プチ小説「こんにちは、N先生 72」

私は2009年4月、50才になったのを機にクラリネットのレッスンを受けるようになったのですが、途中コロナ禍で2年7ヶ月の中断がありました。それでも昨年(2022年)の10月から再開して、今月(10月)31日のレッスンを受ければ丸12年レッスンを受けたことになります。2020年3月から3ヶ月間JEUGIAミュージックサロン四条は緊急事態宣言のためレッスンが休止となりましたが6月にはレッスンは再開になりました。私は昨年7月まで医療機関に勤務していたのでレッスンを自粛していましたが、昨年7月末日で37年余り勤めた医療機関を辞めたので10月からレッスンを再開したのです。現在は個人レッスンを受けていますが、最初から7年余りはグループレッスンを受けていました。そのあとしばらく個人レッスンを受けましたが、2人でレッスンを受けるようになりその状況がコロナで中断するまで続きました。個人レッスンのよいところは希望する曲のレッスンが受けられるところで、中断前はレハールの喜歌劇「微笑みの国」から「君はわが心のすべて」を練習して発表会で演奏しましたし、今年の6月の発表会ではベルリーニの歌劇「ノルマ」から「清らかな女神よ」を演奏しました。今はラフマニノフのピアノ協奏曲第3番第1楽章の冒頭のところの編曲(CD付きのクラリネット用の楽譜があるのです)したものをレッスンで練習していますが、大分吹けるようになったので、録音してホームページに掲載することにしました。CDでは終わりのところがとても早くそこだけでは下手な演奏しかできないので、伴奏なしメトロノームに合わせての演奏も一緒に掲載することにしました。2時間しかレッスン室を借りなかったのでCD伴奏に合わせるのはいまいちでしたが、伴奏なしとメトロノームに合わせて吹くのはまあまあ吹けました。JEUGIAミュージックサロン四条を出て、阪急烏丸駅の切符売り場で切符を購入しているとN先生が私に声を掛けられました。
「今日はクラリネットのレッスン帰りなのかな」
「いいえ、レッスンの日時は毎月3回火曜日の午後5時30分から30分間です。今日は私の演奏をホームページに掲載するためにスタジオを借りました」
「何を掲載するのかな」
「ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番第1楽章の冒頭のところのCD付き楽譜を購入してなかなかレッスンを受けられなかったのですが、ようやく受けることができ大分吹けるようになったのでホームページに掲載することにしたのです」
「センチメンタルな気持ちになる曲だね。この曲が君は好きなのかな」
「そうですね、感傷的で、哀愁があって、寂しくて、切なくて、辛くて...」
「そうか、君の暗い性格にピッタリなわけだ」
「悔しいですが、先生が言われる通りなんです」
「ところで君は最近ヘッセの著書をいくつか読んだね」
「そうです、今日、『メルヒェン』を読み終えました。短編集ですが、興味深く読んだので、まだ読んでいない『クヌルプ』『湖畔のアトリエ』『ガラス玉演戯』なんかを読もうかなと思いますし、既に読んでいる『車輪の下』『春の嵐』『知と愛』をもう一度読み直してみようかなと思っているんです」
「何でまた突然そう思うようになったのかな」
「ヘッセの著作の中には、きらきら輝くフレーズが隠されている気がするんです。それは彼が詩人だからだと思うんですが、今回読んだ『メルヒェン』の中にもいくつかそういう輝く文章がありました」
「いくつか上げてみて」
「一番印象に残った短編小説は『アヤメ』でした。ひとりの女性を愛し続けた純粋な男性の一生を描いたものですが、一点の曇りもない男性の女性を思う心に魅せられます。でも物わかりの良いわれわれ現代人は、そんな恋愛はありえないと心の中では思っています。ヘッセが描いたこの物語の主人公アンゼルムは一般的な恋愛ではなくてノスタルジーというか憧れというかそういう切なくやるせない思いを残したまま解決というか消化というか自分なりの処理をしようとします。女性が放った矢をアンゼルムは受け止めて心に刻んで、彼女が亡くなった後は彼女の面影を一生追い続けます。それは一見して美しい話ですが、男性にとっては厳しく他の選択肢がなく道から踏み出す(外す)ことができないものです。こういった純粋な愛は若い恋に恋する男性には一生に一度は経験してみたいもので、アンゼルムもどんな危険があってもどんなに時間がかかっても手に入れたいと思ったのでしょう。この小説の主人公アンゼルムが恋したイリスは音楽に例えてアンゼルムに妻になるための課題(条件)を提示します。「私はただの一日でも、心の中の音楽をかんじんなこととせずには、生きることができません。私がある男の人といっしょに暮らすとしたら、それは、その人の心の中の音楽が私の音楽と十分に微妙に調和するような人でなければなりません。また、その人自身の音楽が純粋であり、私の音楽とよく共鳴することが、その人の唯一の欲望でなければなりません。あなたにそれができますか」と言われてアンゼルムは仕事も何もかも後回しにしてイリスと自分のためにイリスから出された課題を解決しようとします。そうこうするうちにイリスは病気になり死別します。それでもなおアンゼルムは課題を解決しようとします」
「君はその辺りのところ、純粋な男性の思いに惹かれるわけだね。でもあまりに危険な考え方だと言える」
「そうですね、実際、この主人公は結局、山奥の祠で絶命するような感じになっています。清い愛を求め続けた結果がなんと哀れで悲しい結末なんでしょう」
「他にも、君の心の琴線に触れた短編小説があるのかな」
「この短編小説集の最初にある『アウグスツス』は寓話というカテゴリーに入る小説だと思うのですが、母親の願い「わたしはおまえのためにお願いするよ。みんながおまえを愛さずにはいられないようにと」が名づけの親によって叶えられ主人公アウグスツスは幸福な人生を送ることになりますが、ある時外国の貴婦人に恋するが叶えられず、自分が何不自由なくやって来られたのは母親のお陰であると名づけの親から説明を受けます。その後アウグスツスは名づけの親に母親の願いを解いてもらい、苦難の道を歩むことになりますが、自分で選んだ道だからと何事にも挫けることなく苦難の道を歩み続け、天国の近くまでやって来て名づけの親に再会します」
「そういう主人公の姿に君は惹かれたのかな」
「そうですね、今まで甘言に自己満足してぬるま湯につかっていた自分に反省し、たとえ険しい道であっても自分の力で道を切り開いていこうというひた向きな姿にぼくは心惹かれます。そういう自分を見つめ直すことを促すようなところがヘッセの小説に時々あるような気がします。60才半ばになって自分を見つめ直すというのは可笑しいかもしれませんが、それを受け入れて遅まきながらちょっとでも成長できるのなら、そういう小説を読んでみるのはとても意義があることだと思います」
「また、ヘッセを読んだら感想を聞かせてほしいな」
「もちろん、先生が来られたら(出現されたら)お話しさせていただきます」