プチ小説「こんにちは、N先生 43」

私は昨月旅行で郡上八幡に行った際に65~200ミリのズイコー(オリンパス)ズームレンズを購入したのですが、試写する機会がなく残念に思っていました。ライカM9にアダプターを取り付けてそれと繋ぐのですが、距離計が使用できないため、∞(無限大)に距離を合わせて遠方を撮るしかなくてなかなかその機会がなかったのです。もちろん家にオリンパスOM1が2台あるのでそのどちらかに取り付けて使えば距離計が仕えてピント合わせが出来ますし問題ないのですが、デジタルに慣れきってしまった私には銀板カメラを使う気にはなりません。フィルム代、DPE代を合わせると2000円はかかりますしすぐに結果がわからないというのも難点なので、機会が来るまで我慢していました。紅葉シーズンで京都の観光地を撮ろうと思っていたのですが、昨日のニュースで嵐山の紅葉が最盛期であることを知りこの夏五山の送り火で失敗したこともあり渡月橋を撮ることに決めました。渡月橋は桂川に掛かった橋ですが、どちらが東側でどちらが西側かわかりにくいところがあります。それで私は阪急嵐山側と嵐電嵐山側と言うことにしています。阪急側と嵐電側の両方の川岸で50枚ほど渡月橋の写真を写した私は阪急嵐山駅と渡月橋の中間あたりで営業している屋台の和菓子店でみたらし団子を食べて帰ることにしました。1本150円の団子を2本買ったところ屋台の裏にある赤い布を敷いた長椅子で食べてもらってもよいと言われたので、私はテントの横を通って屋台の裏へと行きました。赤い大きな蛇の目傘が椅子の端に取り付けられて京都らしいなと思ったのですが、そこにはN先生がおられました。N先生は五平餅に取り掛かっておられましたが、私に気付くと、やあと声を掛けられました。
「私が、『人間の絆』を読み終えたという情報が入ったのですか」
「まあ、そうだねえ。どうだい約40年ぶりに読んでみての感想は」
「前にも言ったかもしれませんが、私は自分の読解力に余り自信がなくて巻末の解説を読んで、そうか、著者はそういうことが言いたかったのかと思うのですが、今回、じっくりと『人間の絆』(中野好夫訳)を読んでみて、そうしてその後で巻末の訳者の解説を読んでみて、私の思ったこととちょっと違うなと考えたところがいくつかありました」
「ほう、それはどんなところかな」
「まずタイトルである『人間の絆』の絆のことですが、Of Human Bondage のことを中野氏は『人がその情念を支配し、制御しえない無力な状態を、私は縛られた(ボンデイジ)状態と呼ぶ。なぜならば、情念の支配下にある人間は、自らの主人ではなく、いわば運命に支配されて、その手中にあり、したがって、しばしば彼は、その前に善を見ながらも、しかもなお悪を遂わざるをえなくされる』とか『主人公ケアリの半生は、絆に縛られた一人の人間が、やがて絆を断ち切って、自由な主人たる人間になるまでの発展である』と言われています。私が「絆」と言われて思い浮かべるのは、「親子の絆」とか「友達との絆」とか「同好の士との絆」とか掛け替えのない、親密な繋がりを連想します。そのためBondage の訳語の拘束とか、モームが言う、縛られた状態のことであると思わないのです」
「ほう、中野氏が説明することと君が言う一般的な解釈と違うんだね。そうするとどうなるのかな」
「中野氏の解説を読むとその辺りのことが少しは理解できて、『人間の絆』というのは、主人公フィリップが彼に課された拘束、縛られた状態を克服(絆を断ち切って、自由な主人たる人間になるまでの発展)していく小説だとわかって、最後まで楽しく読むことができるのです。「絆」を友好的なもので大切にしないといけないものと考えるとタイトルは内容を暗示させるネオンサインのようなものでなくなり、人間同士の絆はいったいどこにあるんだろう。この小説は何を言いたいのだろう。「ペルシア絨毯」の謎の説明は面白いから、心に留めておこうということだけで終わってしまうのです」
「ということは、モームがスピノザの哲学書からの引用と言っているから、スピノザをいろいろ研究する必要はなくて、Of Human Bondage のボンデイジというのは、縛られた状態または拘束と考えればそれ以上突っ込んで考える必要はないということかな」
「そうです、それにボンデイジには性的な意味もありそのことはミルドレッドとの恋愛を挿入というか、メインストーリーに持って来たという構成から作者の意図が伺えます」
「ミルドレッドの拘束以外にも主人公が縛られたというのはあるのかな」
「生まれついての足の不自由というのがあります。これは医学生になって手術をすることになり、完全に治ることはありませんが改善します。また将来の伴侶となるサリー・アセルニーに自分が障害者であることを伝えたところ、「あなたは、ほんとに馬鹿ねえ。本当に、そうだわ」と言って接吻されます」
「そう言って、サリーはフィリップのことを優しく抱きしめてくれたわけだ。その他にも拘束はあったね」
「そうですね、両親と死別して世話になることになった伯父が教会の牧師で、そのためフィリップも教会の牧師となるべく勉強しますが、いろんな経緯があって、彼は神様を否定し無神論者となります。こうしてフィリップは宗教の拘束から逃れたと言えます。その後ドイツのハイデルベルヒでのドイツ語の勉強を始めますが、下宿に到着してフィリップは、「ああ、幸福だ、僕は」と言っています。一年後、パリで画家になるための修行を始めますが、絵を習い美術館に頻繁に足を運びます。画学生のローソンや芸術愛好家のヘイウォードと親しくなりますが、2年頑張って絵の先生から才能がないとの指摘を受けてからはパリを離れやがて画家の夢も諦めてしまいます。そうしてヘイウォードが客死し、ローソンとの親交も終わってしまいます。ここは絵画という芸術との拘束が解かれた場面とも考えられます」
「そう考えるとフィリップの人生というのは神を敬うこともなく、芸術にも興味が持てなくなり、たとえいろいろ問題があるとは言えミルドレッドという一人の女性を愛し続けることが出来なかったという味気ない半生だったということも言えるんじゃないか」
「『人間の絆』は教養小説と言われています。ぼくはその所以は、フィリップはそれらのことを受け入れて自分なりに奮闘してみて、その結果自分には向いていないと見切りをつけて次へと進んだと考えるのがいいのではと思うのです。そうしたいろいろな経験は彼の人生に役立っているのです。そうして彼はこつこつ勉強して入学できた医学校を卒業して医師となります。それから彼の気配りは気難しい研修先の医師に気に入られて一緒に診療所をやって行くことになります。いろいろな女性との付き合いで楽しい想いや辛い思いもまししたが、ようやく理想の女性と巡り合うことが出来て結婚します。こういった流れがあるから最後まで楽しいと思うためには、『人間の絆』というわかりにくい、逆のことを言っているタイトルは避けた方が良いように思います。何だかわからないタイトルだけど、最後の解説で、中野氏がペルシア絨毯の謎が解けるところを再掲しているし、そこさえ心に留めておけばいいかというのでは、もったいないなという気がします」
「なるほど君が言うように「縛られた状態を克服」と考えて読めば最後まで楽しく読めるかもしれないが、君はどのようなタイトルにすればいいと思うのかな」
「そ、それは、『オブ ヒューマン ボンデイジ』で、どうでしょうか」
「うーむ、その程度だろうな」
「人間の絆を断ち切ってとか、課された拘束の克服ではどうですか」
「それもいまいちだから、ここは言いたいことを飲み込んで『人間の絆』でいいんじゃないか」
「そうですね、人間の絆を大切にしようとは言っていませんからね」