プチ小説「青春の光113」

「は、橋本さん、どうかされたんですか」
「われわれは長い間船場君の著書『こんにちは、ディケンズ先生』が売れるようにと頑張って来たのだが、どうも最近船場君は、母校に天体望遠鏡を寄贈したり、懸賞小説の応募原稿を作成したりしていて、『こんにちは、ディケンズ先生』の知名度アップの宣伝活動ということに関心がないみたいだ」
「せっかく、たくさんのお金を使って自費出版したのにもったいないですね」
「確かにそうだ。でも一流の作家になるためにはまずは懸賞小説に応募して賞を取らないといけない。それにその前には例えば大学の文学サークルなんかで切磋琢磨して腕を磨かないといけない。船場君はそのプロセスを踏んでいない」
「でも船場さんは長年西洋文学を愛読して来て、40代の終わり頃から、短編小説を書き始めて自身のホームページで掲載していたのを近代文藝社で評価してもらったところ、自費で出版して宣伝費用など自己負担するなら出版は可能と言われて出版費用を捻出して出版されたのですから、そういうプロセスは難しかったと思います」
「でも出版社としては正式の手続きを踏まない船場君のようなのをちゃんと地道に頑張って来た人と同じように扱うわけには行かない」
「それはそうですが、CiNiiという大学図書館所蔵検索で107の大学、短期大学が表示されますし、カーリルという図書館検索でも大学図書館で受理されたことが確認できますし全国の公立図書館にもたくさん受け入れられていることがわかります。これは大変評価されていると考えられないのでしょうか」
「でも正式な手続きを踏んでいないんだから、仕方がないんじゃないのかな」
「それで普通のきちんとした手続きを踏んで頑張ろうと考えを改めて、母校の図書館通いを始められたわけですね」
「それもそうだが、その前に『こんにちは、ディケンズ先生』第3巻、第4巻が出版社から寄贈図書として30の大学図書館に送ったが、全然受け入れられなかったというのがある」
「でもそれはコロナ禍が激しい頃で大学図書館も学生さんのことで精一杯だったからではないんですか。今なら落ち着いているので、もう一度寄贈図書として出版社から代行発送してもらったら受け入れられるかもしれませんよ」
「だが、出版されたのが2020年3月4日で3年以上が経過している。新刊が出たので受け入れしてほしいというわけには行かないだろう。代行発送の費用のかかるし。船場君は仕事を辞めたしお母さんの介護もあるから、3年前と同じようにはできない」
「船場さんが懸賞小説で地道に頑張ろうとしているのを応援するのは大切なことだと思いますが、折角それまでの経験などを踏まえて書き上げた『こんにちは、ディケンズ先生』がたくさんの人に読まれることを諦めてしまうのは悲しいことだと思います」
「ルールがあるのだから仕方がないよ。でも万一有名な人の目に触れて、その人に気に入ってもらえたらうまく行くかもしれないが」
「ネットで目にするだけですから、検索してもらえないとどうにもならないでしょう。書店で『こんにちは、ディケンズ先生』が目に触れるということはまずないでしょう。本を購入して下さるのは本屋で手に取ってみて気に入ってというのが多い(ぼくもそうです)と思います。だから明るい希望は持たない方がいいと思います」
「そのようなわれわれが今言ったことが船場君の頭の中を駆け巡ったのだろう。それに船場君も間もなく65才になることだし、『こんにちは、ディケンズ先生』のような濃密な小説を書くのは難しいだろう」
「となると荒唐無稽の小説を書くしかないのですか」
「いや、船場君のスタイルとしては西洋文学とクラシック音楽をバックボーン(隠し味)として会話が楽しいユーモア小説を地道に書くしかないだろう。今の時代、船場君が書くような小説が売れる可能性は極めて低いと言わざるを得ない」
「そうですよね。電車に乗ってる時がひとつの読書空間だったのですが、今はスマホを見ている人ばかりですからね。ああ、思い出しました。少年ジャンプが600万部以上売れている時は一つのシートに座っている、6人か7人がみんな少年ジャンプを見ていたという情景をぼくは見たことがあります。船場さんの本もそんな風にしてもらえたらいいですね」
「まさか、それは無理だろうけど、どこかに出掛けた時とか、LPレコードコンサートの時に『あなたの本読みましたよ。面白かったので、第2巻も読みます』と言ってもらえたら、生きて来て良かったと思うんじゃないかな」
「でもそんなちょっとしたことで感動して満足していては野望を持って次々と大作に取り組むということはないですね」
「そうだね、でも10発打ってそこそこばかりというのより、1発だけ良いのがあったというのの方が後世に名を残せるのではないのかな」