プチ小説「こんにちは、N先生 77」

私は現在64才で来年4月には65才になります。65才と言うと一般的には第2の定年となり年金生活者となるのですが、昨年7月末に依願退職したので現在は無職で貯金を切り崩しながら生活しています。持ち家を購入していてローンも終えているので何とか生活できていますが、生活は苦しく働いていた時のような贅沢は一切できなくなりました。それでも母校立命館大学の図書館に通って小説を書いたり、西洋文学、松本清張を読んだり、月に3回クラリネットのレッスンを受けたり、3ヶ月に一度LPレコードコンサートを開催したり、20年余り続けて来たホームページを更新したりして今の生活を楽しんでいます。年金受給開始の年齢を遅らせれば一回の受取金額が増えるのでなるべくなら70才位まで貯金でやりくりしようと思いますが、切り詰めた生活はとても厳しくいつまで続けられるかと思います。こういう趣味中心の生活に切り替える切っ掛けは30代後半になっても研修に行かせてもらえず役職が付かなかったからですが、40代に入るとさらに仕事が続けられるかという危機がありました。詳細は記載しませんが家族や友人の励ましで辛い仕事を我慢して続け、それから5年程して私の直属の上司となった人がある研修の受講を勧めてくれ、それのおかげで20年程の間、趣味の世界に浸ることが出来たのです。浪人時代から始めたクラシック音楽鑑賞と西洋文学を熟読することは今でも私の楽しみの中心ですが、ホームページを始めたのは42才を過ぎてからでした。当時閑職だった私は子供がいないけれど何かを残したい(私は薄給だったので趣味と自分で家族を養うことの両立はとても無理と考えたのでした)と考えて、好きなクラシック音楽のエッセイのようなものを書き上げ、音楽の専門書で有名な出版社に原稿を持ち込んだのでした。応対に出た若手の木村さんと言う人は、当社で出版できないがネットに掲載してみんなに見てもらってはとアドバイスしてくださったのでした。たまたま同じ職場にシステムエンジニアをされていた方がいて、それから1年もしないうちにホームページをアップロードすることができました。このホームページが私の趣味を実のあるものにしてくれました。クラシック音楽のエッセイを読んでの反応は10件ほどでしたが、自分で撮影した写真や自分で書いた文章を掲載することが簡単に出来るようになりました。出版社に持ち込んだ原稿だけでなく、LPレコードコンサートの告知、44才から51才まで続けた槍・穂高登山の体験記、短編小説とプチ小説、読書感想文、朗読用台本、ライカM6とM9などで撮影した写真、クラリネット日誌(レッスン日誌と自分の演奏)、自分で作った料理の写真なども掲載しました。これらはさらに『こんにちは、ディケンズ先生』の出版に繋がり、ディケンズ・フェロウシップの会員になることにも繋がりました。ディケンズ・フェロウシップへの入会で交流が始まりましたし、登山、本の出版、クラリネットのレッスンでも何人かの人との交流が始まりました。ホームページを充実させるために希望することは懸賞小説の入賞とライカM9でたくさんの写真を撮りたいと思わせる旅行ですが、65才以降も小説を書いたり、ホームページをさらに充実させることに心血を注いで行きたいと思っています。今年は体調が悪く思うことの半分も出来なかったのですが、来年は心機一転頑張ろうと思っています。そんなことを思いながら、将軍塚の展望台から京都市内を眺めているとN先生が、やあ、元気かいと私に声を掛けられたのでした。
「N先生もこちらによく来られるのですか」
「うん、たまに来るよ。ここから京都市内が一望できるし、第一京都市民の憩いの場である鴨川がよく見えるのがいい。君にとって京都が掛け替えのない街であるようにぼくにとっても忘れられない街になった」
「先生は京都のどんなところがお好きなんですか」
「それはなんといっても昔からの文化がその香りが損なわれることなく保たれている半面、新しいものも充分取り入れているということだろう。新陳代謝が行われるが大元の大切なところは失われることなく、さりげなくわれわれに新しい発見を提供してくれる。まあ簡単に言うと、ここに来ると何かいいことがあると確信できるということかな」
「変な表現かもしれませんが、落ち着いてしっとりした雰囲気がぼくを包んでくれるとほっとして息吹(創作意欲)を活性化させてくれると言うか」
「そうして創造活動に頑張ろうという気になるわけだ。でも君ももうすぐ65才なんだから、そろそろ腰を入れて小説を書かないと『こんにちは、ディケンズ先生』でちょっとだけ頑張ったが、他には何も残せなかったと言うことになってしまう。70才までに長編小説を3つくらいは書いてほしいな」
「今のところ、大学図書館で気が向いた時に小説を書いているという感じです。懸賞小説で評価されれば、よし、頑張ろうという気になるのですが」
「そうだね、君は気分屋だからその気になれば大いに頑張るが、そうじゃないと力が出ない」
「そうですね、認めてもらえたというだけでやる気が出て小説を書くことに専念できると思うのですが、今の状況では無理ですね。他のことも大事にし可能な時間を懸賞小説を書くのに充てようという感じです。楽しいことはいっぱいありますし」
「まあ、君の気持が小説に注がれるようなことが起こるように祈っているよ。ところで最近君は松本清張の『考える葉』を読み終えたようだが、どうだった」
「私は小説を読み始める前に映画化されていないか調べるのですが、この小説は以前読んだ『黄色い風土』と同様に東映で映画化されています。『黄色い風土』は最後に犯人と対決する場面があって面白かったのですが、この小説も対決シーンがあってただの推理小説とは一味違っているなと思いました。終戦の頃に国の鉱石(白銀、錫)を自分のものにして財産を築いた人物が自分が不正な手段で鉱石を手に入れたと知られないために海外から来た視察団の団長の暗殺を画策する。その犯人の濡れ衣を着せられた崎津弘吉が探偵のようになって大会社の社長の不正を暴いていくのですが、これといった味方もないのに一人で犯人たちを追い詰めて行きます」
「でも最初は崎津を陥れる側についていた井上に同情されるし、その妹さんには好かれて信頼される。奇妙な老人村田露石と仲良くなるし、警察は最初は協力的でなかったが、小川警部とは信頼関係ができて協力してくれる。こうした周りの人との関係がうまく行って、崎津も頑張ろうという気になる」
「そうですね、その辺りのところはひとりぽっちで孤軍奮闘でなかった。頑張れば協力者が現れるんだという漠然とした期待感が醸成されて行くというふうに思わせます。それは誰にとっても大きな励みになると思います」
「そうした外からの力に突き動かされて、崎津は信じられないような推理を働かせる。警察、警察OB,探偵でもない崎津というちょっと不良っぽい男性が事件を解決するわけだ。君にも信じられない外からの風が吹いて、君の創作意欲を吹き飛ばしてくれるといいね」
「いいえ、吹き飛ばされてしまっては後に残りません。鞴のような役割を果たして創作意欲の炎を燃え上がらせてくれればそれでいいんです」