プチ小説「こんにちは、N先生 46」

私は俄かに感情が制御できなくなって、小説を自費出版したり、危険極まりない登山をしたり、コストパフォーマンスが極めて低いのにライカを購入したりするのですが、今から25年前にもそう言ったことがありました。当時ヘール・ボップ彗星が発見されて、2,3か月後にはマイナス1等星位の明るさになる。美しい彗星なので望遠鏡で観測してほしいという天文ファンを発情させる、いえ一念発起させるようなコメントが新聞、雑誌などに載りました。高校一年の頃に天文ファンとなって以来、予算が許す限りで、天文ガイドを購入したり、プラネタリウムを科学館で見たり、山陰にある天文台に出掛けたりして自己満足に浸っていたのですが、この時は一生に一度しかないチャンスと発情、いえ一念発起してタカハシの100ミリの屈折望遠鏡を50万円で購入したのでした。もちろん月賦でした。しかしながら発注生産なので肝心のヘール・ボップ彗星が最大になる時には間に合わず、望遠鏡が自宅に届いた日にはヘール・ボップ彗星は3等星で肉眼で見えにくいくらいになっていました。仕方なく月食、月の満ち欠け、木星、土星を半年ほど見てお蔵入りとなったわけですが、その時にお世話になったのが、私のような俄か天文ファンでも理解できる天体観測入門書をあまた出版されている藤井旭氏の本でした。1月3日に日経新聞に藤井氏の訃報が掲載されたので、家にある藤井氏の本5冊を手に取ったのですが、他に藤井氏著の面白い本がないかとJR高槻駅前の松坂屋高槻店の中にあるジュンク堂書店に出掛けたのでした。愛犬チロや自らが運営する白河天体観測所についての著書を立ち読みしていると横から覗き込む人がいました。それはN先生でした。
「君は大学を卒業してから天文学に興味を持つようになったのかな」
「そんなかっこの良いものではありませんが、月食や近場で満天の星を見るのは好きですよ」
「なるほど、時間や体力や労力がいるから、天体望遠鏡での観測、小型赤道儀による天の川銀河の撮影、星がよく見えるところまで出掛けての天体観測は諦めたんだね」
「先生が言われる通り、あかんたれの私は、コロナで2度延期になったので小型赤道儀での天の川銀河の撮影は断念せざるを得ない状況です。荷物の総重量が12、3キロになると思うので、年を取れば取るほど遠ざかる気がします。奈良県五條市のほしの国に出掛けるのも体力がいりますから。最近郡上八幡で考えたことがあるのです」
「ほう、それはどんなこと」
「新月の頃だったので郡上八幡の空は漆黒に近く星もたくさん見えたのですが、それは車道から離れた空地まで行かないと無理なんです。そういうところに行くのが危険とはいいませんが、少なくとも近くに住む人に怪しい人と思われるのではないでしょうか。また天体観測の機器を持ち込んだとして、何時間もそこで撮影するのは難しいと思います。特に年を取ってトイレが近くなったというのは私にとっては重くのしかかることです」
「近くで立ち...というわけにはいかないか」
「25年前ならまだ立ちなんとかも許されたでしょうが、今は近くにあるコンビニに駆けこまないといけません」
「そうか、じゃあ、もう君は天体望遠鏡や赤道儀を使って写真を写すのはやめたんだね」
「彗星は新たな発見というのがありますから、ヘール・ボップ彗星くらいの美しい彗星が現れたら頑張ってみたい気がしますが、赤道儀(ケンコースカイメモ)を使って撮影するくらいでしょう。ですからせいぜい一眼レフカメラに200ミリの望遠レンズをつけてということになります」
「そうか、いろいろなことがコロナで駄目になるのは悲しいことだね。ところで、君はようやくヴェルヌの「海底二万里」を読み終えたようだね、どうだった」
「解説を合わせると1000ページ以上になりますから、読むのに時間がかかりました。恥ずかしいことですが、最初にタイトルについての私の思い違いについて話したいと思います。1里というのを仮に4キロと考えると2万里は8万キロということになります。また1海里は1852メートルでその半分以下ですが、2万海里は約4万キロということになります。地球の半径が約6356キロでマリアナ海溝は1万メートルで10キロちょっとですが、深さ4万キロとなりますと、マントル層や核(コア)を突き抜けて地球の反対側に出たとしても到達しない距離と言えます」
「そりゃそうだよ」
「でも私はずっと2万里が深さのことだと思っていたんです。それだけ深いところに住んでいる厭世的な人物の話かと...」
「海底2万里というのは、主人公アロナクスがネモ船長の潜水艦ノーチラス号に8ヶ月乗って世界の隅々の海を2万里ほど航行したという話で決して海の深さではないよね。わかりやすいタイトルにするなら、「海中2万里走行」とでも言い換えるべきかな」
「でもそれだと深海のイメージがなくなって、走行する(あちこちの海を探検する)というイメージになってしまうのでどうかと思います」
「ぼくもこの話は深海のイメージとあの何とも言えない潜水服が印象に残っている」
「今回読んでみて強く感じたのは、学者(アロナクス)とその弟子(コンセイユ)の海の動植物についての説明が山ほど出て来ることで、その名前で動植物をネット検索するのは楽しいのですが、話の筋とは関係がないのに延々と続く気がします」
「そうだね、最初と最後にノーチラス号が敵に対して牙をむくが、それ以外はお宝を満載した優美で最新の装備を備えた潜水艦として描かれている。ノーチラスというのはオウムガイのことだが、オウムガイも敵に致命傷を負わせる、鋭い突起を持っているんだろうか」
「でもそのフォルムがオウムガイに似せてあるのは機能に秀でていていろんな冒険をすることを予感させてくれます。最後の方でノーチラス号が体験させてくれた冒険についてのアロナクスの記載があります。『ノーチラス号に乗りこんでからのあらゆる記憶が、エイブラハム・リンカーン号からわたしが姿を消して以来の、あらゆる楽しいあるいは不幸な出来事がものすごい速さで脳裏を駆け抜けていった。海底での狩り、トレス海峡、パプア・ニューギニアの原住民、座礁、サンゴの墓場、スエズの海底トンネル、サントリーニ島、クレタ島の潜水夫、ビーゴ湾、アトランティス、棚氷、南極点、氷の中に閉じ込められたこと、大ダコとの戦い、メキシコ湾流の大嵐、ヴァンジュール号、そして、乗組員もろとも沈められたあの軍艦の恐ろしい光景』。これらに並行してそれらの地域で見られる海の動植物や地理学的な説明の記載が満載されています。ヴェルヌは、こういった知識を多くの人に披露したかったんだと思います。アロナクス教授の忠実な弟子のコンセイユは大人しく師匠をサポートしますが、それでは物語が進まないので熱血の銛師ネッド・ランドは幽閉されていることに反発し自由を求めます」
「確かにネッドの主張がなければ、温厚なアロナクスと忠実な部下のコンセイユは潜水艦の窓ガラスを通しての様々な海の生き物の観察で一生を追えたかもしれない。そこがネモ船長の作戦だったんだが」
「ネッドが再三ノーチラス号からの脱出を働きかけたので、ふたりも幽閉されての研究よりも自由の方がありがたいと考えるようになったのでした」
「この小説はノーチラス号の船長とやむなく潜水艦に乗せられたアロナクス、コンセイユ、ネッド・ランドの冒険を描いた海洋冒険小説だが、ノーチラス号の最新装備を見ると近未来的なSF小説のようなところもある」
「私の場合、SFは余り読まないのですが、この長大な小説がどのようにして幕を閉じるのかと興味を持って読みました」
「事故で船内が混乱しているすきに船のボートで脱出するのだが、ノーチラス号が爆発したとか、海の藻屑となったとか書かれていないから、ネモ船長は健在で引き続きノーチラス号での航行を続けたことだろう。そうしてアロナクスは恐らく学会でノーチラス号に乗船した時に見た海の生物を多くの人に紹介して賞賛を浴びたことだろう。ちゃんちゃんという終わりになる」
「私が今まで読んで来た、ディケンズ、モーム、デュマなんかの小説と違って、ストーリーの展開よりヴェルヌの海に関する知識を教えてもらった、楽しませてもらったという感じで、これはメルヴィルの『白鯨』と似ている小説だなと思いました」
「君はディケンズを読み直すより、読みたい海外文学をいろいろ読んでみるのもいいかもしれない。でも松本清張ばかりというのは駄目だよ」
「そうですね、『大いなる遺産』は述べ7回、『二都物語』は延べ4回、『荒涼館』は延べ3回、『デイヴィッド・コパフィールド』と『リトル・ドリット』は3回になりますからね。清張さんの小説は面白いのでどんどんどしどし読みたいところですが、今まで通り西洋文学を中心に読み続けたいと思います」