プチ小説「たこちゃんの宇宙」
ユニバース コスモス スペース(以上英語) ウニヴェルソ コスモス エスパシオ(以上スペイン語) ヴェルト コスモス ウニフェルスム(以上ドイツ語)は宇宙のこと ムーン ルナ モンドは月 スター エステラ ステルンは星のことだけど、ぼくは中学生の頃に宇宙に興味を持ち始めた。中学1年までは流れ星や月のウサギに興味を持っていたんだけど、中学2年の時にジャコビニ流星群で大量の流れ星が見られるという新聞記事が出て大騒ぎになったんだ。残念ながら、丘の上(坂道の上)からその方角を午前1時まで見ていたが、生憎の曇り空で見ることはできなかった(最近、インターネットで調べたが、ジャコビニ流星群はなかったみたいだ)。高校1年生の時にはウエスト彗星を見たが、撮影が上手くできなかったことがあって天体観測の熱は冷めてしまった。それでも月食や部分日食の観測や天文ガイドで天体写真を見たりして完全に失われたわけではなかった。1997年にヘール・ボップ彗星が現れて、ぼくの天体観測の情熱(そんなに大袈裟なものではないが)がむらむらと湧き上がって来て、貧乏なサラリーマンなのに50万円した天体望遠鏡を2年ローンで購入した。天体望遠鏡で観測できるのを知ったのが2月初めでヘール・ボップ彗星が最接近するのが4月始めだったが、生憎発注生産の望遠鏡が出来上がるのが半年先(7月下旬)だったので望遠鏡が届いた時にはヘール・ボップ彗星は観測が出来なくなっていた。そのために実家の屋根の上に40万円で観測所(櫓)も作ったので、とりあえず月、木星、土星を見てみようと天体望遠鏡での天体観測を始めた。月はもちろん木星も土星も明るい星なのでファインダーに収めることは難しいことではなく、曲軸合わせもできていたので、すぐに木星のガリレオ衛星や土星の環を観測することができた。残念なのは火星が見られない年で観測できなかったということで心残りなんだ。それでも他に球状星団やアンドロメダ星雲(多分)も見られたし、月食や満月のカラー写真が撮られた(当時は銀板カメラ)ので、できることはやったという達成感はあった。それから仕事が忙しくなり、7月下旬から12月初旬までの4ヶ月半程の間で7回ほど天体観測をすることができたが、天体観測の大変さを改めて認識したんだ。とにかく天候に左右される。晴れ間があれば良いと言うわけではなく、曲軸合わせができないと話にならない。北極星が見られないとそれができないので、条件が悪い場合少なくても北の空が晴れていないと観測はできない。バッテリー充電は10時間ほどかかるが、機材を設営するのに1時間以上かかった。外に置いたままに出来ないので、観測の度に一から組み立てた。午後8時頃から準備を初めてだいたい午後9時半くらいから観測が始まるが、月、木星、土星以外にも星雲や星団を見たいから終わるのは午前1時頃になる。初心者に近いので星や星座の位置が全く分からず、藤井旭さんの入門書や星図を頼りに赤道儀を操作するが、赤道儀のコントローラーは斜めには動かず、横に行って縦に行くという方法で画面に入れないといけないからなかなか思うようにならない。それでついつい夜更かししてしまう。当時勤務先は日曜日だけが休日だったので天体観測が出来る日と言えば土曜日だけだった。天体観測のために日曜日はあけておいたが、結構雨の日があって、結局、7日程しかできなかった。それでも月食があった日はこれだけは写しておこうと平日だったが、頑張って天体望遠鏡をセットした記憶がある。12月になると寒くて震えたし、結露が心配で観測をやめてしまった。翌年の秋には再開しようと考えていたが、仕事がめちゃくちゃ忙しくなり、週末にのんびり天体観測をするどころではなくなった。天体望遠鏡はタカハシ製作所のFS102鏡筒とEM10赤道儀なんだが、フローライトレンズで星がよく見えるし新品に近いと思ってこのまま廃棄するのは惜しいと思ったから出身大学の事務局に寄贈を申し出た。天文研究会の部員の方が興味を持ってくれて、家まで取りに来てくれたり天体望遠鏡のテスト日の日程調整をしてくれたが修理が必要でバッテリーは買い替えなければならないということになった。1月中に修理が完了し2月1日にリチウムイオンのバッテリーを購入するために部員と一緒にヨドバシカメラまで行った。明日(2月26日)が観測日になっているが、晴れてくれるのだろうか。仕事を辞めてから、阪急相川駅で下車することがなくなってしまったが、今日はたまたま近くまで来たのでスキンヘッドの運転手に声を掛けてみよう。「こんにちは」「オウ、ブエノスディアス。アセ ムチョ ティエンポ ケ ノ レ エ ヴィシタード ほんで ペルドーネ ウステ ミ ラルゴ シレンシオ」「いいえ、こちらこそご無沙汰しております」「そやけど船場はん、仕事やめてしもうて、今、何しとるん」「大学図書館に通って、一所懸命小説を書いているんです。『こんにちは、ディケンズ先生』は第4巻で完結しましたし、仕事をやめてからは懸賞小説に応募して賞がいただけたらいいなと思っています」「まあ、家におってステレオ聞きながら原稿書くより、捗るやろな」「そうですね、家にいると誘惑がいろいろあるから、原稿を書くのは難しいです。それから大学の事務局の人に相談できて以前から寄贈したかった天体望遠鏡を天文研究会の部員さんに渡せてほっとしています。一時は修理費が膨大になるんではと心配したのですが、返送料込みで2万円程で済んだので助かりました」「ほんで、あんたも天体研究会の部員にしてもらうの」「まさか、あと1、2回観測に参加させてもらって自分の知っていることを伝えて、引き渡しは終えようと考えています。でももし可能なら、秋にまだ天体望遠鏡で見ていない、火星や星団(星雲は難しいと思います)を見せてもらえたらと思いますが、他の部員さんもおられますし」「天体望遠鏡がちゃんと見られるんやったら、たくさんの人に月、木星、土星を見てもろたらええんとちゃう。それを切っ掛けに天文に興味を持つ人が増えたら、寄贈して良かったなということになるから、船場はんはそれだけを楽しみにして小説を書くのん頑張ったら、ええのんよ」「そうですね、4月以降は彼らから要請がない限り関わらないことにします」「多分、写真撮影とかまだ尋ねたいところがあるやろし、船場はんはその時にだけ顔を出したらええねん」「そうですね、でも鼻田さんの前にはこれからも来させてもらいますよ」「そうや、ついでやから、うさぎとびと、リヤカーごっこもしていったらええねん。わしも久しぶりにやろかな」「じゃあ、鼻田さんの後に続きます」