プチ小説「こんにちは、N先生81」
私は東京で開催するレコードコンサートのため最低年に4回京都から新幹線を往復利用するのですが、以前は売店で購入した産経新聞と毎日新聞を読んで残った時間携帯用プレーヤーをイヤホンで聞きながら本を読んでいました。最近は一昨年の夏に購入したスマホで車窓からの景色を撮ることが多くなりました。ほとんどが富士山の写真ですが、たまに琵琶湖の対岸に見える比良連峰、冠雪した伊吹山を撮ることがあります。でも乗車中に居眠りしていることも多く、その時に見る夢になぜかN先生が出て来られることがしばしばあります。この前に見た夢では、3人掛けの新幹線の中で窓際(A席)に私が座り真ん中(B席)にN先生が座って西洋文学の話をしていましたところ、名古屋駅で赤ん坊を抱いた女性がN先生の隣(C席)に掛けられました。その女性は席に座られた時からそわそわされていて、新幹線が発車すると赤ん坊のオムツを取り外し慌ててオムツをゴミ箱に捨てに行かれました。私は以前大学のドイツ語の授業の中で、N先生があろうことか男の子の赤ん坊の〇〇〇〇を指で弾かれ怒った?赤ん坊に仕返しをされたという話をされたことを思い出しました。でもこの時の先生は落ち着いておられ、戻って来られたお母さんに、元気な息子さんですねと言われただけでした。わたしはいつもE席かD席に座るので、なぜ今日はA席に座ったんだろうと腕を組んで考え込んでいましたが、しばらくするとN先生の久しぶりだねと言う声が聞こえたので目を覚ましました。車窓から外を見ると丁度浜名湖を通過しているところで、私はE席に座ってボートを漕いでいたのでした。
「今日は、天気がいいから富士山がきれいだよ。居眠りしているのはもったいないよ」
N先生がそう言われて席を離れるのかと思っていたところ、先生は席を離れることなく日経新聞を読み始められました。
「先生、予約していない席に座られていると車掌さんに注意を受けますよ」
と私が言うとN先生は、
「京都駅で君がこの車両に入るのを見たから車掌さんに君の隣の指定席を取るように頼んだんだ。こんなことはお茶の子さいさいだよ」
と言って微笑まれました。私はN先生と赤ん坊のお母さんとの間でどのような会話が夢の中で展開していくのか気になりましたが、昨日読み終えた本のことをN先生が尋ねられたのでN先生との会話を続けました。
「君は昨日、ヘルマン・ヘッセの『ガラス玉演戯』を読み終えたんだろ。どうだった」
「ぼくは今まで、ヘッセは『郷愁(ペーター・カーメンチント)』『車輪の下』『春の嵐』『シッダールタ』『メルヒェン』『デミアン』を読んでいて、あまり理解できなかった『知と愛』を読み直そうと思っていたのですが、前から読みたかった『ガラス玉演戯』が復刊ドットコムという出版社から出ていることを知り、古本が比較的安価だったので購入して読むことにしました。ほしかった新潮文庫の『ガラス玉演戯』はなかなか安価で状態のいいのがなかったのです(上巻ばかりで値段は1万円でした)」
「それでも良いのが見つかったから、購入したんだね。面白かったかい」
「ヘッセが最後に書いた長編小説ですが、他の小説と構成がかなり違っているなと思いました」
「そうだね、この小説はまず最初に、主人公ヨーゼフ・クネヒトと起源はガラス玉を使う遊具のようだが音楽、歴史、西洋哲学、東洋哲学とも関係していてしかも大学のような教育機関で教えられていて、ドイツの徒弟制度のようなところもあるガラス玉演戯というものがどんなものであるかの説明がある。そのあと主人公の一生が書かれて、クネヒトの自作の詩、3つの履歴書(短編小説)が添えられている。主人公がどんな人物かガラス玉演戯とはどのようなものかの説明を入れるのはいいとしても、なぜその後の主人公の生涯だけで終わらずに最後に3つの短編小説を入れたか気になるところだ。きっと伝記の部分より大切なことが書かれているんじゃないかな」
「そうですね、では伝記のところを話す前にその3つの短編小説について考えてみましょうか」
「「3つの履歴書」となっているが、実はこれはヨーゼフ・クネヒトが研究(修行)時代に書いたもので、クネヒトのようなガラス玉演戯の研究者は年に1つ「履歴書」を書くことが義務付けられている。この「履歴書」には任意の過去の時代に自分を移した仮構的自叙伝を書くことになっている。研究者は自分の理想や願望を書くことが多かったが、クネヒトは「雨ごい師」「ざんげ聴聞師」「インドの履歴書」
という題で「履歴書」を書いていて面白い読み物になっている」
「「雨ごい師」は幾千年もの昔の話で仕事に忠実な雨ごい師が自分の仕事に励んでいたのですが、どうにもならないお天気に翻弄され最後は自らの命を潔く生贄にささげるという話です。「ざんげ聴聞師」はヨゼフス・ファムルスという男が出家してさらに荒野に出てざんげ者の厳しい生活を始めますが、ある時尊い偉大なざんげ聴聞師である隠者ディオン・プギルに出会います。一緒に生活する中で貴重な示唆、箴言を得ますが、中には「古い祖先の知識に由来している信仰は、当然尊敬すべきものなのだ」「重い苦しみに押し付けられていない現状に満足している人には何も言う必要はない。人間がひどい不幸、悩みと幻滅、にがさと絶望を体験した時に、われわれが苦しみを制するためにどのような方法を試みたかを語ればよい」という教えもあります。ある日、死期が近づいた師は自分が埋葬される場所を指定し弟子と墓を掘ることを始めます。そしてしばらくして自分の墓のところにヤシの木を植えるよう弟子に伝えて、すぐに静かに眠りにつきます。ファムルスは師の教えを守り、ヤシは実を結びました。「インドの履歴書」はインドの国王の長男ダーサは幼い頃に母と死別しました。王の後妻が自分の子ナラを支配者の位につけたい、ダーサを亡きものにしたいと考えましたが、彼女の計画を見抜いた宮廷付きのバラモン僧がダーサの身を案じて牧夫にダーサを預けました。ある日ダーサはヨーガ行者と出会い...この物語は登場人物が多く込み入っているので話が長くなります。困ったな」
「ダーサの師匠となったヨーガ行者が叫ぶ「迷いだ」という言葉がまるで呪文のように主人公の心の中で響きダーサは夢の中をさまようが、やがてダーサは目を覚まして師匠との関係がさらに深まったというのがおおよその内容になる。ヨーガ行者に出会う前にダーサは王となった後に自分の妻を奪った腹違いの弟を石はじきでひたいに石を当てて打ち殺すが、この後王を殺害したために追われる身となり精神的に追い詰められていた。そこでヨーガ行者との出会いがありいろいろ教わるが、かつての栄光や妻との楽しかった日々を惜しんでいて迷いがあった」
「クネヒトの伝記では順調に3代目の演戯名人となったヨーゼフ・クネヒトがラテン語学校の生徒だった頃にガラス玉演戯の学校の先生である音楽名人に才能を見出されてガラス玉演戯のエリートコースを歩むようになるところ。瞑想名人の教えを受けた後、他のエリートたちと競う中でついには最高の地位である演戯名人の地位まで登り詰めるところが印象に残ります」
「ところが余りに洗練されて一般的な教養とは繋がりがなくなったガラス玉演戯の将来に不安を感じたヨーゼフ・クネヒトはこのまま演戯名人の地位にいて伝統を守るのではなくカスターリエン州(ガラス玉演戯を教育するために作られたとする架空の教育州)の外部での学校教師の地位を求めるが、宗団本部のアレクサンダー主席に認められず彼の築いてきた地位は脆くも崩れてしまう」
「行き場を失ったクネヒトはかつての教え子の息子を教えることになりますが、この子が凍える冷たさの湖にクネヒトを誘ったために疲労困憊状態になっていたクネヒトに悲劇が訪れることになります」
「でも宗団で自分の言うことが認められず教え子の息子の家庭教師をすることしかできなくなったのだから、何ができたのだろう。作者としては悲劇的結末しか考えられなかったんじゃないかな」
「そうですね、クネヒトは多くの名人の教えを受けましたが、わき目も振らずに上の地位を目指すことだけしか考えませんでした。恋愛やたくさんの他の分野で活躍する人たちとの交流を犠牲にして突き進んだのですが、40才の若さで天に召されました。ヨーゼフ・クネヒトは典型的なガラス玉演戯名人と言えるのかもしれませんが、プライベートでつき合うにはちょっとしんどいタイプの人なのかもしれません」
「そんなことを言うが、君はどうなんだい」
「わき目も振らずに一つのことをするということはありませんが、気に入ったらお金のことは考えずに幅広く手を出す人です。お金には全く縁のない人と言えると思います」
「そうだね、その通りだと思うよ」