プチ小説「こんにちは、N先生82」

私は最近テレビで早咲きの桜の紹介のテレビ番組を見る度に、もしかしたら将来的にはいろいろな種類の桜の温室栽培やバイオテクノロジーによって一年中桜の花見が可能になり、あえて3月の下旬から4月の初旬に限定しなくても年がら年中桜のお花見が出来るようになるのではないかと思っています。ソメイヨシノ以外の桜を山桜と便宜的に呼ばしていただくとして山桜も確かに美しいですが、やはり3月下旬から4月初旬に開花して日本列島(正確には北海道までは行きませんが)縦断するソメイヨシノとそれに寄り添って咲く山桜が咲く頃をお花見シーズンとして私は認定したいのです。今年は3月末に期限切れとなる京都市バス1日乗車券を持っているので、久しぶりに丸一日京都市内の桜の名所を訪ね歩いて写真を撮ろうかと思っています。そのおおまかな予定を考えようと錦小路烏丸のホリーズカフェに入り、タマゴサンドとコーヒーLサイズのセットを頼みました。店内に入った時に千鳥格子の背広を着ている男性がお盆を持って奥の方に行くのが見えたのでもしかしたらと思ったのですが、それはやはりN先生でした。先生は4人掛けのテーブルに腰掛けていて、ここが空いているから座ったらと手招きされました。私が、その席に掛けて、おはようございますと挨拶すると先生は、3月末のお花見でどこに行くか今から決めるんだろ、ぼくもいいところを知っているんだと言われました。私はなぜN先生がお花見の計画を立てようとしているのがわかったのか不思議に思いましたがそのことは言いませんでした。
「ぼくは醍醐寺と仁和寺の桜が好きなんだ」
「そうですか、先生からお話しいただいたことは参考にさせていただきますが、今の2つのお寺には行く予定はないんです」
「それはなぜかな」
「私は以前京都のお寺を巡って写真を撮り許可を得て写真をホームページに掲載させていただいたんですが、いくつかのお寺は掲載をはっきり断られました。そのお寺をあえていいませんが今回のお花見の予定には入れないでおこうと思っています。それから仁和寺は4月の下旬頃に咲く枝垂れ桜がほとんどでソメイヨシノは咲いていないように思います」
「それじゃあ、どこに行くのかな」
「最初はいつものように阪急電車で烏丸まで行き、ホリーズカフェでコーヒーLサイズとタマゴサンドを食べて」
「君は大好きだったあんバタートーストはやめたのかい」
「健診で引っ掛かったので最近甘いものを控えています」
そう言うと先生は、こんな美味しいものを我慢するのかいと言われて大きな口を開かれたかと思うとあんバタートーストをほうばられました。先生はまだ口の中にトーストを残したまま話し始められました。
「で、それからどうするの」
「前からずっと乗りたいと思ってた91番の市バスに乗って大覚寺まで行こうと思います。それから嵐山に行きます。その後、円山公園、祇園、蹴上インクライン、哲学の道、京都府立植物園、平野神社などにも行こうと思っていますが、詳細は前日まで決まらないと思います」
「将軍塚には行かないの」
「1日乗車券で行けるところだけにしようと思っています。将軍塚からの景色は素晴らしいので別の日に行こうかと思っています」
「ところで君は久しぶりに松本清張氏の小説を読んだんだろ」
「ええ、久しぶりに読むので短いのがいいかなと思って、『翳った
施舞』を読みました」
「新聞社に勤めるOLの女性が波乱万丈の数日間を送る話だね」
「そうですね、もう少し長い期間のようにも思いますが、ヒロインの三沢順子が海野と逃避行仕掛けた前後がこの物語の一番味わい深いところだと思います。新聞社の資料調査部に勤め始めて1年程の順子が新聞に掲載する写真を間違えて他の部の人に渡してしまったために、こんな展開になるなんて誰にも予測できないと思います」
「その展開に大いに関係したのが23才で友人の三原真佐子(ナイト・クラブのホステスで月に200万円の収入がある)で彼女は順子が勤めるR新聞社の上司たちが常連客でしかも財界の大物の人たちとも気安い間柄だね」
「そういう伝手があって、上司の川北局長やR新聞社の買収を考えている海野と関係が深まるのですが、直属の上司が厳しい人事異動で追い詰められたのは自分の責任と考えた順子は会社を辞めて海野を訪ねて行くという成り行きになります」
「木内という同じ会社の人とのおつき合いが深まって行くのかと思ったが残念ながらそうではなかった」
「そうですね、23才の初々しい女性がちょっとしたミスをしただけなのに職場の雰囲気が悪くて追い詰められ、頼ったホステスの友人の手助けが仇となってより酷い状況に陥ってしまい、毒牙にやられ、真佐子と一緒にナイト・クラブで働くことになります。ぼくとしては木内が男らしいところを見せて順子の💛を掴んでほしかったのですが。女性週刊誌に連載した小説だから、くすんだ感じのエンディングにあえてしたのかもしれません。松本氏の小説はハッピーエンドとなる小説もあるのですが、この小説で順子は幸せにしてもらえなかったということになります」
「でも旅館で火災が発生して海野との仲が深まらなかったのは良かった。順子は3号になるのを回避できたのだからその偶然に感謝しないといけないのかもしれない。そのあたりのストーリー展開も巨匠の大技と言えるかもしれないよ」
「そうですね、結末には首を傾げますが、途中は読んでいて極めて楽しい小説でした」