プチ小説「こんにちは、N先生 47」

最近、私は大学図書館に行く時、行きは阪急烏丸駅から12番か、55番の市営バスに乗るのです(帰りは阪急西院駅まで歩きます)が、12番のバスに乗ってしばらくすると堀川御池のバス停でN先生が乗車して来られました。先生が真直ぐ二人掛けの椅子に座っている私のところに来られたので、私は本を閉じて窓寄りに身体を寄せてN先生が座れるスペースを作りました。N先生はそこに掛けられ、笑顔で話を始められました。
「この近くの堀川音楽高校の音楽ホールで6月にJEUGIAミュージックサロン四条の発表会があるということで下見に行って来たんだ」
私はN先生が出場されるわけでもないのになぜかと思いました。すると私の反応を見てN先生は言われました。
「君は確かに自分は出るつもりだが、私が出ないのになぜわざわざ下見に行ったのかと思っただろう」
「そうです、その通りです。なぜ行かれたのですか」
「それはもちろん」
「それはもちろん」
「暇だからだよ」
「がくっ」
「まあ、ホールの隅っこで君の演奏を見させてもらうつもりだけれど、5ヶ月先のことだからどうなっているかわからないよ」
「もう少し、頑張れよとか言ってもらえると思ったのですが...そう言わずにしっかりと目に焼き付けておいてください」
「というと来年どうなるかわからないということなのかな」
「今母親が入院していて、身体の機能が以前より落ちています。世話をする時間が増えることが確実ですから、今までのようにレッスンが受けられなくなる可能性がかなりあります。それに私自身も初めて不整脈を近医から指摘されましたから悪化する恐れがあります。お酒を極力飲まないように、塩分の多い食品はやめようと健康面の改善に努めていますがなかなか思うように行きません」
「それでも東京への小旅行で息抜きというのができていない現状ではクラリネットのレッスンだけが楽しみというところだから、それをやめないようにすることだね。そうしないとストレスが爆発するだろう」
「そうですね、それにクラリネットと小説を楽しんで書くことをやめたらただの初老のおじさんになってしまいますからね」
「ところで最近君は童心に帰って、『海底2万里』を読んだ後、『地底旅行』を読んだようだがどうだった」
「どちらもフランスの小説家ジューヌ・ヴェルヌの小説ですが、私は3年ほど前に『十五少年漂流記』を読んでこれは少年少女向けの冒険小説だなと思ったのと『月世界旅行』というのが人間の入った砲弾を月に撃ち込むという漫画やアニメでも躊躇しそうな発想の小説ですんなり受け入れられませんでした」
「じゃあ、『月世界旅行』は読まなかったわけだ」
「映画で有名な『八十日間世界一周』や「SF巨大生物の島」という映画のもととなった『神秘の島』にもちょっと興味を持ったことがあったのですが、今のところ『八十日間世界一周』の映画を見ただけです」
「それなのに『海底二万里』と『地底旅行』を読んだのはなぜかな」
「私は恥ずかしがりの人見知りなので、シートの隣の席の人がちらりと私がどんな本を読んでいるのか見られても顔を赤らめなくてもすむような本を読んできました。ディケンズ、モーム、大デュマ、ユゴーなど西洋文学の名作はそう言う意味で気にせずに大っぴらにして読めたのです。ですが最近はちょっと二の足を踏んでいた作品も読んでみようと思うようになったのです」
「ほう、それはどんな作品かな」
「先に挙げた、ヴェルヌの3つの作品が主なものですが、ウェルズの『タイム・マシン』も思い切って読んでみました」
「清水の舞台から飛び降りる覚悟が必要だったのかな」
「大袈裟かもしれませんが、SF小説や冒険小説という広大な領域に足を踏み入れると戻って来られない気が今でもしています。ウェルズは作品が多くないですが、ヴェルヌは大デュマと親交があって筋運びも面白いのでのめり込む気がしました。『海底二万里』『地底旅行』はともに登場人物が際立っていて内容も楽しめる小説です。多分、『月世界旅行』『神秘の島』も面白そうなので、読み始めたら虜になるでしょう。それより先に他の作者の読んでみたい小説がいくつかあります。列挙するとサン=テグジュペリ『夜間飛行』、トゥエイン『ハックルベリー・フィンの冒険』、アラン・シリトー『長距離走者の孤独』なんかは本屋さんで何度か手に取ったけど棚に戻した本なんです」
「そういうのを読んでみたいと思ったわけだ。で、『地底旅行』はどうだったのかな」
「科学者がチームを結成して地底旅行に行くぞ!というのではなく、地底旅行をするのが地球の構造に詳しい鉱物学のリーデンブロック教授とその甥で若い研究者のアクセルそれに現地で雇ったハンスというのはほんまにその3人で行けるのと突っ込みたくなりますが、3人の行動に集中できるのでそれでよかったと思います」
「物語の発端が古書に挟まれていた200年前の錬金術師が残した暗号メモというのも面白いし、それをいとも簡単にアクセルが読み解いてしまうというのも現実離れしている。しかもアイスランドに地底旅行の入口があるということを知ったリーデンブロック教授はすぐにアクセルにその探検に誘うというのも展開が早くて引き込まれる。随所に科学的な興味深い記述があってそれも読者を楽しませる」
「でも途中から筏が大活躍するのですが、ジェットコースターのように荒波にもまれて上下左右する荷物(食料、書物、羅針盤、クロノメーターなどの機器)が落ちることなく手元に残ったのは奇跡というかいい加減というか首をひねるところです」
「壁を爆破して急流に流された後に最後に残った食料が一切れの干し肉とわずかばかりのビスケットだけだったというのもなんとなく笑わせる。そんな数々の危険をくぐりぬけ教授とアクセルは一定の成果をあげて無事生還する」
「地底には太古の生物がいることが発見されました。このあたりはありえないことと思いながらも饒舌な語り口に上手く乗せられたという感じです。こういうありそうでありえないものをもっともらしく描くのも楽しいなと読んでいて思いました」
「それはよかった。とにかくディケンズを再読するのも意義あることだけど、新訳が出ない限りは興味のある本を読めばいいんじゃないかな。そうすれば苦しい時期にも花が咲くこともあるかもしれない」
「わかりました。先生の仰ったことを胸に刻んでおきます」