プチ小説「こんにちは、N先生 51」
私は大のラーメン好きというわけではありませんが、たまに食べたくなるラーメンがふたつあります。ひとつは天下一品のこってりラーメン(鶏のから揚げと食べるととても美味しいです)、もうひとつは神戸ラーメンたろうのたろちゃんラーメン(ラーメンはまあまあですが、キムチ(無料)がとても美味しくてご飯と食べるとやめられなくなります。ここの餃子もイケます)です。最近はぎょうざの満州をしばしば訪れて麻婆豆腐をいただくのですが、ここのタンメンも美味しいのでもう2、3回食べると病みつきになると思います。今日は久しぶりに神戸に行き、ラーメンたろうで思う存分無料のキムチを食べて、JR元町駅前の中古レコード屋でCDを購入して帰ることにしました。ラーメンたろうで小ライスの上にてんこ盛りにキムチを置いて食べた後、さらにたろちゃんラーメンの上にもキムチを置いて食べました。そうしてささやかな満足感に浸った後、JRに乗って三ノ宮から元町に行きました。当初はリズムボックスとハックルベリーでCDを購入する予定でしたが、ハックルベリーではドーナツ盤が150円~250円で売られていたので、そちらに目が行きました。ビリー・ジョエルの「ストレンジャー」、ジャニス・イアンの「ラヴ・イズ・ブラインド」、ビリー・ヴォーン楽団の「真珠貝の歌」、フランク・プールセル楽団の「パピヨンのテーマ」、キングストン・トリオの「花はどこに行った」(このレコードだけノイズがありました)、ボビー・ソロの「ほほにかかる涙」、クリスティーナとウーゴの「コンドルは飛んで行く」「花祭り」、チューリップの「銀の指輪」、ハイフェッツの「ツィゴイネルワイゼン」などを持ってレジに並ぼうとすると、N先生が前におられたのでした。先生は私にアナログレコードを見せながら言われました。
「ぼくが君の通う大学でドイツ語を教えていた頃は、フュージョンの全盛時代だった。カシオペア、高中正義、ボブ・ジェームス、ウエザー・リポートなんかよく聴いたもんだが、たまたまここでカシオペアの「MAKE
UP CITY」、高中正義の「JOLLY JIVE」を見つけたので購入することにしたんだ」
「先生はいわゆるコンポステレオを持っておられるのですか」
「それはない。でもポータブルのレコード・プレーヤーがあるから大丈夫だよ」
「ドーナツ盤ならそう言えるのですが、LPレコード盤は大丈夫かなと思います」
「大丈夫だよ。この前、それでフルトヴェングラー指揮の第9を聞いたから。ところでようやく君はマーク・トウェインの『トム・ソーヤ―の冒険』と『ハックルベリー・フィンの冒険』を読み終えたようだが面白かったかい」
「トムもハック(ハックルベリー)も中学1年生くらいの明るい元気な少年として描かれていますが、どうしても許せないところが一つあります。それを指摘してから本論に移りたいのですが」
「それは何かな」
「当時のアメリカの少年なら当たり前のことだったのかもしれませんが、ふたりともしばしばパイプで煙草を吸います。それが問題のないことのように描かれているので、読書意欲旺盛の中学生や高校生がこれを読むと影響を受けるんじゃないかと心配になります。彼らはこういう時にタバコを吸うのがいいよと物語の中で提示しているので、さらに悪質です」
「確かに青少年の喫煙は有害だが、それくらいの良いか悪いかの判断は中高生でも出来るんじゃないのかな」
「それだといいんですけど。それ以外はトムとハックの物語は興味深く、たくさんの青少年が読んでほしい本だと思いました。解説の中で『ハックルベリー・フィンの冒険』は黒人、『トム・ソーヤーの冒険』はアメリカ先住民(ネイティヴ・アメリカン)に対する人種問題を扱っていると述べられていて、どちらも人種問題を取り扱っているので、『トム・ソーヤーの冒険』ももっと評価されてもいいのではと言われています」
「で、君はどう思うんだい」
「恐らくアメリカ先住民と白人との混血と思われるインジャン・ジョーは幼い頃から度重なる虐待を受けてだんだんと性格が悪くなり犯罪を犯すようになったとされていますが、これは不当な人種差別を受けた気の毒なジョーが犯罪を犯すようになった。このようなことを繰り返してはならないという強いアピールになりますが、悪人が悲惨な最期を遂げるという結末になっておりアメリカ先住民への同情が起きることはないと思います。トムが悪人インジャン・ジョーにやられるところを逃れたという結末だけが残るように思います。一方ハックの方は、黒人逃亡奴隷のジムと行動を共にして何とかジムを自由にしようと奮闘努力します。その過程で黒人奴隷に対する過酷な虐待を読者に知らしめ、読者の共感を得ようとしています。最後はジムが晴れて自由の身となり、ハックとジムはより強い絆で結ばれることになるように思われます。最後のあたりでトムがハックにジムを救出するための方法を教えますが、無駄の多い方法で恐らくジムもトムに対して感謝の気持ちは持たなかったでしょう」
「『トム・ソーヤーの冒険』にハックが登場し、『ハックルベリー・フィンの冒険』にはトムが登場していて、主人公の次に重要な役割をするわけだけど、君の場合、やっぱりハックの方に好感を持つのかな」
「そうですね、先程も言ったように『ハックルベリー・フィンの冒険』でのトムは盗賊団を結成したりハックに知恵を授けたりしますが、どちらもあまりうまく行かなかった気がします。『トム・ソーヤーの冒険』でのハックは途中からトムを助けて難局を乗り越えます。『トム・ソーヤーの冒険』の「ありあまるほどの元気と想像力を持ったいたずら小僧が、友だちにまんまとペンキ塗りを肩代わりさせたり、家出して海賊になろうと考えたり、自分の葬式を見物しようと企んだり、真夜中の墓地で殺人事件を目撃してしまったり、鍾乳洞の奥深くに迷いこんで出られなくなったり」(土屋京子訳『トム・ソーヤーの冒険』の解説からの引用)するところは楽しく読むのですが、トムがいつも物事を冷めた目で見ていて時には悪いこともしてしまうというのはいただけないところです。『ハックルベリー・フィンの冒険』の方はハックの誠実さ、問題を解決しようとする一途さは読書(私も含めて)の共感を呼び起こし、どちらが好きかと問われると、「私はやはりハック」ということになるように思います。恐らくマーク・トゥエインも『トム・ソーヤーの冒険』だけでハックの登場はおしまいとするのは勿体ないと考えて、『ハックルベリー・フィンの冒険』を著したんではないかとぼくは思うんです」
「じゃあ、君もアメリカ文学に目覚めたというわけだ。次はヘミングウェイやフォークナーやスタインベックなんかを読むのかな」
「その時間はありません。サリンジャーやアップダイクも読みません。近く、『ウィルヘルム・マイステルの修業時代』を読んでみたいと思いますが、その前にいくつか西洋文学の短いので読んでみたいのがあります」
「そうか、またその感想を聞かせてもらおうかな」