2年勉強してもこれと言った成果が上がらない、しかも伯母が急死して伯父から葬儀を手伝ってほしいと連絡が入るところまでならお話しできると思います」
「そう、それがフィリップがパリで絵の勉強をしていた期間ということになる。彼はハイデルベルヒでドイツ語の勉強をした後、計理士事務所で働くことになるが1年の契約期間に将来やりたいことが見い出せず、どうせなら、やりたいことで頑張ってみようとパリに出て絵を習うことになった」
「フィリップは『ボヘミアンの生活』に深い感銘を受けて詩人ロドルフォに憧れます。題名と主人公の名前から、これはプッチーニのオペラ「ボエーム」のことを言っているのだとわかりますが、画家はマルチェッロで、ミミはロドルフォに恋したのだから、本当のところは詩人になりたいとフィリップは思ったのかもしれません」
「そう言えば、フィリップは画家の友人ローソン、クラトン、フラナガンとともにアミトラーノの(美術)学校でフォアネに習ったが、彼らとの付き合いより、詩人クロンショーから多くの示唆を受けたようで、特にペルシア絨毯についての言及はフィリップの心に深く残ることになるんだ」
「クロンショーは(フィリップが)人生の意義如何と訊いたが、ペルシア絨毯を見れば自然に答えがわかってくるとクリュニ美術館(中世の装飾品などが展示されている)に行くよう勧めます」
「その回答が第4巻に出て来るわけだ。印象に残る登場人物と言えば、ファニー・プライスがいるが君は彼女のことをどう思う」
「そうですね、最初の頃フィリップは性格や容姿から彼女に対してよい印象は持ちませんでしたが、何度か出会って話すうちに親しくなっていきます。女性なのに性格が粗暴でだらしない(これは経済的に困窮していたからでしょう)。それでもフィリップは親しみではなく哀れみを感じて、彼女と時々会ったりします。しかし彼女が精神的にも経済的にも追い込まれて窮地に立った時にフィリップはスペイン人の新しくできた知り合いとの付き合いで忙しくなります。フィリップはファニーのことをかまってやれなくなり、追い込まれてどうしようもないとの手紙を受け取って彼女の家に駆けつけた時にはファニーが天井の折れ釘に綱を結びつけて縊死するという気の毒なことになってしまいました」
「そんないろんな登場人物が出て来るパリの2年間というのは、ファニー・プライスの気の毒な話もあるが、読んでいて楽しい。それまでのところはモノクロ写真みたいだが、パリのところはカラーの映画のようで華やかだ」
「モームの登場人物の口を借りた美術評論みたいなところも、楽しく読みました。ルノアールやゴッホが登場せず、ゴーギャンもほんの少しだけなんですが、モネ(サン・ラザールの停車場)、マネ(オランピア)、アングル(オダリスク、泉)、ダ・ヴィンチ(モナ・リザ(ジョコンダ))、フェルメール(レース織工)それからレンブラントとエル・グレコなどが紹介されていて本当に楽しかった。特にモネのサン・ラザール停車駅はうちに複製画があるので、ファニーがフィリップにその絵を紹介するところは興味深かったです。ファニーは先生のフォアネから才能がないとけちょんけちょんにやり込められますが、それでも絵の勉強を続けます。このファニーの態度に勇気づけられる人もいるんじゃないでしょうか」
「とにかくフィリップと仲良くやっていた時のファニーは、まるで老女が20才の学生に戻ったようになった。フィリップがスペイン人の男性に興味を持たずにずっとファニーのことを気にかけてやればファニーが不幸になることもなかったのにと思う読者は多いだろう」
「先生、ぼくはここのところでもう一人気になる人物がいるのですが」
「絵の先生のフォアネだろ。フィリップは2年間目が出ないんでフォアネに相談に行くが、それについての回答が身につまされる思いがする。誰でも失敗をすることがあり、そんな時にフォアネの以下の話はじんと来るだろう。「だがね、もし君が、私の意見を聞きたいというのなら、言ってあげよう。一つ、しっかりした勇気を出して、なにかほかのことを、やってみるんだねえ、ひどい言い方かもしれぬが、このことだけは、言っておこう。つまり、私が、君の齢頃だった時分ににだねえ、もし誰か、この忠告をしてくれたものがあったら、私は、どんなに有難かったかもしれない。そして、きっと、その忠告に従ったろうねえ」(中略)「もう手おくれになってしまってから、自分の凡庸さに気がつくなどというのは、君、残酷なもんだよ。それじゃ、少しも気持ちは救われやしない」というところは、フォアネがフィリップをやさしく諭しているところが思い浮かんで、心に残る場面と言える」
「敗者に労いの手を差し伸べているという感じですね。でもこうなりたくないから俺は頑張ろうという人もいるでしょうね」
「まあそういういろんな見方が出来るところがモームの小説の面白いところかもしれない。アイロニーで嫌悪感を持つ人がいるかもしれないが、そうした発言のいくつかは内容をよく吟味すると人生のためになる金言になるものもある。モームの他の作品をもっと掘り下げて読んでみるのも面白いかもしれないよ」