プチ小説「いちびりのおっさんのぷち話 音楽と写真と小説編」

わしが幼少の頃はこれと言って熱中できるものがなかったから、普通の小学生のままでちょっとだけ勉強して後はテレビでマンガ(アニメ)ばっかり見とった。ウルトラマンやウルトラセブンも好きやったけど、マンガの方がもっと面白かった。物心ついた頃に見たのは、マイティハーキュリー、オオカミ少年ケン、風のフジ丸、宇宙少年ソラン、宇宙エースなんかやった。幼稚園から小学校低学年はテレビアニメを見た記憶しかないんやが、鉄人28号、鉄腕アトム、スーパージェッター、遊星仮面、遊星少年パピイ、マグマ大使が始まったらテレビの近くで食い入るように見てた。年に1回の映画鑑賞も「ガメラ対ナントカ」やったから、そら将来エライ人になる基礎が養われるということはなかった。そやけど悪はあかんでという正義感とか、みんなで協力して難局に当たろうという連帯感はちょびっとは身に着いたんちゃうやろか。もしその時にどいつが正義でどいつが悪党かわからんアニメがあって、あんたどっちがええと思うと言われたら、よう答えられんばかりか、答えをよう出せん自分を情けなくなったかもしらん。善悪について自分なりに判断ができるようになったんは、その頃の唯一の収穫やったんかもしれん。今から考えると小学校の頃は趣味に関してなんかの情報というものがほとんど外から入らんかったから、お父ちゃんとお母ちゃんそれからテレビから入る情報というのがすべてやった。そやけど中学に入るといろんな情報をくれる同級生の子がおって、コミック(少年サンデーなど)、ラジオ(深夜放送)などの虜になって行った。わしは高校で写真部に入って映像に興味を持ったから、いろんな映画も見るようになった。高校1年生の時に土井君という男の子が、これおもろいでと貸してくれたんが、漫画本やのうて井上ひさし著の『ブンとフン』やった。井上ひさしという人がテレビ人形劇の「ひょっこりひょうたん島」の脚本を書いた人というのを知ったのは大分あとやったが、ここはおかあさんに見られると困るから自分で糊貼りして袋とじにして下さいと書いてあったりして面白いこと考える人やなと思うたもんやった。井上はんのファンになったけど、『青葉繁れる』『手鎖心中』なんかが好きになれんかったのんで、当時流行っていた星新一著の短編SFを読むようになった。10冊以上いっぺんに読んだと思うんやが、それ以上突っ込んだり深めた読書をすることはなかった。井上はんはエッセイをよく読んでたと思う。社会人になってからは、休みの日にカメラを持って出掛けるくらいで、本はほとんど読まんようになったし、ラジオも昼間に流行歌を聞くくらいや。船場は高校生の頃まではわしとだいたい同じやが、浪人してからクラシック音楽を聞くようになり、西洋文学を読むようになった。カメラも30代の後半にライカM6を購入して、定年の時にM9を購入しよった。クラシック音楽はLPレコードコンサートを2002年から開催するようになって74回もやりよった。西洋文学は、イギリス文学好きが嵩じてイギリスの文豪チャールズ・ディケンズが主人公の夢の中に出て来て自分の著作について語ったり、主人公の人生相談に乗ったりする小説、『こんにちは、ディケンズ先生』を4巻出しよった。あいつ仕事を辞めて貧乏やのに、これからも東京まで出掛けてLPレコードコンサートを3ヶ月毎に開催したいとか、小説を出版する意欲は消えてませんねんちゅーとったけど、ほんまなんやろか。訊いてみたろ。おーい、船場っー。おるかーっ。はいはい、自分で撮った写真をホームページに掲載したり、チャージ料を取らないでLPレコードコンサートを開催したり、自費出版で小説を出版したり、お金にならないことをよくやっているなぁ。なんでやねんというお問い合わせですね。そうや、働いてないんやから東京までの交通費を捻出するだけでも大変やろ。約250万円かかる出版費用はとても出来そうにない。夜景や風景写真を撮るにも交通費と宿泊費が必要や。あんたは行けるところまで貯金を切り崩して生活費に充て、70才近くから年金を受け取るつもりらしいが、年間100万円位で生活して何ができるんかと心配しとるんや。そうですね、私もそう思います。だからこそ、懸賞小説で賞が取れますようにと祈っているんです。それが取れて、出版社から原稿の依頼をしていただけたら、いままで貯えたプチ小説を手直しして出版していただくようお願いしたいと思っています。今すぐに長編小説を書いて下さいと言われても、難しいからです。にいさんが登場するこの「いちびりのおっさんのぷち話」も130話もありますから充分に1冊を出版することができます。そしたらにいさんも有名になるかもしれません。そうか、それはわしが望むところや。たこちゃんシリーズも70話ありますから、もう少しで『こんにちは、ディケンズ先生』第1巻の75話に近付いています。他にも私が楽しんで書いた面白い小説もいくつかあります。そうやな、谷さんが登場する小説が際立っとるな。そうですね、N先生、にいさん(いちびりのおっさん)、鼻田さん(スキンヘッドのタクシー運転手)、谷さん、それから橋本さんと田中君はこれからもどんどんどしどし私のプチ小説に登場してもらうつもりです。そやけど、新作も書かんとあかんのとちゃう。もちろん書くつもりですが、自分が頭を捻って一所懸命書いた小説をなるべくたくさんの人に読んでいただけたらと願うのです。そのうちの多くが楽しんでいただけると思うからです。正直言って、『こんにちは、ディケンズ先生』第1巻が出版されてから4年間は家族みんなが健康で自由に原稿を掛けたのですが、第2巻を出版した頃から父親ががんに犯されてその後亡くなり、昨年末には母親が大病を患って介護が必要になっています。付き添いで病院に行ったり身の回りの世話や手続きで側にいないといけないことが多くて、小説を書くために使える時間は大幅に減っています。また現在64才なのでいつまで今までの健康状態を保てるか心配ですが、これについては賞がもらえたら力の限り頑張るということになります。あまり弱気なことを言って、賞をもらっても頑張れないと思われるとよくないですから。とにかく5年か10年の間懸賞小説で頑張って小説を応募した結果が良ければ函館の夜景撮影やプレミアム盤購入の楽しみが多くなる。それまでは健康に留意して、母親の世話をいろいろしながら小説を書く。でもLPレコードコンサートを開催したり、クラリネットのレッスンを受けたり、いろんな興味を持った小説を読んだりする楽しみはいつでもあるというところでしょうか。わしのいらん詮索はこれくらいにして、来年は今年よりちょびっとだけでもええ年になるようにとあんたのために祈ったるわ。ありがとうございます。