プチ小説「こんにちは、N先生 70」

私は幼い頃から歯磨きを丁寧にすることなくしばしばさぼっていたために、高校生の時には虫歯の治療で2、3ヶ所詰め物をするようになりました。また大学生の頃はしばしば歯痛に悩まされましたが、セイロガンを噛んで凌いでいました。社会人になって1年してそこらじゅうの歯が疼いてどうしようもなくなった(もしかしたらポパイの顔のようになっていたかもしれません)時、たまたま引っ越した家の近くに歯科医院があるのを発見しました。ここなら帰り道だから通院も楽だと思い、早速かかることにしました。30代の若い歯科医でしたが、私の歯を見てひどい虫歯だらけなので取り敢えず5本の治療が必要です。順番にやっていきますと説明されました。約半年かかって一応治療は終わりましたが、結局、クラウン3ヶ所とブリッジ2ヶ所の処置をしてもらいました。その後も半年から2年に一度はどこかの歯が悪くなり、クラウンを作ったり、クラウンをブリッジに変えてもらったりしました。自慢の犬歯も金沢の飴屋の粘着力の強い飴にへし折られてどうしようと思ったのですが、なんとか代わりとなる歯を入れて下さり糸を切ることができなくなりましたが咀嚼には問題はありません。親知らずを1本抜いたことがあり、その時は一度歯を2つに割ってから抜歯すると言われ、時間がかかり出血も多かったのですが、すぐに腫れが引き平常通り噛めるようになりました。そうして38年程その歯科医院にかかって来たのですが、最近になって、3本ブリッジ(3つの歯にかかるブリッジ)をせざるを得なくなり、2度同じところを治療してもらったのですが、総治療費が6、7万円かかり、今までだいたい1万円で収まっていたのが大きな負担になってきました。60代半ばに差し掛かり歯茎が弱って来たのか、よく歯肉炎になります。私の場合、レーズン、あんこ、ホルモンなどに炎症を起こさせる物質が混じっているとすぐに歯茎が腫れあがって、噛むことができなくなりご飯をおいしく食べることができなくなるのです。最近は有名メーカーのレーズン入りのクッキーを食べて歯茎が腫れて痛くなったのですが、痛くてご飯が噛めませんでした。歯肉炎が治らなくて歯科にかかったところ、3本ブリッジをやり直しましょうと言われたら、7、8万円の治療費がかかってしまうので、おいそれとは歯科にかかることができないので困り果てています。そんなことを考えながら、高槻松坂屋地下街で〇座候を買うかどうか迷っているとM29800星雲からやって来た宇宙人ではなくN先生が私に声を掛けられました。
「ぼくも黒あんを食べて歯茎が痛くなったことがあるから、白あんばかりを食べるんだ」
私はなぜ先生が私の歯肉炎のことを知っているのか不思議に思いましたが、何も言いませんでした。
「60代になるとぐっと免疫力が落ちるから、今まで何の反応もなかった食品でも大きな痛みを引き起こすことがある。炎症が起こったら、無理して我慢しないで歯医者にかかった方がいい」
「そうですけど3本ブリッジをやり直すと言われると大変なお金がかかります。それにこれ以上奥に歯がないので次は入れ歯になりますと先生から言われているので戦々恐々です」
「でも治療をすることがあるが、今のところ歯で困ったことがないから、先生に感謝しないといけないよ。ところで君は久しぶりに松本清張の推理小説を読んだようだが」
「そうですね、最近、松本清張の「京都の旅第1巻 京都の旅第2巻」を読んだので推理小説は久しぶりでした。京都の旅は京都の観光地のガイドブックのような本でしたが、普通のガイドブックでは書かないようなことが掛かれていて、楽しく読みました」
「どこか行きたくなったとかあるのかな」
「今のところ、紅葉の真っ盛りに京都南部木津にある浄瑠璃寺に行ってみたいのですが、紅葉の色づき具合、天気とかが気になります。それから昨日読み終えた松本清張の推理小説は『ガラスの城』という小説でとても面白かったです」
「解説で虫明亜呂無さんが『ゼロの焦点』と比較している」
「そうですね、主人公が女性の小説でどちらも面白いが、『ガラスの城』の方がいいと言われています。でもこの小説は28才と40才の2人の女性の手記という形で話が進められるのでとても読みにくい小説と思います。しかも最後の最後で話がでんぐり返りますので、最初の手記は何だったのと思いたくなります」
「話の内容はどんなんだったかな」
「猟奇殺人事件が起きて、被害者の部下の28才のOLが自分で犯人探しをして、自分で調査したことを手記にして行きます。このOLが勤める会社は大きな会社のようですが、被害者の東亜製鋼販売部課長の杉岡久一郎の他、登場人物としては富崎次長、野村次長、田口庶務主任、それからたくさんのOLが登場します。手記を書いた、三上田鶴子と的場郁子、東亜製鋼の社員橋本啓子、浅野由理子他数人、さらに杉岡夫人、富崎夫人、浅野由理子の母、野村の弟、林田花壇の店主などです。杉岡課長は殺された後に身体を切断されたりするので可哀そうに思いますが、日頃の悪行で多くの女性を傷つけていて被害に遭ったのは当然のように思われます。また多くの人から借金をしましたが返すことはありませんでした。的場は300万円貸していたようです。三上の手記の中に「杉岡課長はもともとあそび人で、相当な伊達男(ダンディ)だ。バーなどでも人気がある」と記載されています。多くの女性を弄び、借金をしても返さずに大手会社に勤務して17年たち、ついに彼の所業に対し不安になった高校からの知り合いの男性が起こした事件ですが、この男はさらにもう一人女性を口封じのために殺し、さらにもう一人の女性もというところでお縄となりこの小説は終わるのですが、非常に凝った作りで、虫明亜呂無さんが解説で書かれているように、三上、的場がよく書けているし小説自体とても面白いと思いました」
「でもぼくからすれば三上は好きな人のいいなりで悪行の片棒をかつがされるし、的場は金の亡者のように描かれている。浅野は新人なので悪くは言われていないが橋本については三上も的場も辛辣だ。そんな描き方が小説全体に浸透していてやはりとても暗い気がする」
「殺人犯探しををOLの手記という形で書いたことが斬新で読みどころですから、登場人物の性格まで審査するのは酷だと思います」
「そうかもしれないね。とにかく君が楽しく読んだのなら、面白い小説と言うことだろう」