プチ小説「クラシック音楽の四方山話 宇宙人編9」

福居は、5年前まではしばしば比良山系の最高峰武奈ヶ岳に登っていた。しかし仕事でそれどころでなくなり、いつしか約9時間かかる山登りをする体力もなくなった。武奈ヶ岳に登った時のご褒美にしていたのが、JR高槻駅で下車して西武高槻店(当時)の6階レストラン街の千房で豚玉と焼きそばを食べることだった。高槻阪急になってからは千房に行っていなかったが、久しぶりに行ってみることにした。高槻阪急3階のロフト(Loft)をウロウロしていると、M29800星雲からやって来た宇宙人が福居に声を掛けた。
「トウキュウハンズモタノシイケド、ココモオモシロイアイテムガアルネ」
「そうですね、他の店と違ってここに陳列されている品は何らかの効果が期待できる気がしますから、アイテムと呼んでもいいかもしれませんね。何か買われるのですか」
「アンタハココデナニヲカウノン」
「毎年、NORO JOURNEY の手帖を買うくらいなんですが、以前、親しくしていただいていた先生にここで買ったグリーティングカードを送っていました」
「トコロデ、アンタ、イマカラオコノミヤキタベルンヤロ。ソノトキニクラシックノハナシヲシテチョウダイ」
福居は別に購入するものがなかったので、ロフトを出てエスカレーターで6階まで上がり、千房店内の鉄板の横の席に腰掛けた。
「谷さんに美味しいお好み焼きを焼くところを見てもらおうと思ってここに腰掛けたのですが、暑くないですか」
「ピューットサムイカゼガフクヨリエエヨ。アンタ、ナニタベルノン」
「ぼくはいつも豚玉と焼きそばです。谷さんは直接店員さんに注文されるんですか」
「ソウヤデ。ニイチャン、コノメニューニアルノゼンブジュンバンニヤイテチョウダイ」
店員は最初驚いていたが、最近は大食いの客が珍しくなくなったので、わかりましたと行って順番に焼き始めた。
「コノマエハグリーグヤッタケド、キョウハドヴォルザークアタリガイイカナ。ドヴォルザークハテッチャンヤッタンヤネ」
「そうですね、ドヴォルザークは鉄道を愛し、国土を愛し、国を愛していました。音楽も民族主義に根差したものでした。晩年になってようやく洗練されたユニバーサルな音楽を書くのですが、そのギャップが大きいです。交響曲を例に取ると歴然なのですが、第6番まではユニバーサルなものでないので泥臭い理解しにくい音楽になっています。第7番もその傾向がありますが、第8番になるとボヘミアの音楽を基礎にしながらも普遍的な音楽を構築しようとする意欲が見られます。この交響曲を作曲した頃にドヴォルザークはピアノ三重奏曲第4番「ドゥムキー」を作曲します。この曲もボヘミアの民族色が濃いですが、洗練された美しい音楽です。やがてアメリカから音楽院院長職への就任依頼があり、6人の子供を扶養しなければならなかったドヴォルザークは高額の年俸を提示され逡巡しながらも引き受けます。ホームシックになって3年程でプラハに戻りますが、その3年間に、弦楽四重奏曲第13番「アメリカ」、交響曲第9番「新世界より」、チェロ協奏曲を作曲します。プラハ音楽院でドヴォルザークは再び教職に就きますが、オペラ「ルサルカ」以外には目立った業績はなく、1904年に62才で亡くなります」
「チェロキョウソウキョクガドヴォルザークノチョウテンヤッタンヤネ」
「ピアノ、ヴァイオリン、管楽器など、いろいろな協奏曲がありますが、チェロ協奏曲は珍しく名曲も多くないです」
「ハイドンモソウヤケド、ジミナンガオオイカラネ。シューマンモエルガーモ」
「そうですね、チェロ協奏曲イコール地味というイメージが湧くので、協奏曲という形式ではなくチェロが主役の管弦楽曲(リヒャルト・シュトラウス 「ドン・キホーテ」)にしたり、二重、三重協奏曲にしたりします(ブラームス ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲、ベートーヴェン ピアノ・ヴァイオリン・チェロのための三重協奏曲)。室内楽では大活躍のチェロですが、協奏曲となるとドヴォルザークが残したこの曲くらいになります」
「ドヴォルザークハツラカッタトキノコトヲヤサシイキモチデオモイダセルヨウニサッキョクシハッタンヤワ。ジツリョクノアルサッキョクカガアブラノノッタジキニシンケツソソイデツクッタノガ、コノチェロキョウソウキョクナントオモウワ」
「ぼくも、同じ頃に作曲された「新世界より」や「アメリカ」よりこの曲の方が素晴らしい曲だと思います」
「ドノレコードガエエノン」
「カザルス、フルニエがいいですが、ぼくはピアティゴルスキー(オーマンディ指揮)やトルトゥリエも好きですね」