プチ小説「たこちゃんの口髭」

ムスタシュ ビゴーテ シュヌルバルトというのは口髭のことだけれど、ぼくは37年余り勤務した医療機関を昨年7月末で退職して1ヶ月してから口髭を生やし始めた。理由はいくつかあって、ひとつは友人の口髭がかっこよかったからで、ぼくの締まりのない顔も少しはマシになるかもしれないと思ったからだった。その人も口髭だけで頬髯や顎鬚はないので、ぼくも鼻の下だけにした。元々毛深い方でないので頬や顎は様にならないと思ったということもある。伸ばし始めて20日ほどで髭らしくなったが、髭初心者のぼくはその後どうしたらよいか全然わからなかった。職場で髭の手入れについての会話を聞いたことがなく(周りで髭を生やした人は一人もいなかった)、今までに髭を生やそう生えたらこうしようというプランもなかった。それでその友人に尋ねたところ、髭バリカンを利用しているとのことだった。それからしばらくネットで髭バリカンを調べたが、2千円くらいから高いものでは1万円以上するものもあった。わずか3平方センチくらいしかない髭の手入れに大金を使うのは勿体ないと思い、今まで愛用して来た鼻毛切り鋏を活用することにした。でも誤って何度か皮膚を切ってしまったので、根元から切る時は電気剃刀を使うことにした。ぼくは口髭の管理で大切なことは、1.鼻の穴に入ってくしゃみをさせたりこそばゆくなったりさせないようにすること、2.長く伸びすぎて口の中に入り食べる時に他の食感が生じたり引きちぎって一緒に食べたりしないことだと思う。そのため唇から2ミリくらいは髭を遠ざけること(裾を揃えること)、1本の長さが1センチ以上にならないようにすることが大事だと思って鼻毛切りで調髭している。ぼくの場合50代後半から頭髪がグレーに変わるに伴って口髭も半分くらい白くなってきたが、伸ばして観察すると右側の方が白い髭が多く6割くらい左側が5割くらいで白い髭が優勢だから、もう2、3年ほどしたら全部が白い口髭になるんじゃないかと思う。髭を伸ばし始めた理由はもう一つあって、多くの偉人が生やしているからで、大好きな小説家ディケンズもそうだし、日本の文豪夏目漱石、森鴎外は2人とも口髭を生やしている。もうちょっと頑張ってディケンズのように👃から下はぼうぼうにしたいけど体毛が濃くないから無理だと思う。クラシック音楽の作曲家の中では、ブラームス、ドヴォルザーク、チャイコフスキー、ヴェルディ、サン=サーンス、ムソルグスキー、ドビュッシー、グリーグ、ヨハン・シュトラウス2世なんかの髭は立派だと思う。ぼくは今懸賞小説の原稿をせっせと大学図書館で書いているけど、そういった偉人に肖って髭を伸ばすことによってぼくの髭面も芸術家の仲間入りが出来たらと思う。大賞をもらってもう少し栄養のある牛肉なんかをどんどんどしどし食べられるようになったら、新陳代謝がよくなって体毛が濃くなるかもしれないから、そしたらディケンズやブラームスのような顔の半分を覆うような立派な髭を生やそうと思っている。駅前で客待ちをしているスキンヘッドのタクシー運転手は口髭を伸ばすとキラー・カーンや安田大サーカスのクロちゃんに間違えられて困るから伸ばさないと思うんだけど、実際のところはどうなんだろう。そこにいるから尋ねてみよう。「こんにちは」「オウ ブエノスディアス ノ テ インキエテス ポル ウナ コサ タン トリヴィアル」「ぼくはべつにくよくよしていませんが」「そんなチューインガム一枚よりもちいこい髭のことでくよくよしてもどうにもならんやろ」「ということは鼻田さんは全身の体毛のことを考えろと言われるんですか」「いや、わしはもっと視点を変えて一所懸命励めということを言っとるんや」「わかりました、東京でLPレコードコンサートの開催をいつやるかとか、こつこつ懸賞小説を書くよりも大穴を当てるつもりで自費出版をやってみたらということですね」「いや、そんなことは言うてないよー。わしは船場はんはもおええ年しとるんやから、若作りのかっこはやめて千鳥格子の背広、腹回りが伸縮自在のゆったりとしたスラックスにしたらどないやのん。40代の時に買うたガスのジャケット、エドウィンのぴっちりした黒のジーンズはやめた方がええと思うわ」「ジーンズはなるべく履かないでスラックスにしていますが、カッターシャツを着るとクリーニングに出さないといけなくなりお金がかかります。それでアンダ―シャツの上にトレーナーとセーターを着てジャケットを羽織るようにしています」「そら船場はん、だいぶ太らはったしセーター着たらジャケットのチャックは締まらんやろ。西大路通をちょびっと走るというだけではいつまで経っても70キロ台に戻らへんよ。たまにはここに来て、うさぎ跳びとリアカーごっこをやったらええねん。そしたら斬新なアイデアが浮かぶかもしれんしな」そう言って鼻田さんが自分のタクシーの周りをうさぎ跳びで回り始めたので、ぼくもその後に続いたのだった。