プチ小説「こんにちは、N先生 84」

私は母親の付き添いで開業医に行くことがあるのですが、今日は2ヶ月ぶりに母親が脳梗塞の治療のためにかかっているクリニックに行きました。母親はいつもの問診を終えた後に、最近風邪を引いてドラッグストアで購入した薬を服用したが、治らないので別の薬を処方してほしいと希望しました。医師は、風邪薬の在庫がどこの処方箋薬局でも足りなくなっているようなので、もしかしたら在庫がないと言われるかもしれない。そうなった場合には別の薬局でお薬をもらってくださいと言われました。案の定、最初に処方箋を出したスギ薬局では在庫がないので別の薬局になりますと言われ、電話で問い合わせてくれたトモエ薬局に行くことになりました。自動ドアが空いたので中に入ると、受付の前に千鳥格子の背広を着た紳士が座っていました。私はまさかN先生がここに来られているとは思わなかったので、受付で処方箋と保険証とお薬手帖を渡すとその紳士の横に座りました。するとその紳士は言いました。
「お母さんの付き添い、いつもご苦労様」
その紳士はN先生でした。私はまさか先生が高槻市内の処方箋薬局におられるとは思わなかったのででんぐり返りそうになりましたが、気を取り直して尋ねました。
「先生、この近くの病院で受診されたのですか」
「まさか、ぼくは今70代だけど、ここ10年医者にかかったことがない」
「ではなぜ、ここにおられるのですか」
「君は処方箋薬局では処方された薬を渡しているだけと考えているかもしれないが、ここには市販の風邪薬、湿布薬、目薬、アンメルツ、胃腸薬、下痢止め、ムヒなんかも売っているんだよ。だからぼくはさっきこれを買ったんだ。ぼくの場合、医師にかからなくっても市販薬で事足りる」
そう言って、80枚入りのサロンパスを見せられたのですが、ドラッグストアでも購入できるしなぜ地元で買われなかったか、なぜすぐに帰らずにそのまま留まっていたのかは言われませんでした。
「ところで君は昨日、ヘルマン・ヘッセの『知と愛(ナルチスとゴルトムント)』を読み終えたようだが、面白かったかい」
「途中までは退屈でしたが、野放図にやっていたゴルトムントが追い詰められて進退窮まって、どうなるかと思った時に救いの手が差し伸べられる辺りから面白くなりました。実は今から30年程前ヘッセの作品をいくつか読んだ時に『知と愛』も読もうとしたんですが、ゴルトムントの破天荒な行動に嫌気がさしました。この好色家で理由があるとは言え2人を殺した人がナルチスに救われるのかと思うと読み続けるのが嫌になり読むことを止めたのでした」
「じゃあ、なぜ一度読むのを止めたのをまた読もうと思ったのかな」
「ヘッセの作品の評価は様々です。一般的には『車輪の下』『郷愁(ペーター・カーメンチント)』『青春は美わし』などが人気のある作品と言われます。以前は私もそれらを読んでから『知と愛』に挑戦したのですが読み終えることができませんでした。それで最近までヘッセは読まずにイギリス文学やフランス文学(と言っても小説だけですが)の主要作品を読んで来たのですが、最近ディケンズの作品を2度3度と読んで、ユーゴーの『レ・ミゼラブル』、デュマの『モンテ・クリスト伯』も2度読むとドイツ文学にも挑戦してみようかなという気持ちになり、ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』と『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』を読んだのでした」
「ゲーテだと『若きヴェルテルの悩み』とか『ファウスト』だと思うけど」
「すみません、それはまた読みます。でもこのふたつが余り面白くなくてドイツ文学を読む気をなくしていたところ、ケラーの『緑のハインリヒ』を読んだのでした。この作品は『ヴィルヘルム・マイスター』2作品と同様に教養小説と言われています。ハインリヒ自身は面白い人物とは言えませんが、恋愛の相手となる3人の女性が生き生きと描かれていて素晴らしい作品だなと思いました。それでずっと前から読みたかった。ヘッセの『ガラス玉演戯』を読んだのですが、こちらはまあまあでした」
「君の場合、登場人物が好ましいから好きな作品になるということが多いようだ。ヨーゼフ・クネヒトはあまり好きになれなかったのかな。『知と愛』で言うと終わり頃(残り80ページ)になって誠実な人柄のナルチスが再登場して、もしかすると絞首刑の罰が下されそうになっていたゴルトムントを救い出して、彼の彫像の創作意欲が充分に発揮できるような環境を提供することになる。この困っている友人を助ける場面はナルチスの誠実な人柄が感じられて、和まされる。そうしていろんな辛い思いをして一回り大きくなったゴルトムントは以前ナルチスを心に描いて作品のもととしたヨハネ像を超える(ニクラウス親方の仕事場で製作)、自分の亡き母を心に描いて作品のもととしたマリア像を製作する。そうしてしばらくして使命を終えたゴルトムントは...」
「そうですね、ナルチスとゴルトムントが再開して二人は自分の長所を生かして、ナルチスは聖職の高い地位を、ゴルトムントは次々に人々から賞賛される聖像を製作する。めでたしめでたしとならなかったというのはヘッセの厳しい眼というのを意識させます」
「それもあるけど、創作ということの厳しさというのもこの小説には盛り込まれている気がする。それからその美貌で女性遍歴を重ねた人が人並み優れた聖像を次々と生み出すのだったらぼくもやろうという気になる人が出て来るかもしれないが、放浪にはいいことが少しあるかもしれないがいつ暴漢に襲われるかわからず日々のごはんも当てにならないということも述べている気がする」
「先生はこの小説の友情をどう考えられます」
「あまり深入りしすぎて友人以上の関係になることをナルチスは恐れた気がしないでもない。でもナルチスが厳しい言葉でもって突き放したので、ゴルトムントは他のことで頑張ろうと考えた。2つの聖像を作るために長い遍歴をしてようやく人生のゴールに辿り着いたという感じだが、2つの像が掛け替えのない誰にも作れない聖像だと考えるとゴルトムントの短い生涯も意義があったと言えるんじゃないかな」
「そうですよね、若い頃散々遊びまくった人がいつまでも生きているのでは、真面目に地道に頑張って来た人が人生ってそんな甘いものなのと疑問を持つんじゃないかと思います」