天体望遠鏡の母校の天文研究会への寄贈

私が天文に興味を持ったのは、中学校の時の理科の授業でだったと思います。銀河の中の太陽系の太陽から3番目の星が地球で、太陽系はすいきんちかもくどてんかいめい(水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星(この頃は冥王星も太陽系の惑星でした))で構成されていると習いました。その時に日食、月食、彗星、流星、星座のことも少し習ったように思います。学校で教えられた宇宙についての知識はそのくらいだったと思います(高校の地学でも宇宙についての授業はあったと思うのですが、残念ながら記憶は残っていません)。中学の理科の先生が天文について説明した授業の後だったと思うのですが、1972年10月初旬にジャコビニ流星群があり大変な数の流星が見られると読売新聞に書かれてありました。ピークの日が10月8日だったか9日だったかは覚えていないのですが、新聞が予告する天体ショーを観ようと家から15分程のところにある高台に行き30人ほどの人と一緒に午後10時から午前1時まで北西?の空を見ていました。中学1年生というのに眠いのを我慢して夜遅くまで起きていましたが、残念ながら曇天が晴れることなく見られませんでした。でも今ネットで調べると観測されなかった、大きな謎とされたということですから、みんなが大きな空振りをしたということになるでしょう。次に私が経験した天体ショーはウエスト彗星(1976年3月)でした。ジャコビニ流星群で空振りした私は天体ショーの不確実性(天候と学者の読み間違いに左右される)を知り、天文現象に余り興味を持たなくなりました。ところがたまたま写真部で望遠レンズを持っていたので同級生の男の子から君の望遠レンズでウエスト彗星を写しフィルムを増感現像(増感現像用の現像液を使います)して写真を仕上げてほしいと言われました。ウエスト彗星は深夜3時から明け方にしか見られず、3学期末試験の真っ最中でしたが、彼の要望に応えて自宅のすぐそばの広場で撮影しました(彼も私の横にいました)。フィルムの増感現像は一度もしたことがなくうまく行くのかなと思いましたが、先輩に教えてもらいながらフィルム現像をしました。私がよく確認しなかったのがいけなかったのですが、2倍に希釈したため(写真部では一般のフィルム現像は現像液を2倍に希釈して使っていました)かすかに流星が写っているだけとなってしまいました。その後苦心して印画紙に焼き付けたものを依頼主の同級生に見せたところ、それ以降は口も利いてもらえなくなりそれまで笑顔で声を掛けてくれていたのがそれ以来卒業までずっとそういうことがなくなったのでした。私も記念に残したかったのでその時のことを思い出すととても悔しいのですが、普段していないことを人からあれこれ命令されてうまく行かなかった経験は、これからは趣味については自分で判断してマイペースでやろうという気持ちを植え付けました。その後も天体ショーはいくつかあり、月食は可能であれば1時間ほど鑑賞する、流星群は大概夜中が見頃なので夜中に起きた時に夜空を見る(といっても出現する方角を見るためには着替えて外に出なければならないので見送ることが多かった)くらいでした。それでも1986年2月ハレー彗星の回帰(彗星は周期的に回帰すると言われており、 ハレー彗星は75~6年で回帰する)の時は明るい美しい彗星が見られると新聞でも取り上げられたのですが、日本では沖縄だけということで仕事で忙しかった私は見送るしかありませんでした。私が物心ついてすぐだと思うのですが、1963年7月20日に日食がありました。外にいて突然暗くなったという記憶だけですが、後にそれが日食だったということがわかりました。日食は幼い頃からもう一度見たいと思っていました。その日食が2012年5月20日に見られるということで事前に太陽を直視できる眼鏡を購入して備えました。思ったほど暗くならずちょっと残念でしたが、特製眼鏡を掛けて太陽を見ていると欠けて行くのがわかり、次の皆既日食はいつ見られるんだろうかと思ったものでした。前後しますが、1997年2月頃に、ヘール・ボップ彗星が発見され4月にはマイナス一等星になるという情報が流れました(ラジオだったか、テレビだったか、新聞だったか覚えていません)。それまで何度か購入したことがある天文ガイドを読んでいると天体望遠鏡を購入して観測しないと一生悔いを残すと言う気持ちになり、50万円のローンを組んで、タカハシ製作所の102ミリフローライトレンズの望遠鏡(FS102)、赤道儀(EM10)、三脚、接眼レンズ(アイピース)、写真撮影用機材(中古のオリンパスOM-1、アダプターなど)、12Vのバッテリーを購入したのでした。しかしながら天体望遠鏡は発注生産で出来上がるのに半年かかり受け取りは8月になってからのことでした。私は以前から望遠鏡で木星、土星を見てみたいという願望があったので、ヘール・ボップ彗星は2等星くらいで夜中しか見られなくなっていても折に触れて天体観測をしていれば元を取れると考えて購入することにしたのでした。それから天体望遠鏡が自宅に届いて天体観測を始めてしばらくして皆既月食がありその撮影が出来たのは良かったのですが、仕事が忙しくなり天体観測をする時間がなくなりました。結局、望遠鏡で観測したのは月食、満月、半月、木星、土星(火星はその年観測できない年でした)で、5、6回天体望遠鏡を使用しただけでした。観測は実家の屋根の上に作った鉄骨櫓の観測所でしました(工事費用が40万円かかりました)が、私が天体観測をしなくなって10年程して元に戻したいと母親から話があり、惑星の観測をもう少ししたいと思っていましたが断念して撤去に同意しました。それ以来26年近く天体望遠鏡は押入れの肥やし(こういう言い方は間違っているのかもしれませんが)となっていました。ところがこの秋に母校立命館大学校内であることがあって私が事務局の方と話す機会が出来、望遠鏡の寄贈を申し出たのでした。事務局の方は私の天体望遠鏡を寄贈したいとの申し出に快く応じて下さり、尾本さんと言う大学の事務の方と天文研究会の田邊さんとの話し合いで引取りの日程を決めていくことになりました。尾本さんも田邊さんも気持ちよく対応して下さり、10月18日の申し出から3週間余りの11月11日にレンタカーで引き取りに来ることが決まりました。そうして昨日、26年間押し入れで眠っていたタカハシの天体望遠鏡がようやく新たな活躍の場を与えられることになったのですが、部員の方に大切にしていただいて末永く活躍してもらえたらと思うのです。

2月28日にはメンテナンスを終え、新しいリチウムイオンバッテリーで木星とプレアデス星団を見ました。