プチ小説「いちびりのおっさんのぷち話 こういう年もあるわいな編」
わしは小さい頃から、衣服は一度新しい服を買うてもうたら擦り切れて穴が開くまで着たきりで親の仇のように着る(切る)ということがようあった。家が貧乏やったというのもあるんやが、とにかく気に入った服やったらそればっかり来て着られんようになるまで何度も洗って着とった。今でも中学生の頃に着ていた長袖の青と白の縞シャツのことを思い出すんやが、その長袖シャツは首と袖がささくれて下の白い部分が見えるようになってもお気に入りやったからそうなってからも着とった。母親が見かねてわしが知らんうちに捨ててしもうたんやが、わしはお気に入りの服がなくなってしもうたんでホンマに悲しかった。それからわしは高校が私服もええ学校やったんで、3年間茶色のサファリジャケットで通した。ほんでも卒業式はそれを着るわけに行かへんから、中学校の時に着とった爪入りを着たんやが袖のところが綻びていて恥ずかしい思いをしたんやった。ブランド品やったらまた同じのを買うたらええんやけどそうでない服は一生で一度きりになる。修繕して少しはもたせることはできるやろけど知れとる。それと違って5万円以上の大盤振る舞いをしたんやけどさっぱりやった服が3つある。一つは某百貨店で買うた背広なんやけどこれは素材がウールやったからか1シーズンで肘の下のところが薄くなって穴が開いてしもうた。わしは二度とその百貨店で服は買わんと決意したもんやった。それからわしが中年の頃によう買うた(ポロシャツが多かった)ブランドで緑のジャケットも気に入って10年以上来てたんやが、黒の合成皮革のジャケットがすぐに上皮がめくれてボロボロとはげて行って3年程で着られんようになったんはショックやった。それから1990年のバブル当時流行してたバスローブの見てくれで絨毯のようなコートを7万円出して買うたんやが、通勤用には向かんしカジュアルで着るのもいまいちちゅーんで人にあげてしもうた。ほんまに惜しいことした。服でもそんな風に楽しみが長続きすることがあったり、大枚叩いたのにさっぱりなことがあるように日々の暮らしもお金で何ともならんことがあるし、心身の状況次第で打ちのめされることはしばしばや。船場は今年8月にコロナにかかってからは体力が落ちてさっぱりですわと言うとった。あいつ今まで貧乏生活してきて、これからは仕事辞めて大学図書館で小説を書きまくるんですと張り切っとったのにどないなるんやろ。落ち込んどるんとちゃうやろか。気になるから訊いてみたろ。おーい、船場ーっ、おるかーっ。はいはい、にいさん、私のこと気にしてくれてはるんですね。そうや、あんたとわしは心身一体やから、あんたがめげたり、こわれたりしたらわしもバタンキューなんや。そうなんですね。それでしたら、事実を隠しても仕方がないので、まずありのまま、昨年7月末で仕事を辞めてから今までを辿ってみましょう。健康が良い悪いに関わらず、退職後は大学図書館で応募する小説を書いたり、好きな小説を読んだりする生活をして、たまに小旅行に出掛けようと考えていました。ところが体調不良で6割くらいしかそういうことができていません。とにかく一番の原因は...あんたの不摂生やろ。うーん、そうかもしれませんが、私は転院先(家の近くの開業医ですが)が出す薬が合わなかったというのが一番の原因だと思うのです。私は血圧が高いので20代から降圧剤を服用していて、50代までは登山などをして健康が保てていたのですが、60才を過ぎた頃から仕事がきつくなって適度の運動をすることもできなくなって血圧が急上昇しました。それまで飲んでいた利尿剤とβブロッカーの量を変えたりして凌いでいたのですが、それでも血圧が下がらないということでカルシウム拮抗剤を追加することになりました。それからしばらくして退職し近くの開業医にかかるようになったのですが、同じ薬がなくすべて成分が同じ別の薬に変えられました。この薬がまったく合いませんでした。それまで夜2、3回しかトイレに行かなかったのに開業医で処方された利尿剤を飲むようになると夜中に最低4回、多い時は5回起きるようになりました。また3つの薬のどれが悪かったのかわかりませんが、全身が痒くてそこらじゅう、引っ掻き傷がありました。夜も痒くて眠れませんでした。背中も引っ掻き傷だらけで、苦労して外用薬を塗っていました。私の知り合いに利尿剤が利きすぎて夜中に4、5回トイレに行くという話をするとそれは頻尿だから薬を処方してもらえと言われました。それで頻尿を抑止する薬を処方してもらったのですが、この薬は最悪でした。尿が出なくなった分下肢に水がたまり出し、特に右脚は1.5倍くらいに腫れてしまい、脚の関節が曲げられなくなったのです。私はこれからもお世話になる先生だし我慢しようと思っていたのですが、横で見ていた母親は余りに酷い状況に気付き、すぐに私がかかっている病院にかかりなさいと言われました。そこの病院に初めてかかったのは今年の6月ですが、1ヶ月もしないうちに脚は元に戻り全身の掻痒感もなくなりました。それでこれからは安心して大学図書館に行けると思っていたところ、8月2日にコロナにかかってしまったのです。コロナ自体は2週間で症状がなくなり、長引いた咳も1ヶ月で治ったのですが、免疫力が落ちたためか、中耳炎、激痛を伴うぎっくり腰、粉瘤(11月17日に外来手術をしました)、酷い長引く歯肉炎、全身の筋肉痛、肘と膝の関節炎と酷い目に遭い、歯肉炎、筋肉痛、関節炎は未だに治まりそうにありません。まあ忙しいちゅーて筋トレを怠けとったあんたが悪いんやが、希望の光が見えて来んちゅーのは困ったもんやな。大学図書館に行くのは楽しくて心が弾みますし、クラリネットのレッスンは楽しいですし、今年の3月からLPレコードコンサートは再開しています。お金ができたら小旅行をしたいところですが、小金がないので自粛しています。でも日帰り旅行なら何とかなると思います。いつでも50代の頃楽しんでいたような生活に戻すことができますが、身体が今のような状況では踏ん張りが利かないので充分に楽しめないのです。まあ、それでも少しずつ体調は回復してるんとちゃう。粉瘤の手術をしてからあんたはムスリム帽(ベージュ)を被っとるけんど、それがいらんようになったら、前のような生活が可能になるんとちゃうか。そうかもしれませんが、ムスリム帽は気に入っていますし、絆創膏を貼らなくなっても傷跡(5ミリほどの丸い穴)が残りますので被り続けようと思います。替えのムスリム帽を2つ(ナチュラルとオリーブ)アマゾンで購入しましたし。あんたが気に入ってるんやったら、好きにして。