プチ小説「こんにちは、N先生 73」

私は幼い頃から塩辛いものが好きで、特に青菜や刺身にお醤油をたっぷり掛けて食べるのが大好きでした。また冷奴、湯豆腐もそうでした。それからゆで卵にアジシオをたっぷりかけたり、濃い味噌汁や豚汁も大好きでした。また大学時代の居酒屋で頼むのはいつも焼き鳥と塩辛とどて焼きとたっぷり醤油を掛けたオニオンスライスとチューハイでした。大学4年の秋に就職活動用に健康診断を受けた時にわかったのですが、私は立派な治療が必要な高血圧症でした。その後、医療機関に就職が決まって2年ほど経過して、高血圧症の治療が始まりました。最初はなかなか合う薬がなくて一旦治療を諦めましたが、風邪で治療を受けた際に先生から、放置していたら、運が良ければ(大動脈解離、クモ膜下出血などで)即死だが、運が悪ければ(血管が詰まって)片麻痺、植物人間となり一生寝たきりになって家族に迷惑を掛けると言われました。そうしてその先生が、利尿剤とβブロッカーの2種類の薬を処方してくださいました。その薬は、ひどい下痢、顔面が紫になる、虚脱感などの副作用がなく、朝に1錠ずつ服用する薬だったので50代半ばまではその薬で高血圧症が酷くなることを防ぐことが出来ました。私は43才の頃から登山を始めて51才までは年に1回、槍・穂高、八ヶ岳の登山をしていてそれなりのトレーニングをしていましたが、それと2錠の降圧剤のおかげで血圧の数値が高くなることはありませんでした。ところが52才の頃から小説を書いたり、カメラで風景写真を撮るためにあちこち出掛けるようになると登山や近畿の山のトレッキングができなくなり、身体が鈍って血圧が上がり始めました。60代になるまでは誤魔化していましたが、高い方が180、低い方が100を超えるとなると薬を増やす必要が出て来ました。βブロッカーを2錠飲むとめまいが起こり、利尿剤を2錠飲むと夜中に何度もトイレに行かなくてはならなくなるので、カルシウム拮抗剤を追加で処方することになりました。足の裏が腫れるなど強い副作用がありましたが、耐えられる程度だったのでそれまで飲んでいる薬と合わせて3錠を服用することになりました。それからしばらくして、諸般の事情があって医療機関を退職することになり自宅の近くの開業医にかかりましたが、同じ薬がなく成分が同じと言われる薬を服用することになりました。よくあることですが、薬は成分が同じと言っても大違いのことはしばしばあり、開業医が処方した薬はまったく合いませんでした。全身の掻痒感(全身掻き傷だらけでした)、足のむくみ(水が溜まって右脚が1.2倍の太さになりました)があり、むくみのため関節が腫れて来ました。私は一生この先生とおつき合いするんだから少々のことは我慢しようと思ったのですが、傍で見ていた母親は私を見て、はやくかからんとエライことになるよと母親がかかっている病院の受診を勧めたのでした。その病院の女医さんが私の身体に合った薬を処方してくれたので、掻痒感、足のむくみ、膝痛はなくなりましたが、ひとつだけ困ったことが生じました。それまで服用していた利尿剤は1時間くらいは我慢できたのですが、その先生が処方した利尿剤は服用して3時間ほどは30~40分ほどの間隔で尿意を催すものでした。我慢できなくなって電車を降りて駅のトイレに駆け込んだり、京都市バスを降りて近くのコンビニに駆け込むということが何度かありました。今日も阪急富田駅、阪急烏丸駅、ホリーズカフェ錦通店で小用を済ませたのに55番の市バス(四条烏丸から立命館大学前)に乗っている途中で私は尿意を催してきました。千本丸太町あたりで終点までは我慢できないと思った私は千本中立売で下車して、近くにある〇ブンイレブンに飛び込みました。私はトイレを利用させていただいたコンビニでいつも200~400円ほどのお菓子を買うのですが、「祇園小町」という300ccの日本酒が棚にあったのでそれを持ってレジに並びました。ふと前を見ると千鳥格子の背広を着た男性が並んでいたので、私は、N先生ですかと声を掛けました。それから以前、N先生がこのバス停の近くに住んでおられたことを思い出して、今もここに住んでおられるのですかと尋ねました。
「まさか。そこのビルのように取り壊しになったんで、別のところに移ったよ。でもそれは30年くらい前のことだよ」
「そうですよね、30年以上前のことですよね。それから10年程前の私が学生だった1983年の秋に衣笠(立命館大学前)のバス停でお会いして先生に挨拶をしたところ、先生は文学の楽しい話をしてくださったのでした」
「確か、モームやディケンズの話で盛り上がったのじゃなかったかな。それからぼくがその時に研究していたギリシア文学の話もしたっけ」
「それから木曜日の授業終了後は50番のバスでご一緒することが10回ほどあり、先生のお宅にもお邪魔したことがありました」
「そうだね、それから卒業が近付いた頃には君と一緒にぼくのドイツ語の授業を受けた学生が家にやって来て、ぼくが料理した牛肉の赤ワイン煮を食べて談笑したのだった」
「先生からブロッホの『ウェルギリウスの死』が面白いと言われたのですが、読み終えたのはそれから30年経ってからでした」
「君は最近は西洋文学だけでなく、松本清張も読んでいるようだね。西洋文学は読んでないのかな」
「最近はヘッセをいくつか読みました。以前から読みたかった『ガラス玉演戯』をもう少ししたら読もうかなと思っています」
「その前に何か読むんだね」
「ええ、最近、岩波文庫の「千夜一夜物語」を読んでとても面白かったのでもう少し読んでみようかなと思います。全13巻でとても読めそうにないので、第1巻の次は第5巻の半分ほどを占める、シンドバットの冒険のところを読もうと思っています」
「そうか、ところで松本清張の小説を昨日読み終えたんだろ」
「『告訴せず』という小説を読みました」
「それは推理小説なのかな」
「クライム(犯罪)小説と言うのだと思います」
「どんな犯罪なのかな」
「主人公は木谷省吾という40代の男性ですが、食堂の経営者の仕事に不満を持っていて、家族にも愛情を持てない。そんな木谷は義弟の選挙資金の運搬を引き受けるのですが、代議士の義弟大井芳太に選挙資金3000万円を渡すことなく持ち逃げ(この小説では拐帯という言葉を使っています)します」
「いつ頃の話かな」
「この小説が週刊朝日に連載されたのは1973年のようです」
「その頃だと3000万円では暮らしていけないだろう。一生楽しみのない生活でいいのなら、可能かもしれないが」
「そうですね、女の人と同棲し楽しく暮らすには少額と言えます。そこで木谷が考えたのが小豆の先物取引です。最初の200ページほどは先物相場の説明ばかりで興味がないぼくには退屈でした。木谷は旅館の女中篠から比礼神社の占いがよく当たるので参考にすればいいと言われて、作物の作況予測についてその占いに従い、占いが当たって大金を手にします。木谷が元手を失いそうになると複雑な気持ちになりましたが、結局、先物取引で木谷は幸運を摑んで一時的な幸福に浸ります。2億円近くを手にして、小豆相場とは縁を切り商売を始めますが、やはり元となるお金がやましいものだったので、普通の商売とはならず、また法律違反も厭わないと考え、法律スレスレのことをすればもうかると言われていたモーテル経営に着手します」
「内縁の妻とモーテル経営をしてうまくいったのかな」
「話を遡りますが、木谷が先物取引を始めてしばらくして取引所近くのラーメン屋で大場平太郎という相場で失敗して細々とした生活をしている老人と知り合います。また先物について初心者の木谷は平仙物産の小柳に事務的な手続きをすべてまかせます。そうしてあやしい待ち合わせ場所で大場老人から息子大場平助を紹介されます。この3人が木谷の内縁の妻篠と結託して、モーテルと木谷の預金すべてを手に入れます。この悪い人同士のやり取りがこの小説の面白いところなのでここには書きません。そうして3人に嵌められて無一文になった木谷は人生を悲観して...。木谷は自分の身元を明かして堂々と先物取引やモーテルを建設して経営ということができないため偽名(福山誠造)を使い、役所の証明が必要な時には篠の名義で手続きをします。こういったことがすべて木谷の弱点となり、4人に逆手を取って捩じ上げられたという感じです。人生に悲観していた大場老人は木谷から告訴されないことをいいことに綿密に計画を練って3人の協力を得てほしいものを手に入れたというお話しです」
「あとの解説に書かれているが、3000万円が選挙のための裏金で告訴される心配がない、それから木谷が福山の偽名を使って稼いだ金や不動産も木谷が法律で保障された人間でないために告訴せずというふうにこのタイトルには二重の意味があるわけだが、どうだい面白かったかい」
「500ページ以上ある大作と言えますが、先物取引、モーテルについて興味深いことが書かれてあり楽しく読みましたが、主人公木谷が犯罪者なのでひどい仕打ちに同情するわけにいかず、最後は後味が悪いものが残りました」
「でも、君はそこそこ楽しんだわけだ」