プチ小説「クラシック音楽の四方山話 宇宙人編20」

福居は生まれも育ちも大阪府北部なので、週に1回はトンカツソースがかかったお好み焼きか焼きそばを食べたくなる。お好み焼きを自分の家で作ることもあるが、日本国産小麦(福居はメリケン粉アレルギーである)にほんだしとタマゴを入れた生地をフライパンで焼き上げて数種類のトンカツソース、ウスターソースを混ぜ合わせて作ったお好みソース(からし、タバスコ、豆板醤などを入れることもある)をかけるくらいなので、お好み焼き店の味には遠く及ばない。焼きそばも五十歩百歩である。30才半ばを過ぎた頃にテレビ東京で始まったアド街ック天国は、東京への憧れを持ち始めた福居にとって興味ある番組となった。特に番組の中で頻繁に取り上げられた、もんじゃ焼きは庶民の味と何度も言われて値段も手頃だったので東京に行けたら、すぐに月島や浅草の店に行こうと思っていた。それから10年して福居の願いは叶えらえ、月島で3回ほどもんじゃ焼きを食べたが、味が薄くて決してもう一度食べたいという味ではなかった。それでも多くの人が美味しいと言っているのにはわけがあるに違いないと思い、美味しくないと感じた原因を福居は調べることにした。もんじゃ焼きにはソースをかけないという鉄則があったので、なぜソースがいらないのかを考えた。そうするとタラコ、明太子、チーズ、コーンビーフなどの塩味、イカ、タコ、タマゴ、ベビーラーメン、貝類、桜えび、てんかすなどのうまみがキャベツと小麦粉の生地に上手く絡んで絶妙な味となっていることに気付いた。また焼き具合により塩分濃度が濃くなり、おこげという美味しい副産物も鉄板の彼方此方から出現することにも。福居は最初の3回はシンプルなのがよいと考えて、タマゴ、チーズ、タコ、お餅くらいのトッピングだったが、味を決める塩味のトッピングが入っていないことに気付いて4回目以降は明太子(コーンビーフがあればそれも加える)を入れてもらうようになった。これでしっかりした塩味となり旨味も加わったので申し分ない味になった。それから福居は何度か東京でもんじゃ焼きを食べたが、地元高槻にも美味しいもんじゃ焼きの店(お好み焼きはここやねん)が出来たと聞き、数回行った。今日も久しぶりにもんじゃ焼きを食べようと思ったが、福居は順番待ちの列に入るのを躊躇していた。そこにM29800星雲からやって来た宇宙人が来て、福居に声を掛けた。
「アンタナニシトルン。クイタイモンガアルンヤッタラ、ハイッタラエエヤン」
「それはそうなのですが、もんじゃ焼きはお金がかかるので余裕がないと食べられないんです。ソフトドリンクと合わせて4000円はないと安心して店に入られません。お好み焼きと焼きそばなら2000円あれば足りるのですが...もう少しわかりやすく言うと、4000円あれば御座候なら27個食べられます」
「トッピングヲツイカシテ、アットオドロクネダンニナッテシマウコトモアルカモネ。タマゴ、チーズ、モチナンカハヤスイケド、ソレダケヤッタラシオアジモウマミモナイカラオイシクナイヤンネ」
「そうなんです。でも今日は5000円あるので、足が出る心配はありません。この前、浅草のもんじゃ焼きの店で食べた時はソフトドリンクともんじゃ焼きで3200円したんです」
「デモコノモンジャヤキハウマミヲギョウシュクサセテイクシオコゲノタノシミモアルカラ、キュウキョクノBキュウグルメトイエルントチャウ。トリュフヤイセエビヤフグノイチヤボシヤフォアグラナンカモモンジャヤキニイレタラモットウマイントチャウカナ」
「でもそうなると1枚10000円とかするんじゃないのかな」
福居と宇宙人がそんな話をして順番を待っていると店員が声を掛けた。
「何人で利用されます」
「2人です」
「じゃあ、席がありますから入ってください」
「ニイチャン、キキタイコトガアルネンケド」
「何でしょうか」
「ココノモンジャヤキノトッピングハメンタイコトカキムチハアルンカ」
「明太子はありますが、キムチは味の自己主張が強いので当店にはありません」
「ホタラ、クロトリュフ、シロトリュフ、アワビ、イセエビ、フォアグラハドウナン」
「高級食材はおいていません。メニューにあるものでご了承ください」
「ソウカ、ホタラ、メンタイコ5人前、モチ5人前...」
「谷さん、ここの鉄板は少し大きめですが、その調子で注文すると鉄板に乗り切らなくなります。2個ずつくらいで我慢してください」
「ソウナンヤね。アンタノイウトオリニスルカラ、クラシックオンガクノハナシヲシテチョウダイ」
「わかりました、今日は私が浪人時代の人気のあった指揮者の話から始めましょう」
「トイウト1979ネンゴロカナ」
「そうですね。その当時に既に功成り名を遂げていた指揮者を6人挙げておきたいと思います。グラモフォンのカラヤンとベーム、EMIのクレンペラー、デッカのショルティ、コロンビアのワルターとオーマンディがいます。これに続けと頭角を現した指揮者を人気のあった若手指揮者と言うことにします」
「バーンスタインヤバレンボイムナンカハキライナン」
「そうですね、特にバーンスタインのレコードはうちに1枚もありません。グラモフォンではアバド、カルロス・クライバーが、EMIではプレヴィンが、デッカではメータとマゼールとが、フィリップスではハイティンクが、熾烈な競争をしていました」
「ウーン、デモコノナカデヤッタラ、グラモフォンノアーティストガスキヤナ」
「それとデッカですね。この2つのレーベルが他のレーベルに比べて2つも3つも先んじてました。おっしゃるとおりで、ラジオや雑誌でよく取り上げられたのはグラモフォンのアバドとカルロス・クライバー、デッカのメータ、CBSに移ったマゼールだったのです。もちろんベーム、カラヤン、ショルティ、オーマンディも現役でしたので、よく取り上げられました。私がクラシック音楽を聞き始めた当時はこれらの指揮者がいつも話題の中心でした。そうしてこれらの指揮者が亡くなり1989年にカラヤンが亡くなった時、輝かしかったクラシックの時代が終わりました」
「ナンデ、シバラクアバドノジダイガアッタントチャウノン。メータトバレンボイムハマダガンバッテイルヨ」
「でもカラヤンのような輝きはありません。クラシックファンの90パーセント以上がカラヤンに興味を持ち、カラヤンと関連づけてクラシック音楽を楽しんでいたんだと思うんです。例えば毎月のようにカラヤンの話題が取り上げられていたのが、突然なくなり」
「ソウシテ、クラシックハスイタイシタノカ」
「遠因になったことは間違いありません。カラヤンが好きだった人はその音楽だけでなく、彼の容姿、ふるまい、言動、コンサートなどあらゆることに興味がありました。そこにぽっかりと穴が開いてしまいました。アバドはベルリン・フィルを引き継いだり、カラヤンと同じグラモフォンレコードの指揮者だったので人一倍頑張ったと思いますが、報われませんでした」
「ソシタラ、イマハナニモノコッテナイノカ」
「その通りだと思います。後戻りはできないと拒絶されると今から私が言うことは無駄になります。でも一応言わせていただきますと、やり直すしか方法はありません。それはアナログレコードの部分的復活です。もう一度アナログレコードの良さに触れることができる機会を作り、アナログレコードを普及させるのです。CDはその貧しい音だけでなく、再生装置の機能の低劣さに多くのクラシック・ファンが嫌になっていると思うのです。私の持っている2台のデノンのCDプレーヤーは音が貧しいだけでなく、音飛びがしょっちゅうですし音が突然消えてしまったりします。またCDソフトの中にはマックで再生すると順番が入れ替えるのがあります。音飛びがしてどうしようもない場合はマック頼みになるのですが、そのCDはマックでも再生できず、捨てるしかなくなります。アナログレコードではそのようなことはありませんでした。そうしてアナログレコードの再興が果たせて、しばらくしてカラヤンのような指揮者が現れれば、豊かな音で新しい解釈のアナログレコードの新譜が買われるようになり、他の指揮者もカラヤンの後継者に影響を受けて素晴らしいアナログレコードを世に送り出すことと思います。そうしたらそれに伴って、レコード業界、オーディオ業界、出版業界にも往時の勢いが戻って来ることと思います。耳に馴染んだ素晴らしいアナログレコードの音を取り返すこと、これしかないとぼくは思います」
「アンタノハナシヲキイテタラ、CDハオコノミヤキニニテイテ、アナログレコードハモンジャヤキニニテイルヨウニオモウワ。モンジャノヨウニソノヨサヲワカッテモロウテ、アナロクレコードモフッコウガハタセタラエエネ」
「ぼくもそう思います」