44.坂田利夫さんを偲んで~合わせてその他の懐かしい関西のお笑い芸人についても

坂田利夫さんが2023年12月29日に亡くなった。12月31日の午後7時からのNHKニュースの見出しに「「アホの坂田」あ~りが~とさ~ん」とあるように関西人(厳密に言うと大阪府内居住者限定と思う)が仲の良い人にそれとなく愛情を持って誤りを注意する時に使う「アホやなあ」の「アホ」と「あ~りが~とさ~ん」を代表とするいくつかのギャグ(「馬鹿にすなあーい」「いえす、あいどぅー」「ジョンジョロリーン」など)が思い出されるが、私の場合は、作詞竹本浩三(吉本新喜劇の台本を書かれていた)作曲キダ・タローの「アホの坂田」(歌は相方の前田五郎、坂田利夫がギャグを挟む)、爆笑寄席、お笑いネットワークの漫才、OBC(ラジオ大阪)の深夜放送「ヒットでヒット バチョンと行こう」土曜日のパーソナリティーの方が懐かしく思い出される。しかし今となってはYOU TUBEで再生できる「アホの坂田」しかコメディNo.1の当時の面白さを再現することができない。実際、私がコメディNo.1を楽しんで見聞きしていたのは小学校4年生から高校1年生の頃(1969~75年)の頃で、それ以降私は吉本のローカルな笑いを卒業して関西で人気のお笑い芸人全般そして東京を中心としたお笑いへと好みが変わって行った(でもたまにしか見なかった)。元々小学生4、5年の頃に上方柳次・柳太や若井はんじ・けんじが最初に好きになった漫才コンビなので大阪の庶民の生活?を描いたような楽しいおしゃべりに憧れるが、若手の漫才師は1980年代に入るとより高収入の東京へと活躍の場を変えて行き内容も庶民的なものではなくなった。私は高校2年生の頃から進学のことで頭が一杯(決して勉強をしたわけではなく、大学に上手く入り無事安定した職業に就けることを考えることで頭が一杯だった)ということもあって、漫才を聞こうという気が起こらなかった。そんな状況でも、かしまし娘、人生幸朗・生恵幸子、海原お浜・小浜、宮川左近ショー、横山ホットブラザーズ、夢路いとし・嘉味こいしがテレビの寄席番組に出ていると気持ちが安らぎ楽しい気分にもなるので時間をやりくりして見たものだった。コメディNo.1をお笑いネットワークで最初に見た時はギャグの連続で最初から最後まで笑い続けたが、大概漫才は一瞬ギャグなどで大爆笑するか、漫才のネタ話でにんまりさせられるかのどちらかである。ギャグはそんなに製造できないから、自ずと地道に面白い台本に頼ることになるが、私が最近の漫才が面白くないというのは若い人の考えについて行けなくなったからなのかもしれない。これは歌についても同じことが言えるかもしれない。そういう風に自分で思っている私が偉そうに漫才の面白さについて話すのは不適格なのかもしれない。コメディNo.1は面白かった、若井はんじ・けんじの漫才も面白かったが、ダイビングクイズはもっと面白かった、というのは64才の私が昔を懐かしんで語るだけで、今の人にとってはどうでもいいことなのかもしれない。でも、何らかの形でそれを残しておかないと面白い面白くないの判断基準が失われて面白くないただ面白そうなだけのしゃべくりはどうでもいいキャラクター重視のお笑い番組が跋扈するようになるかもしれない。いやそれより面白い楽しいという感情が廃れていくかもしれない。
今なら活字、昔の放送の録音などをきちんと整理して残しておけば振り返ることも可能だろうが、昔のものは今のものと異なる物と扱われる傾向があるので誰かが1960~70年代の漫才は1980年以降の漫才より面白くて意義があり何度聞いても面白いものがいっぱいある。なので残さないともったいないことだと使命感を持ってやらないと画像や音(映像や録音)を残すことはできず、1970年までのレコード文化(レコードは音源が残っているが)のように好事家以外の人との接点がほぼなくなるだろう。坂田利夫→面白い漫才→1970年代までの庶民的で飽きの来ない漫才→残さないと消失してしまう文化と連想して提言させてもらったが、レコード文化、クラシック音楽のFM番組の消失と同様に失われてしまいそうで辛いというのが1960~70年代に漫才を楽しんだ者の偽らざる気持ちです。でも今の時代、お金にならないことはやっぱり手掛けないかな。