プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生49」

小川は、アユミの家からひとりで帰るとしばらく畳の上で新聞を読んでいたが、連日の酒宴で疲れていた
こともあって、いつしかディケンズ先生が待つ、夢の世界に引き込まれて行った。

小川がふと気が付くといつか夢の中で見たことがある、河岸の景色が目の前に広がった。
<そうだ、ここでディケンズ先生が「陽気に行きましょう」と言ってボートに乗って現れて、「勇気を持って
 行動せよ」と言ってくれたんだった。あれから1年程しか経っていないけど、随分、昔のことのようだ。
 あっ、対岸にディケンズ先生がおられるが、どうして行けばいいんだろう。そうか、この川は浅そうだから、
 歩いて行けばいいんだ>
しばらく歩くと小川は川の深みにはまった。苦しんでもがいていると、やがて目が覚め、顔に新聞紙が巻き付いて
それで呼吸困難に陥っていることが分かった。

小川は諦め切れずにさらに2回、ディケンズ先生に会いたいと思い夢の世界に入って行ったが、川の深みに
はまって目が覚めた。小川は腕を組んで、
<きっと、先生は何かを伝えたくて、このような試練を課しているんだろう。それにしてもどうすれば先生の
 ところに行くことができるんだろう......。そうだ、もしかすると......>

河岸の向こうにディケンズ先生の姿が見えた時、小川は大きな声で叫んだ。
「先生の仰りたいことが、よくわかりました。「言葉の力を信じて、難局に当たれ」ということですね」
ディケンズ先生は右手の人差し指を立てて左右に動かしていた。小川はその冷たい反応に心底泣きたくなったが、
ふと気が付くとディケンズ先生は小川の側にやって来ていた。
「少し薬が効きすぎたかもしれない。でも、こうでもしないと君は私の話を真剣に聞いてくれないだろう。最近の君を見ていると 、
 別人のようで、まるで感覚が麻痺してしまった人のようだ。もちろん、酒や働き過ぎのせいでもあるのだろう。でも、一番の
 原因はアユミさんだと思うんだ。アユミさんという何事においても中心にいたがる女性の存在が君を心理的に圧迫している...」
「先生は、どうすれば...」
「私は君の脳内の住人でありアユミさんのことは詳しくわからないが、この人なら秋子さんを任せても大丈夫と思わせない限りは、
 ご主人も遠隔地にいることだし、絶好の話し相手を手放さないだろう。小川君、酔った姿を毎晩秋子さんの前にさらすのではなく
 学生の時に彼女に一目惚れさせたような君にもう一度戻るんだ。そうして秋子さんの愛情を一身に集められるようにするんだ。
 このままだんだん水ぶくれが酷くなるとさらに秋子さんの心は君から離れて行くだろう。会社の上司とのおつきあいも大事だが、
 それで最も大事にしないといけない人を失ってしまうようなことになると...」
「そうなるとどうなるのですか」
「残念だが、君の人生はおしまいだ」