プチ小説「こんにちは、N先生 65」
私は8月3日にコロナが治ってからもしばらくは咳に悩まされていたのですが、8月下旬になってようやく咳も治まり8月29日のクラリネットのレッスンの時に咳込むことはありませんでした。睡眠不足でしたが、8月30日と31日は大学図書館で午後3時30分まで過ごすことができ、これなら9月からは本腰を入れて懸賞に応募する小説を書き始められると思いました。両日は『球形の荒野』のほとんどを図書館で読んだ(上巻の最初の50ページほどを読んでいただけでした)のでしたが、すべて読み終えることが出来て午後3時30分過ぎに立命館大学前のバス停に向ったのでした。図書館横から北門に続く坂道を登っていると後ろから、君は『球形の荒野』を読んだんだろと声がしました。私は余りに早い反応に驚いて、なんなんなんでなあーんと言ってしまいそうになりましたが、暑い折に道端で長話をするより早くバスに乗ってしまいたかったので、そうですよ、でもN先生になんでわかったのかなとだけ言いました。
「そりゃあ、君とは長いつき合いなんだから、そんなことはお茶の子さいさいだよ」
私は先生の答えに納得しなかったのですが、N先生がバスに乗らずに話を続けられたらふたりとも熱中症になると思い、そうなんですねと言いました。バス停で待っていると52番のバスが来たので、N先生とともに乗りました。
「52番というのは初めて乗るけど、君はいつも乗るのかな」
「ええ、よく乗ります。55番とほぼ同じ経路で55番が千本通りで今出川から丸太町まで行くのを52番のバスは七本松通を通るのです。乗客も少ないし四条大宮や四条烏丸に行くのに便利な市バスと言えます」
「そうだね12番のバスは金閣寺道から何十人もの外国人観光客が乗るからできたら乗りたくないバスだね。ところで、『球形の荒野』は面白かったかい」
「半藤一利氏が絶賛しているということで、前から読みたかった小説です。3人の人物が不審な死を遂げるというのがあり推理小説的な要素もありますが、奈良と京都の名刹が舞台になっているので歴史ロマンと言われたり、病気で亡くなったという外交官(野上顕一郎)が実は生きていたというので本の表紙には国際謀略ミステリーという文字も見られます」
「奈良の薬師寺、唐招提寺、橘寺、安居院(飛鳥寺)や京都の南禅寺(山門と方丈庭円)、苔寺(西芳寺)などを登場人物が訪ねる。奈良は野上健一郎の姪芦村節子と野上顕一郎の娘の恋人添田彰一が、京都は野上顕一郎の娘野上久美子が訪ねている。そうしてクライマックスの場所観音崎で久美子は父と知らずに(父親から知らされないで)再会を果たす」
「うーん、再会を果たすというのが適切な言い方のなのかわかりませんが、主要な登場人物の父と娘が複雑な状況の中で観音崎で会ってしばらく話をします」
「君はオブラートにくるんだような言い方をするが、少しは内容に踏み込んでもいいんじゃないか。例えばすべての始まりは16年ぶりに家族とこっそり再会したいと考えた野上が帰国する。野上はスイス(中立国)の病院で亡くなったことになっているが、それは野上が戦争を早く終結するために連合国とかけあったという経緯があったためやむなく病死という偽装を彼に親しい人たちが仕立てた。一度病死した人物が、実は生きてましたというわけにもいかず、当時、仲間だった村尾(部下の外交官)と滝(新聞の特派員)が娘久美子、妻孝子とこっそり(できれば気付かれないように)会えるように外務省の見知らぬ人物を装ってふたりを演劇に誘ったり、滝の知り合いの画家笹島に久美子のデッサンを描かせたりする」
「そうした村尾と滝の母娘再会のための設定が無駄になることを野上がやってしまいます。野上が奈良のいくつかの寺で特徴のある文字(北宋の書家米芾を手本にした)で芳名帳に「田中孝一」記載したため、中立国の公使館で一緒に働いていた伊東忠介の目に触れてしまいます。伊東は外務省にいた当時からの仲間たちと野上がどこにいるか探し出そうとします。伊東は奈良の寺巡りが趣味で芳名帳を見て、特徴のある文字から野上が存命していて日本にいるのではと思ったからです。伊東は野上や村尾と同僚であったが、陸軍派(野上らは海軍派で早く戦争を終結させようと考えた))で戦争が終結したことに不満を持っていた。ところで当時の中立国の公使館には他に門田源一郎という書記生(書記官)がいて、この人物がある人に世話になったからといろいろなことをするわけだが、彼が取った行動は言わない方がいいだろう」
「そうですね、われわれの会話は新鮮な気持ちで読書できなくすると言われる恐れもありますからね。ミステリー小説は謎を作者がちょっとずつ明かしていく小説ですから、われわれがすべて言ってしまったのでは読者の読む楽しみを消失させてしまうことになります。野上がどのように行動するかとか、戦争を早く終結させたいと考える海軍派ととことん戦おうという陸軍派がいて野上は海軍派だったということくらいは言ってもいいかなと思います」
「最後のあたりで村尾と滝が野上の味方ということがわかるが、ぼくはふたりが久美子の恋人の添田の追求から逃げたりして悪者なのかなと思っていた。野上が成人した娘に一目会いたいという気持ちはよくわかるが、そのために伊東が動き出し、それを知った海軍派の野上の部下が殺人事件を起こし、その人物の仲間たちが野上の部下を殺すということになる。野上が帰国しなければ、伊東は奈良で雑貨商をしていて芳名帳の1ページが切り取るという悪さもしなかっただろう。そうして伊東が殺されなければ野上の部下が殺されることもなかっただろう。野上は村尾と滝が言うことを聞いてこっそり娘と妻に会うことだけでは納得できないようで、姪の夫芦村亮一(T大医学部助教授)が九州での学会出張の際に福岡市内の亀山上皇の銅像がある東公園で待ち合わせて話をします」
「それは野上が考えていることを読者に知らせたかったためで、この役割(対等な立場で冷静に話が聞ける人物)となると若い新聞記者の添田では若いし戦争が終わった頃のこともほとんど知らない。そうなると学者で冷静で野上と親しい人物(野上は「亮さん」と呼んでいる)でなければならない。野上にしかわからないことがここで明らかになる。誰かにすべてのことを語っておきたいという野上の気持ちもわかる」
「それにしても深刻な内容の小説なのに少し口元を緩ませたところが2ヶ所ありました」
「ほう、それはどこかな」
「ひとつは松本清張氏お気に入りの京料理店 円山公園内の「いもぼう」が出て来るところ。久美子は添田との会話で「お断りしました。なんだか、はじめての方では気詰まりだったし、その晩は、京都名物の″いもぼう″をいただきたかったんです」と言っています。もうひとつは村尾の発案ですが、野上が笹島画伯の通いの庭男としてデッサンのモデルになっているわが娘をこっそり(よそながら)見ていたというところです。外務省の偉い人が娘に見つからないように庭男に扮したというのが可笑しくて」
「そういう、口元を緩ませるところがあるね。暗い中にもユーモアで明るくしたりするところがある」
「それを聞いて、ぼくはディケンズの『オリヴァー・ツイスト』に出て来るグリムウィッグ氏を思い出しました。松本清張氏もきっと、ディケンズの文庫本は読んでおられたでしょう」
「さあ、それはどうなんだかわからないが、君の場合はユーモアのない小説はつまらないと思っているんじゃないのかな」