プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生53」

小川と秋子が結婚して10年が経過した。当初は経済的な困窮のため苦しい時期もあったが、入社から10年が
経過して係長になった時にようやく将来の展望が開けて来た。さらに3年経過した今では時間的な余裕もでき、
小川は、以前楽しんでいた、読書や名曲鑑賞を再開してもいい頃かと思い始めた。
家族も娘がふたりできて4人家族となっていた。今でもアユミと同じアパートに住んでいたが、秋子は
子育てで忙しくクラリネットはここ数年手にしていなかった。
ある日、小川は会社の近くの本屋で「我らが共通の友」を見つけたが、小川はうれしさの余り、その3巻本を本棚
(陳列棚)から引き抜くと小走りにレジへと走って行って、覚束ない手で支払いを済ませ、かつて頻繁に利用した
喫茶店に駆け込んだ。小川は、読書を進めて行く上で役立つと考えて、解説のストーリーに深く立ち入らないところ
にも予め目を通すことにしている。その本の下巻の解説のところで、昨年、「互いの友」という題でもうひとつの
"OUR MUTUAL FRIEND"の訳が出版されていることに気付いた。
<大手出版社でないからなかなか手に入らないかもしれないけれど、もしかしたら大きな図書館なら置いてあるかも
 しれない。まずは、この本を読んで昔の感覚を取り戻して行こう。それから可能であれば、「互いの友」の方も
 読むことにしよう。この本は1997年出版となっているから、昨年の出版になる。僕の願いは、これから先
 コンスタントにディケンズ先生の初訳が出版してもらえればということなのだが>
小川はディケンズ先生の言いつけを守って、「エドウィン・ドルードの謎」をその後、読まなかった。
<とりあえず、「エドウィン・ドルードの謎」を読んでしまってから、「我らが共通の友」に取りかかることにするか>
そうして小川は、帰宅するとすぐにいつも利用するバッグに「エドウィン・ドルードの謎」を入れた。

その夜、ディケンズ先生が久しぶりに夢の中に現れた。
「小川君、久しぶりだね。頻繁に君の夢の中に現れようと思っていたのだが、私の本を読んでくれていなかったし、
 アユミさんが大暴れするようなこともなかったので、切っ掛けがなかった。これからは、私の本の初訳も少しずつ
 出版されることだし、それに...」
「それに何ですか、ディケンズ先生」
「それに、これからしばらくはアユミさんから目が離せなくなることだろうし...」
「えーーーーーーーーっ」

※ この話は、1998年を想定しています。