いちびりのおっさんのぷち話 自己満足で終わっても社会のためになるなら編
わしがまだ小学生やった頃、近所にこーちゃんという中学生の頃から登校拒否になったと言われていた14才くらいの子がいたんやけど、この男の子は滅法三角ベースが上手でしょっちゅうホームラン(われわれのローカルルールでは三角ベースの向こう側30メートルくらいにある芝生までフライまたはライナーでボールが届くとホームランやった)を打つことで尊敬されとった。そやけど彼は学校に行ってなかったから三角ベースをやる時以外は家から出ることがなくて、例えば近所の路地で会うことはなかった。そやけどある時近所の駄菓子屋さんに行くとこーちゃんがいて、ひろあきくん奢ったるで、おいしいから飲んでみぃちゅーて、〇プシコーラの姉妹品のミリンダグレープを奢ってくれたんやった。わしはタダで喉越しの良い清涼飲料水を飲ませてもらえるということで、こーちゃんから勧められるままに10回ほどタダミリンダ(オレンジと交互やった)をごちそうしてもろうたんやった。チクロという有害物質が入っているのが分かってミリンダは飲めんようになったんやが、なんでこーちゃんがわしにミリンダを奢ってくれたんかは謎でこのまま一生わからんやろと思うとる。こーちゃんが三角ベースで頑張ったのは自分のことを褒めて欲しかったかろやろけど、それだけでは寂しい。ほんで流行の清涼飲料水を小学生に奢って、他のところでもわしはええとこがあるんやでと思わせたかったんかもしれん。それとも単にわしとお友達になりたかっただけやのかも知らんが、今となっては永遠の謎や。船場もこーちゃんと同じところがあって、あんまり外に出んと自分の好きなことをしとる。本を読んだり音楽を聞いたりしとるようやが、それが高じて小説を書くようになって『こんにちは、ディケンズ先生』を出版したり、クラシック音楽にのめり込んで音の良い外国盤を収集してLPレコードコンサートを開催しとる。自分だけでやる趣味に時間を割いてあいつは友人や職場の人と飲みに行くということをせんかったから、結局職場の人なんかと深い付き合いが出来んかったみたいや。友人こそ人生を豊かにすると言われとるのにそういうことをほとんどせんかったあいつの将来をわしは憂慮しとるんやが、あいつ今までやって来たことをどう考え、これから先どう乗り切って行こうと思っとるんやろ。ちょっと訊いてみたろ。おーい、船場ーっ、おるかーっ。はいはい、そうですね、私が今までやって来たことは、趣味に関連してのことがほとんどで、女性を好きになって、告白して、結婚して、子供が出来て、子供を育てて、子供のいろんな節目で泣いたり笑ったりして一緒に成長して、子供の進学、就職、結婚の際にはアドバイスしたりするということがなかったと言えます。ほたら、お前は女の人を好きになったことはないということか。全くないということはないのですが、うまくいかなかったことを30年経って取り上げる必要があるとは思わないです。実際、40代になってからの私は難しい時期だったということもあり、趣味を楽しむということをエネルギーにして(糧にして)、しんどいことや重圧を克服した(乗り切った)のだと思っています。そうしてその頃自分を支えてくれた西洋文学とクラシック音楽への恩返しとしてその2つの素晴らしさを多くの人に知ってもらおうと思って始めたのが、『こんにちは、ディケンズ先生』の出版とLPレコードコンサートの開催だったのです。そやけどあんた今までにたくさんの本、レコード、CDそれから再生装置でようけお金を使うたし、ホームページを続けるためにパソコンを6台買い替えたやろ。LPレコードコンサートも東京で開催しとるから、その旅費だけでも相当な額になる。そんなふうに一杯浪費しとるのに、もうけは『こんにちは、ディケンズ先生』のきわめてわずかな印税だけというのは虚しいと思わんか。お金を稼いだかどうかということから私の人生を判断したら、失敗の人生としか言いようがないでしょう。浪人が長かったとはいえ、有名大学の法学部を卒業したのですから、それなりの役職について2、3人の子供がいる家庭を持って、年金生活者になっても家族のために頑張るぞと思っていたと考えるのが普通でしょう。でも色々頑張ったけど仕事、恋愛で報われなかった私としては、自分がいなくなった後も何か痕跡を残しておきたいと思うのです。仕事で成果を上げたり、社会の役に立つ子供を育てることが出来れば、それだけでその人が生きていた証となるでしょう。でも私の場合はどちらにも手が届かなかった。それなら何か社会活動や本を残しておきたい。これは、映画「生きる」の主人公が児童公園を残したいと思って奮闘したということに近いことなのかもしれません(主人公は課長でしたが)。主人公が自分で頑張っていろんな障害を乗り越えて竣工できた公園は多くの人からの感謝を得ることができたということですが、私の場合もレベルが劣るかもしれませんが、2000年から2020年頃、船場弘章という人物が東京でレコードコンサートをしたり、イギリスの文豪ディケンズの小説の楽しさ、奥深さを知ってもらうためにディケンズが主人公の夢の中に出て来る小説を4冊書いたということが、誰かの心の片隅に残れば少しは私の人生の意義があったかなと思うんです。わざわざ大阪からレコードコンサートをしに来ていた人がおったなあ、その人何やらディケンズが出て来る小説家を書いててその小説には名曲喫茶ヴィオロンが出て来とったなあと阿佐ヶ谷近辺の人の日常会話であがったらええやろなと思うんです。まあ、そう思うんやったら、そう思っていろいろとやってみたらええ。お金にならんでも。そやけど船場はまだあと10年くらいは活躍できるやろから、諦めんと頑張り。そうですね、少しでもクラシック音楽とディケンズを知ってもらうために頑張りますよ。