プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生48」

小川と秋子が新居に移ってから1ヶ月が経過した。隣近所の付き合いになってもアユミは秋子にとって
親切でいざとなれば頼りがいのある友人であったが、小川が休日で家にいる時も秋子がほとんどアユミの
家に行って帰って来ないのには、温厚である小川も腹を立てた。ある日小川は秋子に言った。
「秋子さん、ウィークデーは精一杯働いていて、君の顔をゆっくり見させてもらっていないんだから、
 休日くらいはそばにいてほしいな」
「あら、そう言われるとうれしいわ。でも、アユミさんの家に行くのは訳があるのよ。今日のお昼もアユミさん
 のところに行くから、一緒に来て。百聞は一見に如かずよ」

昼食後、小川は秋子と一緒にアユミの家を訪ねた。秋子はピアノのある部屋に行くとそこに置いてある自分の
クラリネットの準備を始めた。
「また、ヴィオロンでライヴでもするの」
「それも考えているけれど、とりあえずは福祉施設の慰問かなあ」
「それ、どういうこと。もう少し詳しく話してほしいな」
秋子は、この演奏が終わったら話をするからと言って2つの曲を演奏した。1曲は超絶技巧とも言えるクラシックの
曲、もう1曲はあのコンサート以来、秋子のお気に入りの曲となった「春の日の花と輝く」だった。
「小川さんは、今の2つの曲の感想はどう?あえて言うなら、どちらがいい?」
「そりゃー、クラシック音楽の中には心を動かす旋律もあるけれど、どちらかというと様式美や超絶技巧や音域の広さ
 をその魅力としているものが多い。一般受けするのはやはり、「春の日の花と輝く」のような旋律の美しい曲だろう」
「きっと、小川さんは私の意見と同じと思ったわ。私はそれをこの前のレコードコンサートで実感したの。クラリネット
 という楽器は便利な楽器で、いろんな用途に使えるの。だからみんながよく知っている曲を聞いてもらって...」
「秋子、いろいろ回りくどいこと言わなくていいから、ズバリ言ったらいいじゃない。家計の助けに日曜日に慰問を
 始めると」
「アユミさん、忘れないで、慰問をするのは演奏の機会を持つためでもあるということを。だから必ずいくつかクラシックの
 小品を入れるつもりよ」
「じゃあ、秋子さんは...」
「今の時代は、私が小さかった時のように内職をするわけにいかないから。それでこういうことを考えたんだけど。アユミ
 さんは平日お仕事があるし、練習と活動は日曜日になるわけ」
「まあ、とにかく言えるのは、家計が苦しいのだから、日曜日に愛しい人と過ごそうと思うのは諦めなさいってことかな」
「......」