プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生50」

秋子はアユミの家で遅くまで話し込んだため、自宅に戻ったのは午後10時頃になっていた。
入口のドアを開けると玄関のところの灯りが点いているだけで部屋は暗かった。和室に行くと
小川が寝息を立てて寝ていた。秋子は小川を見て、微笑んだ。
「毎晩、遅くまでごくろうさま。小川さんが平日は遅くまで仕事やおつき合いをしているので、週末はゆっくりしたい
 気持ちはよくわかるわ。でも、それが続くのは...。今日は夕飯作ってあげられなかったけれど、明日はなんとか...。
 あら、何かしら」
小川の枕元にお盆が置かれてあり、その上に手紙が置かれてあった。封筒には、「秋子さんへ」と書かれてあり、
中には2枚の便せんが入っていて、そのうちの1枚だけに文字が綴られていた。

秋子さんへ
最近かまってあげられなくて申し訳なく思っています。元々は仕事やおつき合いを他の人の何倍もすれば、すぐに
昇進して生活が楽になり経済的な窮地を脱することができると考えたのでしたが、そのため家庭つまり秋子さんのことを
大切にしない日々が続いてしまいました。そんなにすぐに昇進できる訳ではないし今のような生活を半年も続けていれば
身体を壊してしまうでしょう。そして秋子さんの心も移ろふことでしょう。時間を作って君に会いに行っていた時から
まだ1ヶ月余りしか経過していないのが信じられません。僕の心の中では遠い昔の出来事になりつつあるようで、
あせりを感じています。同じ屋根の下に住むようになって、いつでも話し掛けることができるようになったのに、
結婚前より会話が減ってしまったこともそれに拍車をかけます。すべて自分の考え方に問題があると思うのですが、
もう一度、あの頃のような楽しい休日を楽しめたらと思います。
よろしければ、明日、昔訪ねた神田の古書街や名曲喫茶に行ってみませんか。    小川弘士より

翌朝、小川が目覚めると台所で朝食の支度をする秋子の姿が目に入った。小川は、
「まだ6時前だというのに...。どこかに出掛けるの」
と尋ねるとそれを聞いた秋子はすぐに小川のところにやって来た。
「そうよ。これから懐かしい場所をいくつか訪ねてみるの。小川さんとふたりで。私、行きたいところが一杯あるんだ。
 神田古書街の古本屋、渋谷や阿佐ヶ谷の名曲喫茶、上野の森、月島や佃島、お茶の水の楽器店。全部は無理だと思うけど、
 まずは朝のうちに上野公園まで行って一緒にお弁当でも食べようかと思って...」
小川は目頭が熱くなって来たので、顔を洗って来ると言って洗面所に行った。
秋子は傍らにあった洋書"GREAT EXPECTATIONS"を取り上げて、「ディケンズ先生も一緒に来ていただくわ」と言って
バッグの中に入れた。