プチ小説「いちびりのおっさんのぷち話 阪神淡路大震災で地震が身近になった編」

わしは生まれた時から関西に住んどるが正直な話、阪神大震災に遭うまでは地震の恐怖を感じたことがなかった。東京では震度3位の地震がしばしばあったようやし北陸で大きな地震がたまにあったけど、関西では震度2位が大きな揺れという認識やった。阪神淡路大震災(マグニチュード7.3)は1995年1月17日午前5時46分に発生したんやが、わしはその時は寝床に入ってNHKのラジオを聞いとった。いつも午前5時に目覚めてラジオのスイッチを入れて、55分の天気予報を聞いてから起きとった。その日も午前5時に起きてラジオを聞いとったから揺れ出した時は目えが覚めとった。わしは当時両親と同居していて2階の一室に布団を敷いて寝ていたんやが、すぐ横にある鉄製の本棚に百科事典と日本画の図録を100冊以上並べて置かれてあって上にも同じような厚い本が20冊くらい乗っとった。大阪北部は震度5の揺れやったから、その本棚が倒れてわしは本の直撃を受けたが、揺れを感じてすぐに布団を被ったから打撲も負わんかった。わしはその頃医療機関で施設管理の事務員をしとったから出勤せんとあかんと思うて、揺れても安心と言われているトイレに籠って熟考したんやった。そんでも20分程してまた揺れ出したんでトイレから飛び出たんや。大地震の後に余震と言うのがあるのもその時に知ったんやった。テレビを見てても電車が動きそうにないので、自転車で出勤することにした。主に大阪高槻京都線を使って吹田市にある勤務先に1時間ほどで着いたんやった。管理課の技師が既に来ていて点検をしていたが、ライフラインでは水道管が一部破損していて、電器とガスは問題ないようやった。建物が古かったので漆喰が剥がれ落ちているところがあったりしたが、入院患者さんに被害はなかった。わしは自転車でやって来たけど、自家用車でやって来る人はあまりおらんかった。自分の家のことで精一杯やったんやろう。その日はJR、私鉄共に復旧せず、わしは午後9時までおって自転車で帰宅したんやった。その次に経験した大きな地震は2011年3月11日午後2時46分にあった東日本大震災(マグニチュード9.0)やが、北大阪に住むわしは仕事時間中やったし近くで「ああ、揺れとる。これは大きな地震やぞ」と言っとる管理職の人がおったが、そうなんやと思う程度やった。震度が大阪では3ということやからじっとしてんとわからんかったのやと思う。わしは高槻に住んどるが、2018年6月18日午前7時58分に発生した大阪府北部地震は住所地が震源地というこれ以上身近というのはない地震やった。不幸中の幸いはマグニチュード6.1しかなかったことで高槻市の震度は6弱やった。発生した時は職場におったから震度は5位で強い地震やなと思ったくらいで被害はなかった。そやけど家に帰ろうと思うても電車が復旧してなかった。大阪高槻京都線まで行って徒歩で帰ろうと思うて歩き始めて30分ほどでタクシーが捕まったけど午後7時過ぎに家に帰ったら、レコード棚が倒れたり、食器が落ちて割れたり箪笥なんかが倒れたりしとった。屋根の天辺に乗っかっとったアンテナが倒れていて復旧まで1ヶ月かかった。週末に片づけをしてほぼほぼ前の生活に戻せたけど、地震発生の日は狭いところに何とか布団を敷いて寝たんやった。ほんで2024年1月1日午後4時6分に能登地震(マグニチュード7.6)があったんやが、大阪北部で震度4とのことやった。船場の親族が被災したということやけど、大丈夫なんやろか。訊いてみたろ。おーい、船場ーっ、おるかーっ。はいはい、確かに私の親族が被災しました。家は大丈夫のようですが、実家が能登半島の真ん中あたりにあるので、屋根に被害があったみたいです。それと水と電気が止まっていると聞きました。それにしても正月1日の地震というのは...私は丁度その時家の近くの神社にいて参拝の列に並んでいたところでした。最初、足元が怪しくなったので立ち眩みを起こしたのかなと思いました。すぐに近くにいるおじさんが、あっ、地震や。揺れてる。これは大きいぞと言われました。そしてそれから地震が止まり30秒ぐらいしてからスマホを見ていたおじさんが能登が震源らしいでと言われました。手ぶらだったので、参拝を済ませてすぐに家に帰って親戚の家に電話をしましたが電話に出ず、後にLINEで状況がわかりました。家が海岸から1キロほどだったので津波を警戒して別の親戚のところに避難していたようですが、津波による被害はなかったです。そうやな、海の近くの地震やったら、津波がやって来る恐れもあるわな。わしらもいつ大きな地震の被害に遭うかわからんから、非常食や水の備蓄が必要かもしらん。それに災害は地震だけではないです。台風、大火災、竜巻などによる災害の可能性があります。2017年10月23日の台風21号の時も電車が止まって困った経験があります。海から遠いし、今までに大きな天災を経験していないと言ってもいつ大きな災害に遭うかもしれないのです。支援はあるでしょうが、今回の被害状況を見ていると復旧に時間が掛かりそうな場面をたくさん見ました。万一の時に困らないように備えを万全にしておかないといけないと思います。隣に87才の母親が暮らしていますし。