プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生46」

秋子は小川がアパートにいなかったので、慌ててアユミの家まで帰ったが、呼び鈴を鳴らして
すぐに小川が出て来たのには少なからず驚いた。
「アユミさんが、今から少しお酒を飲んで横になると言っていたので、もし私と入れ違いに小川さんが
 やってきたら、大変なことになると思っていたのよ。なぜ無事だったの...」
「秋子さんは覚えていないかもしれないけど、以前、僕はアユミさんの好きなものは何って秋子さんに
 訊いたことがあるんだけど、覚えている」
「ええ、覚えているわ。金沢の柴舟の生姜煎餅。私は、おいしいと思うけれど、せいぜい数枚くらいしか
 食べられないわ。でも、アユミさんは2、30枚を平気で食べてしまうのよ」
「残念ながら、それは用意できなかったけれど、百貨店でおいしそうな生姜煎餅を買っておいたんだ。
 秋子さんが言う通り、昼寝を起こされて少し気を悪くしていたけど、買って来た生姜煎餅を差し出すと
 歓迎ムードに変わって、「一緒に煎茶でもすすらない」と言われたんで、喜んでごちそうになりますと
 言って、中に入れてもらったんだ。それからしばらく新婚旅行のことや近況を話していると秋子さんが
 戻って来た。呼び鈴を聞くとアユミさんは、今から少し準備するんで、しばらく二人で入口のところに
 居てと言われたんだ」
しばらくして、アユミが、中に来てと言ったので、二人はピアノが置いてある部屋へと入って行った。
まずは、これはお祝いの曲と言いながら、アユミはピアノ編曲のメンデルスゾーンの結婚行進曲を引き
始めた。続いて、ワーグナーの結婚行進曲も引き始めたが、それをBGMにしながら、語り始めた。
「ようやく、お二人そろったわね。結婚式では小川さんに充分聞いてもらえなかったうらみがあるんで、
 たっぷり聞かせてあげるわ。心を込めて引くからね。今夜は、主人も久しぶりに単身赴任の札幌から
 帰るから、一緒に夕飯を食べてね。それではしばらく、私のピアノ演奏をお楽しみ下さい」
アユミのピアノはいつ終わるか分からなかったので、小川は秋子に小さな声で、このアパートに住めるのは
いつからと訊いてみた。
「慌てないで。せっかくアユミさんが歓迎して下さっているんだから、このまましばらく楽しんでいて。
 きっと眠たくなって来るだろうから、アユミさんのご主人が帰宅されるまで、眠っていてもらっても
 結構よ。ねぇ、アユミさん」
アユミから、あなたは仕事で疲れているだろうから、生姜煎餅でも食べて寛いでいてと言われたので、しばらく
横になることにした。

しばらくして、ディケンズ先生が夢の中に現れた。
「それにしても、小川君、よくぞ一触即発の危機を回避したね」
「先生、でも、アユミさんは秋子さんの友人であり、僕のことをよく知っているのだから、無茶はしないと...」
「やはりそうだったのか。君はアユミさんのことをあまり知らないようだ。でも、いずれそのうちにアユミさんの
 力と技を知る時がきっと来るだろう」
「......」